音楽 CLASSIC

ベートーヴェン 序曲『コリオラン』

2024.05.18
凄絶なるもの

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 ベートーヴェンの序曲『コリオラン』は1807年初めに作曲され、早くも同年3月、作曲者自身の指揮により初演された。タイトルの通り、ハインリヒ・ヨーゼフ・コリンの戯曲『コリオラン』のために書かれた音楽である。一説によると、ベートーヴェンはこの劇が何の音楽もなく上演されているのを見て、序曲を書こうと思い立ったらしい。出版年は1808年。作品はコリンに献呈された。

 『コリオラン』は古代ローマを舞台にした悲劇である。主人公のモデルとなったのは、実在した英雄グナエウス・マルキウス・コリオラヌス。コリオラヌスは政治上の意見の違いからローマを追放され、それまで敵対していたウォルスキ軍の将軍となり、ローマに攻め入った。しかし、ローマの女たち(その中にコリオランの母と妻がいた)に嘆願され、心を動かされたコリオラヌスは軍を撤退させた。最期はウォルスキ領に戻り、暗殺されたと言われている。
 この話はプルタルコスの『英雄伝』に記され、人々に知られるようになった。それをもとに、17世紀初頭にシェイクスピアが『コリオレイナス』を執筆。その200年後、コリンが『コリオラン』を書き上げた。『コリオレイナス』は政治劇の趣があるが、『コリオラン』は純然たる悲劇である。コリオランが進退窮まって自殺するという結末も、コリンによるアレンジである。

 悲劇『コリオラン』は1804年に初演され、成功を収めたようだが、その後ロングランヒットとなったかどうかはわからない。何にしてもベートーヴェンが作曲したのは1807年のことで、初演からいささか時間が経ちすぎていた。残念ながら、この序曲をつけて劇が上演されたという記録は残っていない。コリンの方も、せっかく書いてもらった序曲を持て余していた可能性がある。
 序曲は冒頭から闘争的だ。かつてロマン・ロランが「嵐が吹き渡っている」と評したように、情熱的で、攻撃的で、烈しい悲劇を思わせるところがある。劇で起こることを象徴・暗示する音楽というより、劇で起こる全てを表現しつくした音楽という印象もある。この序曲の中で劇が完結し、「これから本編が始まる」という感じがしない。後年フランツ・リストが創始した交響詩のような趣がある。

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 調性はハ短調。アレグロ・コン・ブリオ。提示部(第1小節〜第101小節)は力強い主音(ハ音)で始まり、5回の総休止を経て、暗い静まりを作る。ここまでが導入部分。第1主題は静かに蠢くように始まり、熱を帯びながら高揚する。おそらくコリオランの性格や気性を示したものだろう。ハイドンの交響曲第39番の第1楽章を彷彿させる旋律だ。いったん嵐が落ち着くと、優美な第2主題が奏でられる。これは母親、妻をはじめとする女たちを象徴したものだろうか。あるいはコリオランの情け深い一面を示したものかもしれない。
 展開部(第102小節〜第151小節)はpで始まり、ヴィオラとチェロがうねるように起伏を形成する中、それ以外の楽器が打ち下ろすように強音を響かせる。再現部(第102小節〜第241小節)はまずへ短調で導入部分を示し、第1主題の断片を奏でるとすぐ緊張を爆発させる。第2主題が現れて、ようやく再現部らしくなるが、型通りには進まず、突然流れが断ち切られる。コーダ(242小節〜第314小節)は第2主題から始まり、第1主題の断片が現れて劇的高揚を示す。その後は導入部分がハ音でよみがえるが、すぐ力を失い、第1主題が崩れた形で示され、静かに終わる。

 総休止を多用し、静と動のコントラストを明確にすることで緊張を高めることに成功している。感情をむき出しにしたような強い響きにもインパクトがあり、気休めのようなお飾りのフレーズは徹底的に排除されている。冒頭からいきなりffでハ短調の音を炸裂させる発想は、同時期に作曲していた「運命」にも取り入れられている。
 この作品を初めて聴く人は、大きく心を乱されるかもしれない。激しい感情がそのまま音になって襲いかかってくるからだ。少なくとも私は心底圧倒された。その時の演奏がフリッツ・ライナー指揮のシカゴ響(1959年録音)だったこともあり、引き締まったアンサンブルとスピード感にも随分驚かされた。

 その後、実演も含めてあれこれ聴いてきたが、最も衝撃的だったのはヴィルヘルム・フルトヴェングラー盤(1943年録音)である。冒頭から凄い音がする。緊張感がみなぎり、ティンパニの打音は気迫満点。コーダでは楽譜に手を入れてティンパニロールを加え、クレッシェンドさせ、めいっぱい高揚させている(第264小節〜第269小節)。「やりすぎでは?」と思わなくもないが、この作品の悲劇性を表現し尽くした演奏だ。
 パウル・クレツキがチェコ・フィルを指揮したもの(1964年録音)は、指揮者の炯眼を感じさせる。切れ味がよく、情熱的だが、それだけではない。楽器(特にヴィオラ)の強調の仕方が独特で、それが奏功し、悲劇性を際立たせている。非常に効果的なアプローチだと思う。『コリオラン』を聴き慣れた耳にも新鮮に響く魔法のような演奏だ。

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 かなり古い音源になるが、パブロ・カザルス指揮、ロンドン響の演奏(1928年録音)も魅力的である。冒頭部の後、長い総休止があり、時間が止まったようになる。やがて主題が最弱音で蠢くように始まり、そこから徐々に勢いを増す。このあたりの暗く怪しい雰囲気がたまらない。巧みにヴィオラを強調するところは、クレツキ盤に通じるものがある。
 世にある『コリオラン』の録音を聴いていると、総休止に余裕がなく、焦りがみえるものが少なくない。そういうタイプの真逆にあるのが、ハンス・クナッパーツブッシュ指揮、ウィーン・フィルの演奏(1954年ライヴ録音)だ。テンポは問答無用の遅さ。とてもアレグロ・コン・ブリオの曲とは思えないが、クナは文句あるかと言わんばかりに堂々としていて、全音域で迫力のある音を響かせている。定期的に聴きたくなる演奏である。
(阿部十三)


ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
[1770.12.16?-1827.3.26]
序曲『コリオラン』 作品62

【お薦めの演奏】(掲載ジャケット:上から)
パウル・クレツキ指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1964年

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1943年

パブロ・カザルス指揮
ロンドン交響楽団
録音:1928年

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