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  • 自由に生き、自由に死ぬ ジョルジュ・ビゼーの歌劇『カルメン』は1873年から1874年にかけて作曲され、1875年3月3日、パリのオペラ・コミーク座で初演された。しかし、この初演は失敗に終わった。台本を手がけたリュドヴィック・アレヴィによると、好評だったのは第2幕の「闘牛士の歌」までで、そこからは冷めた雰囲気になっていったという。その後も上演は繰り返されたが...

    [続きを読む](2019.04.10)
  •  高山樗牛は美文で鳴らした明治の評論家で、生前大いに注目を集めたが、若くして健康を害し、1902年に31歳で亡くなった。現在では、坪内逍遥、森鴎外、内村鑑三に噛みついていた論争家、匿名で『瀧口入道』を書いた小説家、圧倒的な美文家として、文学史に名をとどめている。 樗牛を美文家と評するとき、そこには「文章は美しいけど思想は浅い」という皮肉もしばしば含まれる。没...

    [続きを読む](2016.04.30)
  • 最上の魂とは何か ヘラクレイトスが最上としたのは、「火」=乾いた魂である。それはいわば目覚めた人間の姿であり、「自己を認識すること、そして思慮を健全に保つこと」(断片116)ができる状態を示している。「水」=湿った魂は、飲酒の快楽を指しているようだが、性の快楽や感情的になって流す涙も含まれるだろう。「土」は固まっているもの。湿りを帯びた後に来たるべき死、現世...

    [続きを読む](2015.08.01)
  • 「万物は流転する」では伝わらない エペソスのヘラクレイトスは、第69オリュンピア祭期(紀元前504年〜501年)に盛年すなわち40歳を迎えたと『哲学者列伝』(ラエルティオスの著作)にあることから、紀元前540年頃の生まれと推定される。貴族の出で、気位が高く、辛辣で、近寄り難い存在だったようである。その思想は晦渋とされ、紀元前3世紀頃から「謎をかける人」や「闇...

    [続きを読む](2015.07.25)
  • 竹内仁の立場 竹内は「リツプスの人格主義に就て ー阿部次郎氏のそれを批評する前にー」の中で、テオドール・リップスが理想とした人格の条件について次のようにまとめている。 まず第一に、「それ(人格)を構成する一々の内容(内面的性質)が悉く強烈を極めたもの」であること。「弱小なる内容を有して秩序整然たるを得る『虫も殺さぬ善人』よりも、高き動機と低き動機とがともに強...

    [続きを読む](2013.09.14)
  • 竹内仁の生涯 竹内仁(たけのうちまさし)は、1898年8月8日、松山に生まれた。評論家の片上伸は14歳上の兄である。1905年5月、6歳の時に母を亡くし、北海道の根室に移住。その後上京して片上家に住み、早稲田中学校を卒業。1916年、仙台の第二高等学校に入学し、竹内家の養子となる。当時から頭脳明晰で知られていた。 1919年、東京帝国大学法学部政治学科に入学...

    [続きを読む](2013.09.07)
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