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  • ドキュメンタリー的手法 挑戦的なテーマで数々の名作を手掛けたオーストリア出身の名監督フレッド・ジンネマンは、若い頃ロバート・フラハティの助手を務めていたことがあり、その経験を生涯の糧としていた。自伝にも「フラハティのドキュメンタリー・アプローチは、『山河遥かなり』、『男たち』、『真昼の決闘』、『尼僧物語』、『ジュリア』や他の映画を監督していた時に、私の脳裏に...

    [続きを読む](2021.04.14)
  • 進むべき道の選択 ブラジヤックは隣国ドイツの動向に注意を払いつつ、1939年3月10日の『ジュ・スイ・パルトゥ』に「たとえドイツがヒトラーを望んでいなかったとしても、たとえドイツが誠実でいようとしたとしても、そのポジションゆえに、いつの時代においてもフランスの敵になり得る存在だ」と書いた。しかし心理的な面では、ブラジヤックの距離の置き方は厳格なものではなかっ...

    [続きを読む](2015.09.12)
  • コラボラトゥールの死 1944年8月のパリ解放後、コラボラトゥール(対独協力者)に対する制裁が行われたことはよく知られている。私的制裁を含めると処刑されたのは約1万人とみられているが、10万人前後とする説もあり、正確な人数は分かっていない。逮捕され、裁判で死刑判決を受けた者は2071人(欠席裁判を除く)。そのうち768人が処刑され、残りは恩赦により減刑あるい...

    [続きを読む](2015.09.05)
  • 「冷徹な思想家」のイメージ ド・ゴール将軍とは「いろいろあっても知的な交流は続いていた」ようである。将軍の手紙を読むと、いかにアロンの知性に敬服していたかが分かる。アロンも条件付きの擁護者として、将軍の評価すべきところは評価し、批判すべきところは批判するという公正さから逸脱することはなかった。左翼の敵、ド・ゴール主義者、体制のシンボルとみなされてはいたものの...

    [続きを読む](2014.11.01)
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