音楽 POP/ROCK

ロジャー・ウォーターズ 『イズ・ディス・ザ・ライフ・ウィ・リアリー・ウォント?』

2024.05.26
ロジャー・ウォーターズ
『イズ・ディス・ザ・ライフ・ウィ・リアリー・ウォント?』
2017年作品

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 2023年10月からパレスチナ自治区ガザで戦闘が続く中、音楽界では早くから停戦を求め、パレスチナ支援を求める声が様々な形で声が上がっていた。ガザ市民を支援するためのイベントやリリースが多数企画される一方、サウス・バイ・サウス・ウェストではイスラエルに武器供与している企業や米軍がスポンサーに含まれていたために、多数のアーティストが出演を辞退。先頃開催された英国の同種のイベント、グレート・エスケープでも、協賛するバークレイ銀行がイスラエルに武器を提供する英国企業に投資していることが判明し、100組以上が出演を取りやめている。そしてイスラエルの出場停止を求めるキャンペーンが各地で展開されていた今年のユーロヴィジョン・ソング・コンテストは、平和のメッセージを発信したいアーティストたちと政治的中立を掲げる主催者の間で摩擦が起きたことで、かつてないカオスに見舞われたものだ。

 もっともパレスチナ問題は2023年10月に始まったわけではなく、ミュージシャンたちが動いたのも今回だけではない。前回イスラエル軍による大規模なガザへの地上侵攻が起きた2014年夏にも、マッシヴ・アタックからブライアン・アダムスまでが色んな形式で抗議の意を表し、当時ワン・ダイレクションの一員だったゼイン(彼はパキスタン移民の父を持つイスラム教徒だ)も〈Free Palestine〉とツイート。と同時にBDS(BDSはBoycott, Divestment and Sanctionsの略。イスラエルに対するボイコットと投資引き上げと制裁を訴える運動)の呼びかけで、アパルトヘイト時代の南アフリカに対する文化的ボイコットに倣って、イスラエル公演を思い留まるよう働きかける声も高まり、ロードやラナ・デル・レイ、或いはスティーヴィー・ワンダーがコンサートを中止した例がある。

 そんな中で、ブライアン・イーノやプライマル・スクリームのボビー・ギレスピーと並んで長年パレスチナ解放を訴え、歯に衣を着せないややアグレッシヴな物言いゆえに反ユダヤ主義者のレッテルをしばしば貼られて批判を浴びてきたのが、元ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズである。第二次世界大戦中の1943年生まれ、父は良心的兵役拒否者だったが、ナチス・ドイツを止めなければとの想いから英国軍に入隊。ロジャーが5カ月の時に戦死し、父の想いを継ぐようにして彼は平和主義を掲げて10代の頃から核軍縮キャンペーンに関わり、ミュージシャンとしても常に権力を握る人間たちの横暴さや、資本主義・消費主義の弊害、戦争の愚かさを作品に込めてきた。

 では、2023年4月にも反ユダヤ的との理由からフランクフルトでの公演がキャンセルされそうになった彼は、いかにしてパレスチナ解放の活動家になったのか? 経緯を調べてみると、事の次第は以下の通りだ。今から19年近く前、テルアビブで公演する旨をロジャーが明らかにしたところ、即座に公演中止を訴えるメールが続々届いたという。そして送信者の一人だったBDS運動の提唱者オマー・バーグティとの対話を通じて、パレスチナについての問題意識を改めた彼は、会場をアラブ系の住民も多い地区に変更し、2006年6月の公演当日にはステージで「君たちの世代が壁を崩して隣人との関係を修復して欲しい」と呼び掛けると共に、ヨルダン川西岸地区を訪問。そこに聳え立つ悪名高き分離壁に、ピンク・フロイドの「Another Brick in the Wall(Part2)」の歌詞を引用して〈We don't need no thought control〉と記したことは、広く報道されたと記憶している。

 以後BDSの運動に身を投じたロジャーが、筆者が知る限り初めてパレスチナに触れたアルバムが、2017年に登場した本作『イズ・ディス・ザ・ライフ・ウィ・リアリー・ウォント?』(全英チャート最高3位)だった。ピンク・フロイドを1985年に脱退した彼は、ソロ・アーティストとしては多作な人ではなく、ファースト『ヒッチハイクの賛否両論』(1984年)、冷戦下の世界と向き合うセカンド『RADIO K.A.O.S.』(1987年)、湾岸戦争や天安門事件を題材に取り上げたサード『死滅遊戯』(1992年)の3枚を発表したあとは、スタジオ・アルバムが途絶えていた。つまり『イズ・ディス・ザ・ライフ・ウィ・リアリー・ウォント?』は25年ぶりの新作であり、現時点での最新スタジオ・アルバムでもある。思えば2017年は米国でトランプ政権が始まった年で、ブラック・ライヴス・マター運動が本格化。シリアに続いてイエメンでも内戦が激化して難民危機が起きており、英国がEU離脱を選んでから間もない頃。タイミングを考慮すると、ロジャーが重い腰を起こした理由は推して知るべし、か。

