音楽 POP/ROCK

MC5 『キック・アウト・ザ・ジャムズ』

2024.06.21
MC5
『キック・アウト・ザ・ジャムズ』
1969年作品

MC5 j1
 筆者はこれまで、玉石あれどロックから数え切れないことを学んできたが、今年も8月に控えている民主党大会ってものが、アメリカでは大統領選の年に開催されていることを教えてくれたのがMC5ーーロブ・タイナー(ヴォーカル)、フレッド・ソニック・スミス(ギター)、マイケル・デイヴィス(ベース)、ウェイン・クレイマー(ギター)、デニス・トンプソン(ドラムス)ーーだった。それはシカゴで民主党大会が行なわれた1968年8月25日のこと、MC5は会場近くの公園で開かれた、ヴェトナム戦争反対集会に参加。パフォーマンスを予定していた他のミュージシャンたちは、恐れをなしたのか軒並みドタキャンし、結局演奏したのは、フォーク・ミュージシャンのフィル・オクスと彼らだけ。実際その日の夜、集会後も公園に残った若者たちと警察が衝突して暴動に発展したことから、同大会は悪夢の大会として歴史に刻まれているそうだが(アーロン・ソーキン監督の映画『シカゴ7裁判』が詳しくその顛末を描いている)、実は今年も会場はシカゴ。ガザでのジェノサイドに反対するデモが全米各地で続く中で敢行されるとあって、メディアでは、56年前との状況の近似性を指摘し、キナ臭い予告がなされているのを見かける。

 その後、メンバーの中でも最も精力的にソロで活動していたウェインは、シカゴ大会からちょうど40年後の2008年の民主党大会(会場はデンヴァー)にも現れた。今度は、イラク戦争反対を掲げて地元の大学と退役軍人の団体が企画したコンサートで、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン(以下RATM/彼らは2000年にLAで民主党大会が行われた時も会場近くでフリー・プロテスト・コンサートを仕掛けて8千人を集めた)のセットに飛び入り。1968年にもプレイした本作『キック・アウト・ザ・ジャムズ』(1969年/全米チャート最高30位)の表題曲を共に披露する映像は、今も動画サイトで観ることができる。そんなわけで、生きていたらきっと今年もシカゴでこの曲を歌いたかったんじゃないかと想像せずにいられないのだが、残念ながらロブ(1991年没)、フレッド(1994年没)、マイケル(2012年没)に続いて、さる2月と5月にウェインとデニスが相次いで亡くなり、今や伝説だけが後に残っている。

 ......と、いきなり原稿をまとめてしまったが、MC5が発表したアルバムは『キック・アウト・ザ・ジャムズ』だけじゃない。ほかにも『Back in the USA』(1970年)と『High Time』(1971年)の2枚をリリースしている。しかし本作こそが問答無用の名盤と目されているのは、デビュー・アルバムにしてライヴ盤というロック界ではほとんど例がない作品であり、1968年当時カウンター・カルチャーが起こしていた激震を音に封じ込めたような作品だからなのだろう。バンドそのものは1964年頃、デトロイトにてウェインとフレッドを中心に誕生。幾度かのメンバーチェンジを介して前述した5人に落ち着き、デトロイトの愛称〈Motor City〉を略してMC5と名乗った彼らは、カヴァーをプレイしながら演奏力を磨いて、まさにライヴの評判で大手レーベルのエレクトラと契約。コミューン的な共同生活を送りつつ、のちにホワイト・パンサー党党首となる詩人/反戦運動家/カウンター・カルチャーのキーパーソンであるジョン・シンクレアと出会って、彼をマネージャーに迎えたことを契機に、公民権運動とヴェトナム反戦運動を背景に左翼思想にいっそう傾倒していく。

 そして通常のライヴだけでなく様々な政治イベントにも関わるなどして知名度を上げたMC5は、1968年10月30・31日の両日、デトロイト中心部にあったライヴハウス、グランド・ボールルームでのパフォーマンスを録音。その音源から本作を構成し、翌年2月にリリースに至った。収録曲はたった8曲だが、リトル・リチャードやチャック・ベリーといったパイオニアたちのスピリットを継承し、ブルース、R&B、フリー・ジャズまでを包含する、彼らのソウルフルでサイケデリックなガレージ・ロックの破壊力を伝えるに不足はない。アルバムの冒頭、オーディエンスの拍手と歓声に続いて耳に飛び込む、バンドのスピリチャル・アドバイザー兼ハイプマンだったブラザー・J.C.クロフォードによる大仰な呼び込みも、聞き進めるほどに納得がゆくはずだ。「ブラザー&シスターたちよ、君らひとりひとりが問題の側につくのか解決策の側につくのか、決断するべき時が来た〜この星の上での自分の使命を知るには、5秒あれば十分。証言する時が来たんだ。準備はいいかい? 俺が君たちに与える証言ーーそれがMC5だ!」

