
ベートーヴェン 序曲『コリオラン』
2024.05.18
凄絶なるもの

この話はプルタルコスの『英雄伝』に記され、人々に知られるようになった。それをもとに、17世紀初頭にシェイクスピアが『コリオレイナス』を執筆。その200年後、コリンが『コリオラン』を書き上げた。『コリオレイナス』は政治劇の趣があるが、『コリオラン』は純然たる悲劇である。コリオランが進退窮まって自殺するという結末も、コリンによるアレンジである。
悲劇『コリオラン』は1804年に初演され、成功を収めたようだが、その後ロングランヒットとなったかどうかはわからない。何にしてもベートーヴェンが作曲したのは1807年のことで、初演からいささか時間が経ちすぎていた。残念ながら、この序曲をつけて劇が上演されたという記録は残っていない。コリンの方も、せっかく書いてもらった序曲を持て余していた可能性がある。
序曲は冒頭から闘争的だ。かつてロマン・ロランが「嵐が吹き渡っている」と評したように、情熱的で、攻撃的で、烈しい悲劇を思わせるところがある。劇で起こることを象徴・暗示する音楽というより、劇で起こる全てを表現しつくした音楽という印象もある。この序曲の中で劇が完結し、「これから本編が始まる」という感じがしない。後年フランツ・リストが創始した交響詩のような趣がある。

展開部(第102小節〜第151小節)はpで始まり、ヴィオラとチェロがうねるように起伏を形成する中、それ以外の楽器が打ち下ろすように強音を響かせる。再現部(第102小節〜第241小節)はまずへ短調で導入部分を示し、第1主題の断片を奏でるとすぐ緊張を爆発させる。第2主題が現れて、ようやく再現部らしくなるが、型通りには進まず、突然流れが断ち切られる。コーダ(242小節〜第314小節)は第2主題から始まり、第1主題の断片が現れて劇的高揚を示す。その後は導入部分がハ音でよみがえるが、すぐ力を失い、第1主題が崩れた形で示され、静かに終わる。
総休止を多用し、静と動のコントラストを明確にすることで緊張を高めることに成功している。感情をむき出しにしたような強い響きにもインパクトがあり、気休めのようなお飾りのフレーズは徹底的に排除されている。冒頭からいきなりffでハ短調の音を炸裂させる発想は、同時期に作曲していた「運命」にも取り入れられている。
この作品を初めて聴く人は、大きく心を乱されるかもしれない。激しい感情がそのまま音になって襲いかかってくるからだ。少なくとも私は心底圧倒された。その時の演奏がフリッツ・ライナー指揮のシカゴ響(1959年録音)だったこともあり、引き締まったアンサンブルとスピード感にも随分驚かされた。
その後、実演も含めてあれこれ聴いてきたが、最も衝撃的だったのはヴィルヘルム・フルトヴェングラー盤(1943年録音)である。冒頭から凄い音がする。緊張感がみなぎり、ティンパニの打音は気迫満点。コーダでは楽譜に手を入れてティンパニロールを加え、クレッシェンドさせ、めいっぱい高揚させている(第264小節〜第269小節)。「やりすぎでは?」と思わなくもないが、この作品の悲劇性を表現し尽くした演奏だ。
パウル・クレツキがチェコ・フィルを指揮したもの(1964年録音)は、指揮者の炯眼を感じさせる。切れ味がよく、情熱的だが、それだけではない。楽器(特にヴィオラ)の強調の仕方が独特で、それが奏功し、悲劇性を際立たせている。非常に効果的なアプローチだと思う。『コリオラン』を聴き慣れた耳にも新鮮に響く魔法のような演奏だ。
世にある『コリオラン』の録音を聴いていると、総休止に余裕がなく、焦りがみえるものが少なくない。そういうタイプの真逆にあるのが、ハンス・クナッパーツブッシュ指揮、ウィーン・フィルの演奏(1954年ライヴ録音)だ。テンポは問答無用の遅さ。とてもアレグロ・コン・ブリオの曲とは思えないが、クナは文句あるかと言わんばかりに堂々としていて、全音域で迫力のある音を響かせている。定期的に聴きたくなる演奏である。
(阿部十三)
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
[1770.12.16?-1827.3.26]
序曲『コリオラン』 作品62
【お薦めの演奏】(掲載ジャケット:上から)
パウル・クレツキ指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1964年
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1943年
パブロ・カザルス指揮
ロンドン交響楽団
録音:1928年
[1770.12.16?-1827.3.26]
序曲『コリオラン』 作品62
【お薦めの演奏】(掲載ジャケット:上から)
パウル・クレツキ指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1964年
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1943年
パブロ・カザルス指揮
ロンドン交響楽団
録音:1928年
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