 プロデューサーには、レディオヘッドの諸作品で知られるナイジェル・ゴドリッチを起用。ピンク・フロイドの大ファンだというナイジェルとは、本作に先立つ数年間にロジャーが行なっていたピンク・フロイドの名盤『ザ・ウォール』の全編再現ツアーのライヴ・アルバム『ロジャー・ウォーターズ:ザ・ウォール』(2015年)でコラボ済みで、全幅の信頼を置いていたのか、自身はプロダクションに関わらず、音作りを全面的にナイジェルに委ねた。そこで彼は、ジョーイ・ワロンカー(ドラムス)、デヴィッド・キャンベル(ストリングス・アレンジ)、ジョナサン・ウィルソン(ギター)といったミュージシャンたちを集め、自らも多数の楽器をプレイ。さらに、BBCなどのアーカイヴから集めたサンプルや環境音をバンド・アンサンブルにコラージュすることで、明らかにピンク・フロイドを意識したサウンドスケープを作り上げた。

 そしてロジャーは、〈傷つく子どもたち〉というモチーフに繰り返し言及しながら、声がひび割れるままにしたスポークンワードに近いヴォーカルで、混迷する世界を前に絶望を露わにしている。〈我々はこんな人生を望んでいたのか?(Is this the life we really want?)〉と。その出発点は、イラク戦争のさなかの2004年に公開した、子どもが殺されることの不条理さに苦悩する曲「To Kill the Child」に辿ることも可能だと思うが、当時のインタヴューを読んでみると彼は、一本の自作のラジオドラマをインスピレーション源に位置付けている。これまた、子どもが殺される理由を探して旅するひとりの老人と孫を描くという内容で、結局制作はされず、その一部分を曲に転用してアルバムへと発展させたようだ。

 そんな本作は、ピンク・フロイドの『狂気』からも聴こえた心音と時計が鳴る音に乗せて、自身の子ども時代を回想するイントロダクション「When We Were Young」で幕を開け、2曲目の「Déjà vu」では破壊と殺戮と欲望が支配する世の中を眺めながら、〈私が神だったら?〉と自問。自分ならもっとマシな仕事ができたのにと嘆く。続くBBCの海上予報番組の音声を散りばめた「The Last Refugee」は、2015年に溺死した3歳のシリア人難民アイラン・クルディの事件から着想したのか、無事に海を越えて岸辺に佇む子ども描写。これが〈最後の難民〉であって欲しいとの願いを託し、「The Most Beautiful Girl」には、遠く離れた米軍の巡洋艦から発射されたミサイルで亡くなった、イエメン人の少女への想いを込めたのだとか。

 他方でカタストロフィを引き起こす無能なリーダーたちを断罪する曲も目立ち、「Picture That」然り、「Broken Bones」然り。後者では、第二次世界大戦の教訓を無駄にしたことに、現代の全ての問題の根本的原因を見出しているが、この曲で触れている 〈ブルドーザーで家を壊す〉というくだりこそは、イスラエル人によるパレスチナ自治区への入植を示唆するものだろう。当時パレスチナ人の土地が次々に奪われていたことを受けて、2016年末の国連安全保障理事会でイスラエルに入植の即時停止を求める決議が採択されている。この時は日本も賛成しアメリカが棄権したために全会一致で可決したが、今も入植が続いていることは言うまでもない。

 また、トランプ大統領のインタヴューの断片を配した表題曲では、アメリカの警官による殺人やジャーナリストの弾圧など様々な人権侵害や破壊行為を列挙していくのだが、このうちの〈轢き殺された学生〉とは恐らく、2003年にラファへの入植に反対する運動に参加し、イスラエル軍のブルドーザーに轢き殺されたアメリカ人、レイチェル・コリーのことだと推察される。

 このようにしてどこにも希望が見当たらないまま進行していく本作に、ようやく光が差し込むのは、同じメロディが繰り返される、組曲仕立てのラスト3曲だ。まず「Wait For Her」では、パレスチナを代表する詩人マフムード・ダルウィーシュが恋人を待つ男を描いた、美しい詩を英訳して歌詞に引用。続いてインタールードの「Oceans Apart」を挿んで、自らの言葉で綴ったラヴソング「Part of Me Died」でロジャーは、人間の醜さや愚かさを淡々と指摘した末に、"あなたと出会った時にそういう部分が自分の中から消え去った"と歌い、愛の超越的な力を信じてロマンティックにアルバムの幕を閉じるのである。

 あれから7年が経った。しかし哀しいかな、愛の力は及ばず、「もしトラ」という言葉が飛び交い、終わりの見えない戦争/軍事衝突があちこちで進行している2024年の風景にも、本作は驚くほど馴染む。そして、ロジャーは引き続き〈傷つく子どもたち〉に心を寄せている。2023年末にデモの状態で公開した久々の新曲「Under the Rubble」で彼が代弁したのは、母に助けを乞いながら瓦礫の中で息絶える、ひとりのパレスチナ人の子どもの最期の声だった。
(新谷洋子)


【関連サイト】
rogerwaters.com
Roger Waters(YouTube)
『イズ・ディス・ザ・ライフ・ウィ・リアリー・ウォント?』収録曲
1. When We Were Young/2. Déjà Vu/3. The Last Refugee/4. Picture That/5. Broken Bones/6. Is This the Life We Really Want?/7. Bird in a Gale/8. The Most Beautiful Girl/9. Smell the Roses/10. Wait For Her/11. Oceans Apart/12. Part of Me Died

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