音楽 CLASSIC

ウィレム・メンゲルベルク 〜ロマン主義の品格〜

2013.12.11
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 ウィレム・メンゲルベルクは19世紀末から20世紀半ばにかけて活躍したオランダの大指揮者であり、トスカニーニ、ワルター、フルトヴェングラーを含むいわゆる「四大巨匠」の一人である。彼は必要とあらば楽譜上の指示を自己流に変更し、お馴染みの作品から瞠目すべきニュアンスを引き出して音楽的効果を上げる達人だった。そのロマン主義的なスタイルと、細部の表現に徹底してこだわる奏者泣かせの名人芸は、多くの音楽ファンを魅了し、一時代を築いた。

 「この作品は、こう演奏されなければならない」という固定イメージがある人にとっては、メンゲルベルクの解釈はわざとらしく、自分本位で、情緒に傾きすぎているように感じられるかもしれない。しかし私は、演奏行為の繰り返しから生じるいかなるマンネリズムにも屈せず、埃を被った作品に新鮮な生命を宿させることに心を砕いたメンゲルベルクの指揮を好んでいる。

 ウィレム・メンゲルベルクは1871年3月28日にオランダのユトレヒトに生まれ、オランダとドイツで音楽教育を受け、1891年にルツェルン市立管弦楽団の指揮者に就任。1895年にアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の指揮者に就任してからは、50年間の長きにわたってこのオーケストラを一流の演奏集団に育て上げた。1920年代にはニューヨーク・フィルの指揮台にも立ち、絶大な影響力を及ぼしたが、最終的にはアルトゥーロ・トスカニーニとの権力闘争に敗れ、ポストを明け渡している。戦後は不遇で、戦時中ナチスの招待を受けてドイツやフランスで指揮したため糾弾され、指揮活動を禁じられた。その後スイスに移住し、1951年3月22日に亡くなった。

 「オーケストラのナポレオン」と呼ばれたメンゲルベルクは、リハーサルに時間を費やすタイプで、一説では音合わせに25分もかけていたという。話も非常に長く、リハーサルの大部分がお喋りで占められることも少なくなかった。一般的とはいいがたい自分の解釈を団員たちに咀嚼させるためには、そういう時間が必要だったのだろう。
 演奏に際しても、アーティキュレーションを少しもおろそかにすることなく、ルバートやポルタメントを多用し、一音一音が活きるように腐心した。また、聴き慣れたフレーズで思いもかけない楽器を強調させるなど、普通の指揮者ではあり得ないようなバランス感覚を持っているところも面白い。その結果として、他の追随を許さぬ濃密かつドラマティックな表現世界が生まれているのである。

 メンゲルベルクが作り出す音楽には、えもいわれぬ気品がある。思うまま大胆に味付けして自分本位の音楽を骨太に奏でているようにみえて、音楽が全く下品にならない。演奏のあちこちからこぼれ出てくる艶や甘みにも品があり、聴き手の美感に訴えてくる。音質がかなり古くても、そういうところは褪せることがない。彼の指揮でベートーヴェンやチャイコフスキーの交響曲を聴く時、多くの人はまず「音質が古い」とか「演奏が芝居がかっている」と思うだろうが、いつの間にかメンゲルベルク節に引き込まれ、音楽と共に呼吸し、高揚する己の姿を見出すに違いない。

 メンゲルベルクは同時代の作曲家の紹介に力を入れていたが、とりわけマーラー作品のすぐれた解釈者として作曲者からは高い評価を受けていた。2人が交わしていた手紙は、マーラー研究に欠かせない資料としてしばしば引用されている。録音が少ないのは残念だが、交響曲第4番と第5番の「アダージェット」が聴けるだけでも幸いとすべきだろう。

 私がお薦めする音源を録音年順に並べると、このようになる。

ワーグナー:歌劇『タンホイザー』序曲(1926年5月録音)
マーラー:交響曲第5番〜第4楽章「アダージェット」(1926年5月録音)
R.シュトラウス:交響詩『英雄の生涯』(1928年12月録音)
チャイコフスキー:交響曲第4番(1929年6月録音)
メンデルスゾーン:『真夏の夜の夢』〜抜粋(1938年1月録音)
チャイコフスキー:弦楽セレナード(1938年11月録音)
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲(1938年11月録音)
J.S.バッハ:『マタイ受難曲』(1939年4月ライヴ)
マーラー:交響曲第4番(1939年11月ライヴ)
チャイコフスキー:交響曲第5番(1939年11月ライヴ)
R.シュトラウス:交響詩『ドン・ファン』(1940年2月ライヴ)
チャイコフスキー:大序曲『1812』(1940年4月録音)
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」(1940年4月ライヴ)
ブラームス:『ドイツ・レクイエム』(1940年11月ライヴ)
R.シュトラウス:交響詩『英雄の生涯』(1941年4月録音)
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」(1941年4月録音)
ショパン:ピアノ協奏曲第2番(1944年1月ライヴ)

 初期の録音では、メンゲルベルク節は露骨に出ておらず、テンポの揺らし方も「やりすぎ」というほどではない。楽器の歌わせ方が非常に巧みで、ポルタメントを効果的に用いながら、作品の美質を引き出している。チャイコフスキーの交響曲第4番は、ほかの指揮者の録音を含めても最高の演奏の一つだと思う。『英雄の生涯』は、いうまでもなくメンゲルベルクとアムステルダム・コンセルトヘボウ管に献呈された作品。1928年盤の方が音楽の流れが自然だが、1941年盤の精緻な表情付けも癖になる。
 メンゲルベルクの全音源の中で飛び抜けて有名なのは、J.S.バッハの『マタイ受難曲』とチャイコフスキーの「悲愴」。数分間耳を傾けただけで、ロマンティックな雰囲気の中に聴き手をのみこんでしまう、偉大な音楽の器だ。こういう濃密な情感に満ちた表現から私が感じ取るのは、一個の作品に生命を与え、最も美しく、最も鮮やかに、最も印象的にこの世界に響かせようとする敬虔さである。敬虔さを支える意思である。ベートーヴェンの「運命」のライヴも芳烈にして苛烈。フルトヴェングラーやジョージ・セルのライヴ音源にも匹敵する凄演だ。なぜあまり話題にならないのか不思議で仕方がない。

 戦前の録音というだけで聴く人の数も限られてくるのだろうが、単なる気ままさや放埒さとは一線を画したメンゲルベルクの尊い音楽性は、何度でも再評価されて然るべきである。


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