音楽 CLASSIC

ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの芸術

2016.10.19
一回勝負に賭ける演奏

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 ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが没入を重んじた指揮者だったことは、遺された録音や映像に接すればすぐに分かる。その手記にも、集中と没頭なき芸術が「芸術全般の悲劇の始まり」であると書かれている。彼にとって、単に楽譜に忠実なだけの演奏は非創造的であり、個性的な審美観を振り回す指揮は疑わしいものであった。

「私にとって重要なのは、魂に訴えるか否かである」
(『フルトヴェングラーの手記』)

 一人で芸術作品に没入するのは難しいことではない。しかし、フルトヴェングラーはベルリン・フィルやウィーン・フィルのようなオーケストラも没入させ、さらに聴き手までも巻き込み、異常な興奮に満ちたコンサート空間を作り上げていた。その伝播力の強さは想像を絶するとしか言いようがない。

 そんな芸術家が、レコードという媒体に対して警戒心を抱き、すぐれたコンサートの基準が「つねに一回勝負に賭ける生演奏から、完璧な、調整のとれた、すべてを記憶するレコード盤に漸次移行しつつある」ことを危惧するのも無理はない。「その結果、『レコード向きの』演奏のあらゆる特性が、コンサートホールに持ちこまれることになった」というのも、大袈裟な表現ではないだろう。

 しかし、結果的にフルトヴェングラーは自らの手で、レコードで聴くことができる演奏を、彼自身が言う「レコード向きの」ものから魂に訴える「コンサート向きの」ものへと変貌させた。そのレコードを通じて私たちはフルトヴェングラーの演奏にふれている。

フルトヴェングラーの録音

 遺された音源は、お世辞にも良い音質とは言えない。フルトヴェングラー夫人やセルジウ・チェリビダッケも、実際に鳴っていた音とは全然違う、という意味の証言をしている。現代の技術で音質が向上したものもあるが、やはり限界はあるだろう。......と言いながらも、聴いているうちに、神秘の雰囲気と猛然たる音楽の波にのみこまれていくのが、フルトヴェングラーのレコードを聴くときの私の心的動向のパターンである。アルトゥーロ・トスカニーニのレコードなどに比べると、混沌や神秘や官能が一種の特性となっているフルトヴェングラーの場合、音質上のハンデが彼の芸術を著しく損ねているという印象は少なく(むろん限度はある)、音質を飛び越えて、あるいは、音質もひっくるめて、凄さが伝わってくる、という感想の方がまさる。こういう現象は、他の指揮者ではほとんど起こらない。

 フルトヴェングラーというと陶酔的な情熱家のイメージが強くあり、爆演指揮者のように思っている人もいそうだが、実際は安っぽい爆演とは無縁の人である。その代表的な名演奏は、正しい意味での完全燃焼であり、品格を失わず、まさしく指揮者もオーケストラも共に作品の核一点に没入した状態から生まれている。テンポを大胆に揺らすところは、いかにも恣意的に思われそうだが、聴き進めているうちに、そこに人間が没入してできた結晶=音楽そのものしか感じられなくなる。

「私は指揮をしたが、それを生涯『作曲家』としてなしている。私は常に、自分を楽しませるものだけを指揮し、それによって自己確認することができた。『音楽セールスマン』の八方美人的な演奏は、私の仕事ではなかった」
(『フルトヴェングラーの手記』)

 これは晩年、1954年に書かれた文章である。「作曲家」が指揮をすることは、フルトヴェングラーの場合、即興性と密接に関わっている。自著『音と言葉』に、「『即興曲をつくる』ということが本当にいっさいの真の音楽活動の根本形式なのだ」とあることからも、その志向は明白である。フルトヴェングラーはそういう指揮を、ブルックナーの長大な交響曲でもやってのけ、今聴いても新鮮でショッキングな音楽生命体を発現させた。

 先に「代表的な名演奏」と書いたものの、例を挙げはじめるとキリがない。ただ、クラシック愛好家なら誰もが一度は通るはずの録音を、私なりに13点(+映像1点)に絞ることは出来る。

まず戦前の音源として。
チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」(ベルリン・フィル/1938年10月録音)

戦中の音源として。
シューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」(ベルリン・フィル/1942年12月6〜8日録音)、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番(ベルリン・フィル/1943年10月31日、11月3日録音)、ベートーヴェンの交響曲第7番(ベルリン・フィル/1943年11月3日録音)、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」(ウィーン・フィル/1944年12月19、20日録音)

戦後楽壇に復帰した頃の音源として。
ベートーヴェンの交響曲第5番(ベルリン・フィル/1947年5月27日録音)、ブラームスの交響曲第4番(ベルリン・フィル/1948年10月24日録音)、シューマンの「マンフレッド」序曲(ベルリン・フィル/1949年12月18日録音)

