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  •  1959年11月発行の『近代日本思想史講座』第7巻に掲載された「近代の超克」は、1942年に『文学界』誌上で行われたシンポジウム「近代の超克」の内容を検証した評論で、竹内の代表作の一つであり、当時大きな注目を浴びた。 戦後、近代の超克は「戦争とファシズムのイデオロギイを代表するもの」として、知識青年たちを熱狂させ、死へと駆り立てたシンボルとして語り継がれて...

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  •  木下勝俊は木下家定の子で、小早川秀秋は異母弟にあたる。家定の妹は、豊臣秀吉の正室である北政所。勝俊は当然のように秀吉に仕え、二十代半ばで若狭小浜の城主になった。秀吉に「花歌五十首」と言われたときは一晩で詠み上げるほどの才気をみせたが、歌才には恵まれていても、武将として高い志を抱いていた節はない。秀吉の没後、天下分け目の戦いが近づく中、勝俊は伏見城の留守とし...

    [続きを読む](2016.12.03)
  •  小西来山は大阪俳壇で名を馳せた人で、井原西鶴の後輩にあたり、上島鬼貫と親しかった。生年は承応3年(1654年)で、家は薬種商。「十八歳にして俳諧点者となる」と記す文献(『時雨集』序)もあるが定かでない。ただし、20代で活躍していたのは確かで、天和元年(1681年)に初の撰集『大坂八五十韻』を出し、元禄期には名声を確立していた。 その来山に「白魚やさながらう...

    [続きを読む](2016.01.09)
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