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  •  吉村公三郎監督によると、初めて品川駅で「美しい少女」を見かけた時、「あんな娘が女優だったらなあ」と仕事仲間と語り合っていたという。その後、彼女が松竹大船撮影所でダンスを教えている先生だと知ると、吉村監督とスタッフたちは稽古場に押しかけ、映画に出演するよう口説いた。とはいえ、相手は素人である。演技指導のやり方は、「少し上を向いて、目線は数センチ下にして」と...

    [続きを読む](2020.11.01)
  •  山村聰は俳優として多くの映画に出演しただけでなく、一時は監督としても注目を浴びていた。その点で、歳の近い佐分利信と比較されることもあったが、2人を並べて語るのは難しい。佐分利は戦前から硬派の大スターだった人であり、キャリアの面でも、持ち味の面でも、山村とは異なる。 山村は1910年生まれ。東京帝国大学独文科を卒業後、大阪で演劇の道に進み、「二年足らずで、井...

    [続きを読む](2016.10.01)
  •  桑野通子は1934年から12年間、映画界で活躍した松竹のトップスターである。その美貌と抜群のプロポーションは映画界に入る前から注目の的だったようで、三田高等女学校を卒業した後、森永製菓の初代スウィート・ガールとして活動し、赤坂溜池のダンスホール「フロリダ」のダンサーに転身、客が押し寄せるほどの売れっ子になった。後に共演し、ロマンスを噂されることになる上原謙...

    [続きを読む](2015.07.03)
  • 人のいとなみを見つめる 昔、小津安二郎の映画を観たときは、まず台詞の独特のテンポ、ロー・ポジションのカメラ、空間と人物の統制された構図、衣装や調度品のお洒落さに目がいったものである。ほかの監督の映画と比べて変わっているところに関心が向いたのだ。当時は人物の描き方やストーリーに共感することはほとんどなく、『麦秋』(1951年)も『東京物語』(1953年)もよく...

    [続きを読む](2015.01.21)
  •  戦前の松竹の三羽烏といえば、佐分利信、上原謙、佐野周二である。島津保次郎監督の『婚約三羽烏』(1937年)に出演した3人は、一時期、主役を分け合うようにして多くの名作に出演していた。 この中で、女性のみならず男性も憧れるような風格、貫禄を備えた大スターといえば佐分利信だろう。戦前から戦後にかけて50年以上、現代劇を中心に存在感を示し、後輩スターが台頭してき...

    [続きを読む](2014.02.03)
  •  高峰三枝子は筑前琵琶の高峰流宗家、高峰筑風の長女として生まれた生粋のお嬢様である。17歳の時、父親が亡くなり、家族を養うために映画界入りを決意。1936年に女優デビューし、やがて昭和を代表する名女優になり、半世紀以上にわたって活躍した。「歌う女優」としても有名で、「山の淋しい/湖に/ひとり来たのも/悲しい心」の歌詞で知られる大ヒット曲「湖畔の宿」は彼女の持...

    [続きを読む](2013.08.29)
  •  真面目で妻思いだったはずの農夫が、都会からやってきた女に誘惑され、堕落する。彼は愛人にそそのかされ、妻をボートで連れ出して殺そうとするが、土壇場で思いとどまる。一方、純真な妻は、夫が自分を殺そうとしたことにショックを受け、泣きぬれる。やがて夫は激しい後悔の念に苛まれて改心し、妻も夫を許す。愛の涙の中で仲直りする夫婦。そこへ新たな災いがふりかかるーー。  平...

    [続きを読む](2011.03.31)
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