音楽 POP/ROCK

スフィアン・スティーヴンス 『キャリー・アンド・ローウェル』

2025.05.17
スフィアン・スティーヴンス
『キャリー・アンド・ローウェル』
2015年作品



SUFJAN STEVENS_j1
 筆者に限ったことではないだろうが、本作『キャリー・アンド・ローウェル』(2015年/全米チャート最高10位)に大きな衝撃を受けたのは、それまでのスフィアン・スティーヴンスが自伝的な作品を作る人ではなかったからだと思う。地元ミシガン州にあるカレッジ在学中に音楽活動を始めたスフィアンは、卒業前の2000年にファースト・アルバム『A Sun Came』を発表。ローファイながら世界各地の民俗音楽を引用していた同作では、時にシュールな寓話のごとき歌詞を綴り、セカンド『Enjoy Your Rabbit』(2001年)では十二支をテーマにしたインストゥルメンタル作品に挑んだ。かと思えば、米国の50の州に対応するアルバムを作るという壮大なプロジェクトをぶち上げて、手始めに『Michigan』(2003年)と『Illinois』(2005年)を送り出し、州の歴史や場所に因んだストーリーを歌ったものの、早くもここで頓挫。これら2枚の間には、クリスチャンである彼らしい宗教的テーマに特化した『Seven Swans』(2004年)も登場して、むしろ自分自身を題材にすることを避けてきたところがある。

 なのに、7枚目にしてキャリア最高のチャート・ポジションとセールスと称賛をもたらした『キャリー・アンド・ローウェル』でスフィアンは、ジャケットに写っている母(キャリー)とその再婚相手(ローウェル)をタイトルに掲げて、親子の複雑な関係について心の内を明かしている。きっかけはほかでもなくその母の死であり、本作は当時30代半ばだった彼が、喪に服し、生前納得のいく関係を母と築けなかったことへの悔いや哀しみと向き合うべく作ったアルバムなのである。

 実際、通常は自らプロデュースを手掛けて、管楽器・弦楽器を用いたバロック・ポップ的アプローチを取ったり、実験的なエレクトロニック表現を試みたり、作り込んだサウンドで知られるスフィアンだが、この時は精神的負担があまりに重く、曲作りに専念するために別のミュージシャンの手を借りている。自らも家族を亡くしたばかりだったという、ピアニスト兼プロデューサーのトーマス・バートレット(ヨーコ・オノ、ノラ・ジョーンズ)だ。トーマスはスフィアンのフラジャイルな声を、ギターと僅かなピアノとアンビエントなテクスチュア、そして自身を含む仲間たちのバッキング・ヴォーカルで優しくシンプルに受け止めて、メロディの美しさを強調。霞がかった空間に、彼の想いが滲み出ていくかのような感覚がある。

 では、そんなスフィアンと母が関係を構築できなかったのはなぜなのか。2012年にガンで亡くなったキャリーは若い頃から双極性障害などの精神疾患を患い、薬物依存を抱え、スフィアンが1歳の時に育児を放棄。家を出てしまったという。以後彼は父と継母に育てられるのだが、ローウェルと再婚した母は夫に勧められて子どもたちとコンタクトをとり、ふたりが暮らすオレゴン州ユージーンで夏休みを数回一緒に過ごしたそうだ。もっとも、アルバムの冒頭の曲「Death With Dignity」を聴く限り、親子間に横たわる溝を埋めるには十分ではなかったようで、この曲でのスフィアンは母の死に際して喪失感に呆然としながら、恐らくは直接伝えることができなかった、〈僕はあなたを許す〉という言葉を口にしている。

 次の「Should Have Known Better」では幼少期に起きたことを思い出しつつ、深い哀しみ(彼は〈僕の黒いとばり〉と呼んでいる)にうちひしがれていて、「All Of Me Wants All Of Me」では母との思い出の場所なのだろうか、オレゴン州にある景勝地スペンサー・ビュートを再訪。タイトル通りに引き続きオレゴンを舞台にした5曲目「Eugene」にも、記憶の断片を散りばめている。

 そしてこのあとには、シングル曲ではなかったにもかかわらず大きなヒットを記録した本作のセンターピース「Fourth Of July」が収められ、キャリーが入院したことを叔母から知らされた彼が、集中治療室で母と対面した日の様子と、互いへの愛を必死に伝えようとする2人の会話を記録。アウトロで繰り返される〈We're all gonna die〉というリフレインからは抗えない運命への無力感が零れ落ち、さらに「The Only Thing」や「No Shade In The Shadow Of The Cross」で描いているのは、苦しみのあまりに自暴自棄な行動を取るスフィアンの姿だ。当時のインタヴューによると、そうすることで、同様に破滅的な人生を送った母に近付けるように感じたのだとか。

 そこまで追い詰められた彼がいかにして哀しみを乗り越えたのかと言えば、まずひとつに信仰心、そして周囲の人のサポートが大きな役割を果たしたことを、「John My Beloved」やフィナーレの「Blue Bucket Of Gold」は物語っている。このうち「Blue Bucket Of Gold」の後半2分間は、もはや言葉も尽きてノイズが鳴るのみ。それでいて、奇妙な平穏さがそこには広がっている。

 ちなみにこうして見て行くと、歌詞ではローウェルに直接言及していない。それでいて、タイトルでは母と並べてオマージュを捧げるほどにスフィアンが継父に強い想いを抱いている理由も、説明しておく必要があるだろう。彼とキャリーはスフィアンが9歳の時に離婚。親子は再び疎遠になるのだが、ローウェルとはそれからも親しく交流を続け、彼を介して実家では聴くチャンスがなかったたくさんの音楽に触れることになる。つまり母に代わってスフィアンの人生に関わり続け、ミュージシャンになるきっかけを提供し、1999年には共同でインディ・レーベル、Asthmatic Kitty(喘息持ちのネコ)を設立。スフィアンの作品は全てこのレーベルから発売され、現在もローウェルが運営に携わっている。『キャリー・アンド・ローウェル』には従って、母と同等に大切な継父への愛と感謝の気持ちも込められているのだろう。

 また、そのAsthmatic Kittyのウェブサイトで目にした本作の10周年記念盤(5月末発売予定)の告知によると、映画『君の名前で僕を呼んで』(2018年日本公開)にスフィアンが提供し、第90回アカデミー賞の歌曲賞候補に挙がった名曲「Mystery of Love」は、本作の制作中に生まれた曲の発展形なのだという。同じトーマスがプロデュースしたこともあって当時から音楽的な近似性は指摘されていたのだが、なるほど、聴き直してみるとここにもオレゴン州にある川(ローグ川)が登場。大いなる哀しみと喜びを包含する〈愛の神秘に祝福あれ〉と括る「Mystery of Love」こそ、このアルバムの真のエピローグだったのかなと思い始めている。
(新谷洋子)


【関連サイト】
SUFJAN STEVENS
『キャリー・アンド・ローウェル』収録曲
1. DEATH WITH DIGNITY/2. SHOULD HAVE KNOWN BETTER/3. ALL OF ME WANTS ALL OF YOU/4. DRAWN TO THE BLOOD/5. EUGENE/6. FOURTH OF JULY/7. THE ONLY THING/8. CARRIE & LOWELL/9. JOHN MY BELOVED/10. NO SHADE IN THE SHADOW OF THE CROSS/11. BLUE BUCKET OF GOLD

月別インデックス