音楽 POP/ROCK

ダミア 「暗い日曜日」

2015.11.15
ダミア
「暗い日曜日」
(1936年)


 ハンガリーのピアニスト兼作曲家シェレシュ・レジェーは、ブダペストのレストランでピアノを弾いていた時代にこの曲を書き上げた。1933年のことである。作詞のヤヴォール・ラズロはレストランのオーナーで、レジェーの鬱々として美しいメロディーに厭世的な歌詞をのせた。題名は「悲しい日曜日」。

 録音されたのは1935年。パール・カルマールが歌ったレコードが発売されると、ハンガリー国内でこの曲を聴きながら自殺する者が続出した。ヨーロッパ中に広まり、各国の言語でカバーされるようになってからも自殺者は増え続けたという。「自殺の聖歌」はこうして多くの人の知るところとなった。

 この曲は英語でもロシア語でも日本語でも歌われている。最も有名なのはおそらくダミアがフランス語で歌唱した「暗い日曜日(SOMBLE DIMANCHE)」だ。これは1936年に発表されたが、放送禁止の憂き目にあった。平たく言えば、聴くと死ぬから禁じられたのである。

 シャンソン論を書いている歌人・塚本邦雄の言葉を借りるなら、「江戸末期の新内節も鼻白むやうな原曲由來」だ。数百人とも言われる自殺者の数については諸説あり、はっきりしたことは分かっていないが、そもそもの話として、音楽を聴いたから自殺したと考えることには無理がある。聴くと死にたくなるほど美しい音楽や暗い音楽というのは世の中に少なからずあり、それを行動に移すことはまた別の問題として考えるべきだろう。世の中が不穏なムードに覆われれば、自ずと厭世的傾向も強まる。絶望の到来を間近に感じていた人々の心理的背景を抜きにして、音楽に自殺の責任をなすりつけるのは狂気の沙汰としか言いようがない。

 人生最後の晩餐は何にしますか、という質問はテレビや雑誌などで時折目にするが、人生最後の音楽も、音楽好きなら一度は考えるテーマである。映画『ラストコンサート』(1976年)では、難病を患うヒロインのステラが、自分のために書かれたコンチェルトを聴きながら息絶える。初めてこの映画を観たとき、私は「暗い日曜日」のことを思い出した。そして、たとえ人生が苦しいものであっても、死ぬときに自分の好きな音楽、美しいと感じられる音楽に包まれるのであれば、それはささやかな幸福と言えるのかもしれないと考えた。この考えは今でも変わらない。1930年代に絶望した人が自殺するとき、自分の人生の大事な瞬間を飾るものとして「暗い日曜日」をかけたことは、いわば究極の選択であり、作曲家にとっての名誉とさえ言えるはずだ。

 かつて久世光彦が「マイ・ラスト・ソング」という連載で、こんなことを書いていた。「私の死がついそこまでやって来ているとする。たとえば、あと五分というところまで来ている。そんな末期の刻に、誰かがCDプレーヤーを私の枕元に持ってきて、最後に何か一曲、何でもリクエストすれば聴かせてやると言ったら、いったい私はどんな歌を選ぶだろう」ーーどんなに長い人生を歩み、どんなに多くの曲を知っていても、今際の際に聴くことができるのは一曲のみ。一曲だけなんて冗談じゃない、好きな曲を一斉に流してもらいたいと思う人もいるだろうし、いっそ無音にしてもらいたいと思う人もいるだろう。老衰で意思伝達もままならぬ状態に陥り、「とりあえずこの爺さんは音楽が好きだったから、何か聴かせてあげよう」と勝手に選曲されて、不快な音楽を聴かされながら死ぬのはほとんど拷問である。

 いくら「マイ・ラスト・ソング」が作曲家の名誉だと言っても、シェレシュ・レジェーの場合、それだけでは整理がつかないほど複雑な気持ちであったことは推察できる。ようやく世間に認められたと思ったら、「この曲のせいで多くの人が自殺した」などと言われ、放送禁止になってしまったのだから。この辺のことは、ドイツ・ハンガリー合作映画『暗い日曜日』(1999年)にも描かれている。

 映画は史実をアレンジしたフィクションなので、史実そのものではないが、人間ドラマとして面白く、プロットもしっかりしている(鮮やかな結末にはふれるべきではないだろう)。ヒロインのイロナ役を演じたエリカ・マロジャーンも魅力的だ。人物描写や台詞も真理をついており、いろいろ考えさせられる内容である。例えば、純粋なドイツ人青年ハンスがナチスに入党し、権力を持ちすぎておかしくなり、強欲な悪魔となってブダペストにやって来るあたりは、「人はここまで変わるのか」と思わされるかもしれないが、事実、不相応な権力を持つことでそこまで変わるのが人間なのだ。

 それはまあさておき、映画の中では、作曲者(アンドラーシュという名前になっている)が自殺するが、この部分はフィクションである。本物の作曲者、すなわちレジェー自身は1968年まで生き、68歳で亡くなった。もっとも、飛び降り自殺をしているので、「暗い日曜日」の禍々しいイメージを拭うことにはならないが。

 ヤヴォール・ラズロの歌詞では、亡くなった恋人を悼み、最後に自殺を決意する構成となっている。一方、ジャン・マレーズとユージェーヌ・ゴンダが手がけたフランス語詞では、恋人と別れた女性の苦しみを歌っている。冒頭のコーラスから悲愴の極みだ。コーラスの後、「シャンソンの悲劇女優」の異名を持つダミアが「両腕に花をいっぱい抱えた/私は私たちの部屋へ入った/うらぶれた心で/だって私には分かっていたのだ/あなたはもう来ないだろうと」と歌い出す。ひたすら陰鬱である。ダミアの声も暗いが、コーラスがとにかく物凄い。異様に寒い部屋で蝋燭だけがやたら赤々と燃えているような雰囲気だ。こんなコーラスを聴き続けていたら、どんなにポジティヴな人でも気が滅入る。

 しかし、ダミアのシャンソンは恋を弔う歌、「自分の生命よりもあなたのことを愛していた自分」を弔う歌であり、「苦しさに耐えられなくなったら日曜日に死のう」と歌ってはいるものの、具体的に自殺することを決めたわけではない。それくらい恋に真剣であったこと、その結果として今は辛くて仕方ないという気持ちの度合いを表現しているのだ。少なくとも自殺を推奨する歌ではないのである。メロディーはフォーレの「夢のあとに」にも通じるような美しさを持っているし、強壮剤的な空々しい前向きソングにうんざりしている人の琴線にはふれるだろう。都市伝説の暗示にかかりやすい人にはおすすめしないけど。
(阿部十三)


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