2012年5月アーカイブ

夢幻と躁状態 シューマンのピアノ協奏曲イ短調は、この天才が生み出した、革新的で閃きに満ちた傑作である。彼は若い頃からピアノ協奏曲のジャンルに手を染めていたが、完成させたのはこれ1作のみ。完成時、シューマンは35歳になっていた。2作目、3作目を書くことが出来なかったのは、この時期(1845年)から精神のバランスを崩すようになったこと、また、管弦楽の扱いが未熟だ...
[続きを読む](2012.05.30)
英国の統一地方選の結果でもチェックしようかな。ある日、そんな軽い気持ちで主要紙のひとつ『The Guardian』のウェブサイトを開いてみたら、ずらりと並ぶ選挙絡みのヘッドラインの中に「ゴールディー・ルッキン・チェインのメンバーが市議会議員に」との1行を発見して、目を疑ってしまった。というのもゴールディーといえば、ウェールズ訛りでコミカルなラップを聴かせる...
[続きを読む](2012.05.26)
「ディヌ・リパッティには聖者のような風格があった」ーーこれは有名なリパッティ論の冒頭を飾る一文である。執筆者はEMIの大プロデューサーであり、文筆家としても知られたウォルター・レッグ。その文章からは、リパッティの才能と人間性に対する敬愛の情が強い調子で伝わってくる。原稿は1951年に「追悼文」として発表されたが、今でもしばしばライナーノーツに使われており、...
[続きを読む](2012.05.23)
ドゥービー・ブラザーズ「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」(1978年) 旧聞に属するが、去る2012年3月12日、ドゥービー・ブラザーズのドラマー、マイケル(通称マイク)・ホサックが亡くなった。享年65。彼はグループに加入→脱退→改めて加入を何度かくり返しているが、その訃報に接して、久々にドゥービー・ブラザーズの名前を思い出した人も少なくないだろう。但し、...
[続きを読む](2012.05.20)
フランコ・ゼフィレッリ版は、周知の通り大ヒットした人気作である。ロミオ役はレナード・ホワイティング、ジュリエット役はオリヴィア・ハッセー。カステラーニ版に心酔していた私は、黒髪のジュリエットには馴染めないと思い込んでいたが、あのニーノ・ロータの有名なメロディーが流れ始める頃には、無抵抗になり、オリヴィア・ハッセーのジュリエットを受け入れていた。シェントール...
[続きを読む](2012.05.18)
シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』はこれまでに何度も映画化されているが、その中で特に有名なのは、1936年のジョージ・キューカー監督作、1954年のレナート・カステラーニ監督作、1968年のフランコ・ゼフィレッリ監督作、1996年のバズ・ラーマン監督作の4本である。私はレナート・カステラーニ版で初めて『ロミオとジュリエット』を観た口なので、これには愛...
[続きを読む](2012.05.17)
曾我蕭白の「群仙図屏風」を初めて見た時は、驚いたというよりも呆然としたものである。見たといっても、その時は図録で見たにすぎないが、それでも、その発想力と画力に圧倒された。ひと言でいえば奇想天外。流派や伝統から逸脱した新しさが横溢している。誰にも真似できない、真似しようのない絵だ。そこには8人の仙人のほかに、龍、鶴、鯉、蝦蟇、唐子、侍女、樹、風、波などが描か...
[続きを読む](2012.05.12)
頭上を舞う、16羽の白鳥 1914年5月から6月にかけて、シベリウスはアメリカを訪問し、大歓迎を受けた。これに気を良くした彼は再度訪米することを考えたが、同年夏、第一次世界大戦が勃発したため断念せざるを得なくなる。おまけに自分の作品を扱っているドイツの出版社から収入が入ってこなくなり、不如意な生活を強いられるようになる。しかし、当時のシベリウスの日記を見てみ...
[続きを読む](2012.05.09)
次作『美しき争い』は、『格子なき牢獄』の成功を受けて制作された。内容は姉妹の愛憎もの。共演は同じくアニー・デュコー、監督はレオニード・モギーである。コリンヌがアニー・デュコーと手を取り合って、街を駆け抜けるシーンが印象に残る。全体としては悲劇的な話だが、このわずか1分間、2人は演技の世界を逸脱している。スクリーンを飛び出して、どこかへ遊びに行きそうな気配が...
[続きを読む](2012.05.06)
昔、京橋のフィルムセンターで初めて『格子なき牢獄』を観た時、客席を占めていたのはかなりの年配層だった。おそらくリアルタイムでこの映画を観た人たちだったのだろう。私はその日客席にいた誰よりも若かったと思う。しかし、スチル写真でしか見たことのない女優に寄せる期待は、誰にも負けないくらい高かった。伝説の女優をついにこの目で見ることができる、という興奮で胸が張り裂...
[続きを読む](2012.05.05)
ブリジット・フォンテーヌ『ラジオのように』1969年作品 ノン・ジャンル、ミクスト・ミュージックなんていう言葉がまだ無かった時代に、大胆にジャンルの壁を越境してこそ得られる音楽がある、ということを強烈に意識させられたのが、このブリジット・フォンテーヌの1969年のアルバム『ラジオのように』だった。 小鳥のさえずりにも似た歌声に絡み付くように調和と破綻を繰り返...
[続きを読む](2012.05.02)