タグ「カール・シューリヒト」が付けられているもの

  • モーツァルト神話の一つ 1783年7月、モーツァルトは妻コンスタンツェを連れて故郷ザルツブルクへ行き、3ヶ月滞在した。そして10月末、ウィーンに戻る途中でリンツに立ち寄った。逗留先はトゥーン=ホーエンシュタイン伯爵邸である。そこでどんな話があったのか詳しいことは分からないが、当地で催される演奏会のために、急遽、交響曲を書くことになった。「交響曲が1曲も手元に...

    [続きを読む](2024.01.08)
  • 『フィガロの結婚』から「プラハ」へ モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」は1786年12月6日に完成し、1787年1月19日に作曲者自身の指揮によりプラハで初演された。当時、プラハでは歌劇『フィガロの結婚』が大流行し、モーツァルトは押しも押されぬ人気作曲家となっていた。初演は当然のごとく成功裡に終わり、後にモーツァルトが「幸せな一日だった」と回想するほど忘...

    [続きを読む](2022.02.05)
  • ベートーヴェン弾きとして ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集は、モノラルとステレオの2種類ある。前者は1950年から1954年、後者は1959年から1969年にかけて録音された(「ハンマークラヴィーア・ソナタ」は除く)。演奏に関しては、モノラル盤の方が構築的である。ピアニッシモの美しい音色や聴き手に違和感を与えないアゴーギクの妙技も、神経質すぎない程度に磨か...

    [続きを読む](2017.03.13)
  • 円熟前の傑作 ベートーヴェンの交響曲第2番は、第8番と並び、語られることの少ない作品だ。しかし、ここには第3番「英雄」以降の作品にはない円熟前の魅力があり、青年らしい生気がある。端的に言えば、円熟した人間には書けない傑作である。「私はこの作品の中に、誰一人取り戻すことのできない快活な青春時代を、そして、欠点を除去しようとすればたちまちのうちに逃げ去ってしまう...

    [続きを読む](2016.07.10)
  • 燃えるような神秘 アントン・ブルックナーが交響曲第9番の作曲に着手したのは、第8番の第1稿を書き終えたすぐ後(1887年)のことである。本腰を入れて筆を進めたのは1889年からで、1894年11月30日に第3楽章のアダージョまで完成させた。ブルックナーは病気に悩まされながらも、終楽章の構想を練り、最後の力をふりしぼってこれを書き上げるつもりでいたが、その時間...

    [続きを読む](2016.06.26)
  • ピアノとオーケストラから生まれる宇宙 ブラームスのピアノ協奏曲第2番は1878年から1881年夏にかけて作曲され、1881年11月9日にブラームス自身のピアノにより初演された。第1番の初演が公式に行われたのは1859年1月22日なので、ピアノ協奏曲の「新作」が発表されるまでに20年以上の歳月を要したことになる。ちなみに第2番の初演当時ブラームスは48歳、作曲...

    [続きを読む](2016.01.02)
  • 巨人の創造物 交響曲第8番は1884年7月から1887年8月10日の間に作曲された。1884年といえば、ブルックナーが交響曲第7番で大成功をおさめ、キャリアの絶頂期を迎えた年である。彼は60歳になっていたが、その創作意欲は衰えることを知らず、ますます横溢していた。それは同年に完成した『テ・デウム』を聴いてもはっきりと分かるだろう。そして3年後、彼は生涯最大規...

    [続きを読む](2013.09.16)
  • 比類なき至芸の結晶 作品の美質を引き出す術は、オーケストラの美質を引き出す術と無関係ではあり得ない。シューリヒトはそのことを心得ていた。彼は固定スタイルを団員たちに押しつけるタイプの指揮者ではなかった。オーケストラが変われば演奏も変わる。ただ、いかなる方向からでも作品の核へと迫ろうとする、その姿勢は変わらない。 ウィーン・フィルとの組み合わせでは、1960年...

    [続きを読む](2013.07.19)
  • 至高の世界へと導く術 カール・シューリヒトは、作品の核に凝縮されている美質を腕力ではなく知の力で表へと引き出す達人だった。録音の際は、細かい書き込みをしたオーケストラのパート譜を一式抱えて臨んでいたようだが、その表現がトリビアリズムに陥ったり、頭でっかちになることはなかった。しばしば「淡々としている」とか「誇張がない」と評されるからといって、冷たいとか物足り...

    [続きを読む](2013.07.17)
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