音楽 POP/ROCK

ザ・フー 「恋のピンチ・ヒッター」

2013.04.24
ザ・フー
「恋のピンチ・ヒッター」
(1966年/全英No.5)

 目下、唯一ザ・フーの話題で気が合うと言ってもいい知り合いのフリー・ライター兼編集者さんのA氏曰く「僕は〈substitute〉という英単語をザ・フーのこの曲で知りました」。それに応えて筆者「私は子供の頃に、この単語をミラクルズの〈The Tracks of My Tears〉で覚えましたよ。スモーキーが彼女に向かって『僕が君以外の女の子と一緒にいて楽しそうにやってるように見えても、彼女はその場限りの相手、つまりsubstituteであって、本命は君さ』って歌ってるんですよ」。A氏「異なる洋楽ナンバーですが、お互いに洋楽ナンバーで同じ英単語を覚えた、っていう偶然が面白いですねえ」ーーしかし、それは単なる偶然ではなかったのである。

 とにかく初めてこの曲を聴いた時から〈引っ掛かる〉タイトルではあった。というのも、洋楽ナンバーの歌詞では、〈substitute〉なる単語は滅多に見聞きしないから。しかもザ・フーの場合、それを堂々とタイトルに用い、歌詞の中に種々雑多の〈substitute(身代わり、代用品)〉を矢継ぎ早に登場させている。バンドの曲作りの要であるピート・タウンゼントーー言わずもがなだが、彼に曲作りのヒントを与えた初期のマネージャーのひとり、故キット・ランバートの功績は計り知れないほど大きいーーが綴る歌詞には、ダブル・ミーニングどころかトリプル・ミーニング、果ては彼の自己完結的なものが多く、聴く側には時として理解不能である。取り分け、ピートがインドの神秘家メヘル・バーバーに傾倒するようになってからはその傾向が強く(例:1971年リリースの大傑作『WHO'S NEXT』のオープニングを飾る有名曲「Baba O'Riley」。バーバーの思想が同曲誕生の源になり、タイトルにも彼の名を冠している)、余人には到底理解できない、精神性を湛えた言葉を綴ることが度々あった。史上初のロック・オペラ『TOMMY』(1969年)を今さらここで例に挙げて論ずるまでもないだろう。が、この「恋のピンチ・ヒッター」(面白い邦題だ)を作詞作曲/プロデュースした当時のピートは、まだバリバリのモッズであり、神秘世界や霊的世界といったものとは無縁だったはず。では、彼は何からこの曲のインスピレーションを得たのであろうか?

 偶然は瞬時にして必然に変わった。筆者の手元にあるDVD『THE WHO FROM THE BUSH TO THE VALLEY〜THE KEITH MOON YEARS〜』(2012年)に登場する音楽ジャーナリスト:マルコム・ドーム氏が、「恋のピンチ・ヒッター」について語っている箇所を以下に抜粋してみる。

 Townshend decided to use the word 'substitute' in the title cos he loved the way that Smokey Robinson sang the word 'substitute' in the song 'Tracks of My Tears.'
(タウンゼントは、スモーキー・ロビンソンが「トラックス・オブ・マイ・ティアーズ」の歌詞で〈substitute〉という言葉を用いて歌っているのが気に入って、それを(「恋のピンチ・ヒッター」の)タイトルにしよう、って決めたんだよ)

 現在では、ネット上でも同様のエピソードが散見されるが、筆者はドーム氏の発言で肝要なのは〈THE WAY that Smokey Robinson sang the word 'substitute'〉の箇所だと考える。単に〈ピートがその曲を好きだったから〉では済まされない何かがそこには潜んでいるのでは、と。もうひとつ苦言を呈するなら、ウィキペディアUS版では、この曲は〈後に1971年リリースの『MEATY BEATY BIG & BOUNCY』(注:シングルのA&B面曲を収録したベスト盤)に収録され〉た、となっているが、如何にもお手軽な記述である。実は、それ以前にリリースされた、同ベスト盤以上に選曲の妙が光るシングル曲集『DIRECT HITS』(1968年)にもしっかりと収録されているのだ(A面ラストの6曲目)。無記名の記述に文責はない。よって、鵜呑みにするのは危険。

 さて。数あるザ・フーのライヴ映像の中でも、個人的に最も気に入っているひとつ『LIVE IN TEXAS '75』でもオープニングを飾っていたこの曲は、昔からザ・フーのファンの間で人気が高かった曲のひとつ。ライヴであるから、ステージ上ではレコーディング時のようにピートがイントロをアコースティック・ギターで奏でることはないが、それでも実にライヴ映えする曲である。1970年代の半ばということもあり、さすがにロジャー・ダルトリーは高音部分のキーを下げて歌っているものの、そんなことは全く気にならない。とにかく曲の出来映えが極上だからだ。そして肝心なのは、この曲を彼以外に歌えるシンガーがいない、という点。そう断言してしまえる根拠は、ピートが綴った絶妙な歌詞にある。

 この曲には、手を変え品を変え、様々な〈substitute〉が登場する。曲全体に通底するテーマは、ズバリ〈人や物を見掛けだけで判断するな〉ということ。英語の諺にも〈Don't judge a book by its cover.〉というのがあるではないか。試しに、それらを△=身代わり(代用品、見かけ倒し、上辺)/○=本物(実物、本命、事実)に分けつつ、抜粋して列記してみる。

