2016年8月アーカイブ

線と陰翳 三隅研次は大映の社員監督として会社の命令に従いながらも、厳しい制約の中で我流の映像美を確立し、孤独な剣士の生きざまを描き続けた。その代表作の多くは、大スター市川雷蔵の代表作と重なる。つまり、シリーズ化を決定づけた『眠狂四郎勝負』(1964年)も、「剣三部作」として知られる『斬る』(1962年)、『剣』(1964年)、『剣鬼』(1965年)も三隅監督...
[続きを読む](2016.08.28)
「音楽の悪魔」の幻想曲 フランツ・リストの作品集『巡礼の年』は第1年「スイス」、第2年「イタリア」、第2年補遺「ヴェネツィアとナポリ」、第3年の4集に分かれている。そのうち、第2年「イタリア」は1837年から1839年までマリー・ダグー伯爵夫人とイタリアに滞在していた際に着想され、1839年にはほぼ完成していたとみられている。 「ダンテを読んで(ソナタ風の幻...
[続きを読む](2016.08.20)
『トレインスポッティングオリジナル・サウンドトラック』1996年作品 今からちょうど20年前(1996年)に公開された、『トレインスポッティング』という映画のタイトルを耳にして真っ先に思い出すのは、アンダーワールドの「ボーン・スリッピー」? それとも、冒頭で聴こえたイギー・ポップの「ラスト・フォー・ライフ」の、アイコニックなドラムビートだろうか? 或いは、主...
[続きを読む](2016.08.14)
小林秀雄は「批評」(『読売新聞』1964年1月)の中で、「人をけなすのは批評家の持つ一技術ですらなく、批評精神に全く反する精神的態度である、と言へさうだ」と書いた。「けなす」とは、ことさら欠点を取り上げて悪く言うことである。これは批評にも批判にも入らない。ただの悪口である。「ある對象を批判するとは、それを正しく評價する事」なのだ。感情的にけなすことはもちろ...
[続きを読む](2016.08.06)
埋もれていた青春のシンフォニー ジョルジュ・ビゼーがハ長調交響曲を書き上げたのは1855年11月、まだ17歳のときのことである。当時音楽院に通っていたビゼーは、この作品で早熟ぶりを示したが、楽譜は長い間埋もれた状態にあり、ようやく1933年にパリ音楽院の図書館で発見され、2年後の1935年2月26日に初演された。 この交響曲は軽快なだけでなく優雅な美しさを持...
[続きを読む](2016.08.03)