タグ「ジョン・バルビローリ」が付けられているもの

  • 音楽で描かれた14人 エルガーの「ニムロッド」は、英国の式典や葬儀で頻繁に流れている有名曲だ。2012年のロンドン・オリンピック、2021年のフィリップ殿下の葬儀でも演奏されていた。ただ、もともとは祝典のための音楽でも、告別のための音楽でもない。家族や友人のことをイメージしながら書いた『エニグマ変奏曲』の第9変奏にあたる曲である。 『エニグマ変奏曲』は189...

    [続きを読む](2022.09.04)
  • これは天上の生活なのか マーラーの交響曲第4番は1899年から1900年にかけて作曲され、1901年11月25日、作曲者自身の指揮により初演された。第2番「復活」、第3番と同じように、もともと歌曲集『少年の魔法の角笛』に収録されていた曲を転用していることから、3作まとめて「角笛3部作」と呼ばれることもある。 交響曲第4番の最終楽章に使われたのは、『少年の魔法...

    [続きを読む](2021.02.05)
  • 時空の概念を超える モーツァルトの全作品で、私がこれまでに一番多く聴いたのは「ジュピター」である。それは「最後の交響曲」に対して特別な気持ちが働くからでも、何か深遠なメッセージを読み取っているからでもない。聴いていると体が軽くなり、すぐに音楽の世界に入り込み、旋律とハーモニーに浸る悦びを味わえるからである。病気のときも、この音楽を聴くと楽になる。端的に言えば...

    [続きを読む](2017.01.23)
  • 「9番」にふさわしいもの 「作曲家は交響曲第9番を書いた後、生き延びることができない」という迷信を恐れるあまり、マーラーはもともと「第9番」として作曲していた『大地の歌』に番号を与えなかった。そして本来ならば10番目にあたる次の交響曲を「第9番」とすることで、生命の危険を回避することができると考えた。いわゆる「第九のジンクス」である。 この逸話に私はずっと疑...

    [続きを読む](2016.11.27)
  • 「悲愴」と「幻想」 チャイコフスキーの「悲愴」は1893年に書かれた最後の交響曲である。初演は1893年10月28日、作曲者自身の指揮によって行われた。「悲愴」という言葉に込められた真意は分かっていないが、弟のモデストが伝えるところによると、初演の後、作品の標題をどうするか、兄から相談を受けたという。モデストがまず提案したのは「悲劇的」だったが、却下された。...

    [続きを読む](2015.10.07)
  • 世界が未だかつて耳にしたことがないようなもの マーラーの交響曲第3番は全6楽章、演奏時間に90分以上を要する大作である。ただ、渋滞感や退屈な部分は皆無で聴きやすく、最終的には聴き手を大きな幸福感で包み込む。あらゆる雑念を吸収し、世界を高みへと押し上げるような第6楽章の美しさが、この作品に存在する全ての要素を肯定させ、悲しみも苦しみも疲れも忘れさせるのだ。これ...

    [続きを読む](2015.02.25)
  • 人生の頂点にいる間に書かれた交響曲 マーラーの交響曲第5番は、1901年から1902年の間に作曲され、1904年10月18日に初演された。作曲開始から初演までの間に、マーラーはアルマ・シントラーと出会い、結婚した。長女マリア・アンナ、次女アンナ・ユスティーネも授かった。この時期のマーラーは、仕事にも恵まれていた。ただ、だからといって第5番が陽気で明快な作品か...

    [続きを読む](2014.11.07)
  • 巨人の創造物 交響曲第8番は1884年7月から1887年8月10日の間に作曲された。1884年といえば、ブルックナーが交響曲第7番で大成功をおさめ、キャリアの絶頂期を迎えた年である。彼は60歳になっていたが、その創作意欲は衰えることを知らず、ますます横溢していた。それは同年に完成した『テ・デウム』を聴いてもはっきりと分かるだろう。そして3年後、彼は生涯最大規...

    [続きを読む](2013.09.16)
  • 頭上を舞う、16羽の白鳥 1914年5月から6月にかけて、シベリウスはアメリカを訪問し、大歓迎を受けた。これに気を良くした彼は再度訪米することを考えたが、同年夏、第一次世界大戦が勃発したため断念せざるを得なくなる。おまけに自分の作品を扱っているドイツの出版社から収入が入ってこなくなり、不如意な生活を強いられるようになる。しかし、当時のシベリウスの日記を見てみ...

    [続きを読む](2012.05.09)
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