この世の中にある最も有名な音源の一つとして。
ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」(バイロイト祝祭管/1951年7月29日録音)

1950年代の音源として。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」(フィルハーモニア管/1951年2月19、20日録音)、ブラームスの交響曲第1番(ベルリン・フィル/1952年2月10日録音)、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』(フィルハーモニア管/1952年6月録音)、シューマンの交響曲第4番(ベルリン・フィル/1953年5月14日録音)

さらにもう一つ、映像作品として。
モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』(ウィーン・フィル/1954年収録)

晩年の演奏

 フルトヴェングラーについて書かれた評伝は実に多く、偉大な音楽性に寄せられる賛辞も出尽くした感がある。ただ、その円熟の境地について真面目に言及した本が少ないことが気になる。トスカニーニに関して、晩年の録音を「円熟」と評する人はあまりいないが、フルトヴェングラーの晩年の録音も、やはり円熟を示すものとは言えないのだろうか。

 戦中のライヴ録音を最高位に置き、唖然とするほど自在かつ劇的な表現をみせるフルトヴェングラーのことを気力体力共に絶頂に達していると評する人は多い。たしかに、音楽全体の流れの作り方に問答無用の勢いがあり、鬼気迫るほどの集中力と溢れかえるエネルギーで聴き手を震撼させる点で、戦中のライヴ録音のインパクトは比倫を絶している。

 しかし、好むと好まざるとにかかわらず、晩年の演奏がそれに劣るということは全くない。そこには、この音楽家が行き着いた円熟の境地がみられる。端的に言えば、楽器の純然たる響きを重んじつつ、一音一音を意味あるものとして汲み上げ、オーケストラの力を活かして、懐の深い音楽を作るやり方である。良い例が、1954年に録音された『神々の黄昏』の「ジークフリートのラインへの旅」と「葬送行進曲」、そして、最後の「第九」となったルツェルン音楽祭のライヴ。この拍節感の重み、彫りの深さ、奥行きを兼ねた迫力は、晩年ならではのものだ。同年に録音された『トリスタンとイゾルデ』の前奏曲と愛の死にも、1938年の有名な演奏にはない旋律の強調がみられ、響きの輪郭が濃くなっている。何種類もあるベートーヴェンの第5番についても、1954年5月23日のベルリン・フィルとの録音は、1943年6月27日〜30日の録音や1947年5月27日の録音に比べて評価が低いが(ちなみに3種類ともライヴ録音)、生気に乏しいということはなく、見通しの良さと重量感を兼ねた立派な演奏だ。この時期、健康を損ね、耳を悪くしていたからといって、指揮力が衰えたと決めつけるのは短見である。

フルトヴェングラーと私

 私自身がフルトヴェングラーに興味を持ったのは、「バイロイトの第九」がきっかけだが、のめり込んだのは、メンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」(1949年2月15日録音)、ヴォルフガング・シュナイダーハンが独奏を務めたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(1953年5月18日録音)を聴いてからである。どちらも幽玄や神秘といった言葉を用いて語りたくなる演奏だ。前者は、暗く神秘的な空気が充満していて、魔法のように聴き手を異世界へとトリップさせる。後者は、卓越した独奏の魅力もあいまって、怒濤の情熱がもたらす刺激以上に、清澄な空気や情感の広がりを堪能させる。クラシックを聴きはじめた頃、こういった録音に出会えたのは幸運だった。

 「バイロイトの第九」は言わずと知れた名演だし、フルトヴェングラーとの出会いの一枚なので思い出深いが、第九の音源はほかにも沢山ある。演奏日の違うもの、音質の違うものなどを合わせると、50種類は下らない。その中で私が「バイロイトの第九」や先にふれた「ルツェルンの第九」以上に好んでいるのは、1952年2月3日にムジークフェラインでウィーン・フィルを振ったライヴだ(私が所有しているのはTAHRA盤FURT1075/ORFEO盤ORFEOR834118)。「崇高かつ劇的な演奏」と言ったら、バイロイトもルツェルンもそうだと言われそうだが、このウィーン・フィルの演奏が持つ熱さと濃厚さは格別で、歓喜の一言では済まないような混沌とした感情の爆発が、風力すら感じられるほどダイレクトに伝わってくる。それでいて、どの音にも意思の力が働いていて勢い任せなところがない。音質には注文を付けたい点があるものの、これは私にとって究極の第九である。


[引用文献]
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー『フルトヴェングラーの手記』(1983年9月 白水社)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー『音と言葉』(2005年1月 白水社)



【関連サイト】
www.furtwangler.net