△人も羨む素敵なカップル/○それほど幸せではないカップル
△曲の主人公の男性が履いている本革の靴/○合成革の靴
△一時しのぎで女性が付き合ってる身代わりの恋人(=曲の主人公)/○彼女の本命の男
△長身の主人公/○実は背が低い主人公(※かかとの高い靴を履いている)【注1】
△年齢の若い主人公/○年齢のサバを読んでいる主人公(※実はもっと年上)
△彼女が口にする愛の言葉/○口からの出任せ(※実際は曲の主人公の男性を愛していない)
△100%白人の主人公の男性/○実はお父さんがブラック【注2】
△主人公が身に着けているカッコいいスーツ/○安い布地で仕立てられたスーツ
△生まれつき恵まれている/○プラスチック製スプーンをくわえて生まれた【注3】
△主人公が手にするグラスの中身=ジン(酒)/○実際はコーク


 僅か4分足らずのシングル曲(注:UKオリジナル盤)の中に、これほど多くの〈substitute〉とその比較実態が登場するのである。一聴しただけでは、すぐさま意味を呑み込むのは至難の業というもの。

 〈この曲はロジャーにしか歌えない〉と断言したが、換言するなら、ピートはロジャーその人を想定した上でこの歌詞を綴ったのだ。その明確な根拠は【注1】にある。これは人口に広く膾炙している話だが、ロジャーは決して長身ではない。一説によると、身長164センチだという。思い返すに、ザ・フーの記念すべきデビュー・アルバム『MY GENERATION』(1965年)のジャケ写が俯瞰図風に撮影されたのも、或いはそのことが一因だったのかも知れない。が、それがどうしたというのだろう。たとえ身長が150センチだろうが何だろうが、彼の声量タップリの歌声あってこそのザ・フーである(筆者は時々、ロジャーの喉が土管に見えてしまう。あの声量は本当に凄まじい)。が、そこはピート特有の洒落。♪僕って背が高く見えるけど、実はヒールの高い靴を履いてんのさ......。当時、ここのフレーズにシビレたザ・フーの女性ファンが無数にいたことだろう。ここの歌詞を〈地で行って〉歌えるロック・シンガーが他にいるだろうか? そして、この曲がヒットしていた当時、〈僕ももう少し身長が高かったら......〉と悩んでいたモッズ少年の多くが、ここの歌詞に励まされたのでは、と想像する。

 問題は【注2】である。ここはピート流のジョークがサラッと込められたフレーズだが、レーベル側が「アメリカで論争を巻き起こす」のを恐れ(確かに人種問題に抵触する表現ではあるが......)、そこの歌詞を無理やり変更させて(変更後は〈前へ向かって歩いているつもりが後ろ向きに歩いている〉という、洒落のカケラもない内容)、更に曲全体のレコーディングをアメリカ向けシングル盤用にやり直させた。結果、3分足らずのUS市場オンリーのシングル・ヴァージョンは、ひどくつまらないものに......。筆者はこの曲のUSシングル盤ヴァージョンを進んで聴きたいとは思わない。尚、先述の『LIVE IN TEXAS '75』では、オリジナルの歌詞のまま歌われている。いっそのこと、当時もUKオリジナル・ヴァージョンと同じかたちでアメリカでシングル・リリースをすれば良かったのに、と思っても、もはや後の祭りではあるが......。

 冒頭に登場したA氏が鋭い発言をした。「やっぱり(【注3】の)〈plastic spoon〉は〈silver spoon〉の『代わり』なんですかね?」と。ご明察! 英語には〈born with a silver spoon(恵まれた星のもとに生まれる)〉という言い回しがあり、まさに【注3】はそれを踏まえてのフレーズである。ロジャーは、1970年代半ば前後のインタヴューで「僕はワーキング・クラス出身だ」と明言しているが、彼がロンドンひいてはイギリスで〈ワーキング・クラスの星〉と称されていることにもうなずける。今なお階級制度が色濃く残るイギリス社会において、ワーキング・クラス出身の彼が頂点まで登り詰めたことは、同クラス出身者にとって間違いなく希望の星であろう。もちろん、ピートはそのことも念頭に入れて【注3】のフレーズを綴ったはずである。ここは、〈born with a silver spoon〉という言い回しを知らなければ、そのひねりの効いた面白さがサッパリ解らない。筆者はザ・フーの歌詞のこういうところに心底シビレる。

 今も通用している邦題「恋のピンチ・ヒッター」は、なかなか気が利いておりーー主人公の男性が、女性の彼氏代わり=ピンチ・ヒッター、という発想だろうーー1960年代ならではの時代性を感じさせる。筆者はこれを、ザ・フーの他のシングル2曲ーー「I Can See For Miles(恋のマジック・アイ)」、「Circles(恋のサークル)」(「Dogs」のB面)ーーと共に〈恋のシリーズ三部作〉と勝手に呼んでいるが、就中、「恋のピンチ・ヒッター」という機転の利いた邦題が気に入っている(しかも中黒〈・〉入り!/これが現代だと、間違いなく中黒ナシのワン・ワード「ピンチヒッター」であろう)。

 不世出のドラマー、キース・ムーンの墓碑盤には、以下のように刻印されている。

 Keith Moon 'WHO' drummer 1946-1978  "There is no substitute"(キース・ムーン。ザ・フーのドラマー。生没年1946-1978。〈彼の代わりは誰もいない=唯一無二の存在〉)
(泉山真奈美)


【関連サイト】
The Who「Substitute」
【執筆者紹介】
泉山真奈美 MANAMI IZUMIYAMA
1963年青森県生まれ。訳詞家、翻訳家、音楽ライター。CDの訳詞・解説、音楽誌や語学誌での執筆、辞書の編纂などを手がける(近著『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』)。翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座マスターコース及び通学講座の講師。