 このあとバンドは、ジェリー・リー・ルイスのヴァージョンが有名な「Ramblin' Rose」のカヴァーでパフォーマンスの幕を切り、2曲目に早速「Kick Out the Jams」が聞こえてくる。ウェインが語ったところによるとタイトルの由来は、デトロイトを訪れる大物バンドの前座を務めていた下積み時代に遡り、自分たちよりショボい演奏を観せつけられることにうんざりして「Kick out the jams or get off the stage, motherf**ker!(中途半端にジャムなんかやってるなら引っ込めよ、クソ野郎)」とヤジっていたのだという。つまりライヴ・バンドとしての彼らの自信を物語る4語でもあり、それが曲へと発展し、のちに広義の抵抗・反抗のアンセムとして広く愛されることになったわけだ。

 ちなみに、本作の時点でのMC5はまだ〈ポリティカル〉と評せる曲は書いておらず(その手の曲に挑むのは『Back in the USA』以降だ)、いわば、ラヴ&セックスと団結と革命とロックンロールが交わるところにある高揚感と、ライヴ・ミュージックの興奮そのものを追求し、自他を解放し超越することだけに専念していた。「Kick Out the Jams」然り、「Rocket Reducer No.62(Rama Lama Fa Fa Fa)」然り、「Come Together」然り、ザ・トロッグスの「I Want You」を最解釈した「I Want You Right Now」然り......。ただ、6曲目の「Motor City is Burning」では唯一例外的に、当時の社会状況にダイレクトに触れている。アフリカ系住民と白人ばかりの地元警察の対立を発端とし、町の衰退を招いたとされる1967年の悪名高きデトロイト暴動を受けて、この町を拠点にしていたジョン・リー・フッカーが綴ったブルース・チューンだ(カヴァーするにあたってMC5は歌詞に手を加え、ブラック・パンサーなどへの言及を加えている)。もうひとつ、8分半に及ぶフィナーレの「Starship」も他と趣を異にし、サン・ラの影響が顕著に表れたそのコズミックなサウンドは、のちに「High Time」で本格的に掘り下げるフリー・ジャズ志向の出発点と位置付けるべきだろう。

 そんな『キック・アウト・ザ・ジャムズ』は、あの有名な放送禁止用語騒動(繰り返し語られているのでここでは触れずにおく)もあって一躍脚光を浴びたものの、『Back in the USA』と『High Time』のセールスは振るわず、メンバーは薬物に溺れ、バンドは本作のポテンシャルを全うすることなく1972年にあっけなく解散。2000年代に再結成ツアーを行なう頃にはロブとフレッドは故人だったし、今年はジョンも4月に他界して一気に3人の当事者を喪ったわけだが、他方で来たる10月には、53年ぶりのサード・アルバム『Heavy Lifting』がリリースされるとのニュースも飛び込んできた。一部デニスのドラムをフィーチャーしつつ、基本的にはウェインがRATMのトム・モレロやリヴィング・カラーのヴァーノン・リードら多様なゲストを迎えて制作したものだ。さらに、ロックの殿堂からミュージカル・エクセレンス賞が彼らに贈られることも報じられ(オリジナリティと影響力で音楽界に多大なインパクトを与えた者を対象とする賞らしいが、6回もノミネートされているのだからそろそろ殿堂入りしても良さそうなものだ)、解散から半世紀越しに伝説が完結を見るような感もある。あとはやっぱり8月の民主党大会に際して、「Kick Out the Jams」を歌い継いで「このままでいいの?」と疑問を呈する若いミュージシャンが現れることを期待したいところだ。すぐに候補が思い付かないところが、少々切なくもあるのだが。
(新谷洋子)


【関連サイト】
『キック・アウト・ザ・ジャムズ』収録曲
1. ランブリン・ローズ/2. キック・アウト・ザ・ジャムズ/3. カム・トゥゲザー/4. ロケット・リデューサー No.62/5. ボーダーライン/6. モーター・シティ/7. アイ・ウォント・ユー/8. スターシップ

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