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小津安二郎について

2015.01.21
人のいとなみを見つめる

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 昔、小津安二郎の映画を観たときは、まず台詞の独特のテンポ、ロー・ポジションのカメラ、空間と人物の統制された構図、衣装や調度品のお洒落さに目がいったものである。ほかの監督の映画と比べて変わっているところに関心が向いたのだ。当時は人物の描き方やストーリーに共感することはほとんどなく、『麦秋』(1951年)も『東京物語』(1953年)もよく分からず、胸のすくような大団円がある『戸田家の兄妹』(1941年)を最も好んでいた。

 考えが変わったのは、30歳手前のことである。松竹から小津安二郎のDVD-BOXが出るということで、出演者の方々に取材するために、リリースされる作品を観直し、その一つ一つに対して、「こんなにすごい映画だったのか」とショックを受けた。昔はそこまで感じられなかったメッセージ性の強さにも驚かされた。さらに、そこから10年を経てまた観直し、小津映画がより深く胸にしみるようになった。つまり、「変わっている」から「すごい」になり、「しみる」になって今日に至る。またこれから10年、20年経てば、違った気持ちが湧いてくるに違いない。そういう意味では一生付き合える映画だと思う。

 小津映画には、別れを描いたものが多い。結婚による親子の別れが最も有名な主題だが、ほかにも、死による別れ、転居による別れなどがある。それは『晩春』(1949年)以降の円熟期に限ったことではなく、『東京の合唱』(1931年)や『青春の夢いまいづこ』(1932年)の時代にも言える。
 別れは悲しい出来事だが、それはどうしても避けることが出来ない。仲の良い悪いに関係なく、人間同士の関係には、別れのときが必ずやってくる。小津はそういった別れの数々を、誇張的表現や甘いセンチメンタリズムを退けながら、人のいとなみとして描き、そこに日本の風景を重ね合わせる。その風景のカットは単に象徴的表現というより、この国に連綿と続く歌心に近い脈絡を持っている。それが海や川であれば、水の流れる様を見ることで、自ずと「行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず」という心境に誘われ、しみじみとさせられる。海や川だけでなく、風の動きも、煙突から出る煙も、近代化が進む都会の景色も、移りゆくもの、変わりゆくもの、新たな訪れを告げるものとして私たちの目に映ずる。

小津映画の台詞

 先に「メッセージ性の強さ」と書いたが、それは声高に叫ばれるのではなく、あくまでも落ち着いた調子から出てくるものである。日常で交わされる会話に、たまに真理をつく言葉が混ざることで、それが妙に印象に残るのだ。最も分かりやすい例として、ここでは『お早よう』(1959年)を引用する。テレビが欲しくてたまらない子供たちが、一向に買ってもらえないことを愚痴ると、父親(笠智衆)に「黙ってろ」と怒られる。臍を曲げた子供たちは、一切口を利かないことに決める。彼らは英語の勉強をしに行った福井(佐田啓二)の家でも黙りこくっている。そこへ子供たちの叔母・節子(久我美子)が訪れ、福井に事情を説明する場面である。

福井「どうしたんです、いったい」
節子「よけいなこと言うなって言われたら、大人だって言うじゃないかって。お早よう、こんばんは、こんにちは、いいお天気ですねって」
福井「ああ、なるほど、そりゃそうだ。だけど、それは誰だって言うな」
節子「そうですわ。誰だって言いますわ」
福井「でも、そんなこと、案外よけいなことじゃないんじゃないかな。それ言わなかったら、世の中、味も素っ気もなくなっちゃうんじゃないですかね」
節子「そうですわ。でも、この子たちには、まだ......」
福井「そりゃ分かりませんよ、そこまではね。でも、無駄があるからいいんじゃないかな、世の中。僕はそう思うな」


 『麦秋』にも、似たようなことが原因で臍を曲げる子供たちが出てくるが、『お早よう』ではそれがクローズアップされている。この映画は、ご近所同士の根も葉もない噂話や子供たちのオナラ遊びなど、「無駄」にあえて焦点を当てたユーモア溢れるものだが、その下地となっているのは、小津の確固たる人間観である。
 彼は『お早よう』について、「人間同士というのは、つまらないことばかりいつも言っているが、いざ大切なことを話し合おうとするとなかなかできない。そんな映画をとってみたかった」と語っている。普段人は核心をつくことばかり話しているわけではない。『彼岸花』(1958年)や『秋刀魚の味』(1962年)で酒を飲みながら女の品評をするおじさんたちの戯れ言のように、取り留めのないことでは話も進むが、咄嗟に何かを主張するときや、人を叱るときは、なかなか理路整然とはいかないものである。『戸田家の兄妹』の次男(佐分利信)が、老母(葛城文子)と三女(高峰三枝子)を盥回しにした家族を一刀両断するときのような胸のすく物言いは、なかなか出来ない。積もり積もった感情があっても、「そうだねえ」とか「そうですかねえ」といった言葉に託すのが精一杯な人はたくさんいる。小津映画の台詞は、そういう人間観を踏まえた上で、ストーリーを展開させるための情報として機能する以上に、言葉の額面を超えたところで気持ちのやりとりが行われる雰囲気を作り出す。ことわっておくが、私は小津映画に「無駄」があるということを言いたいのではない。説明的ではない雰囲気の中、たまに分かりやすい形で核心をつく本音が吐露されるところも含めて、人間の日常の真実に則っていると考えるのである。そのテンポは完璧に計算されており、むしろ無駄なく簡潔である。

「人間生活の歴史の順序」

 自分の本音を吐露するだけでなく、人を説得するために、ひとつの思想が明確に言語化される稀な例もある。『晩春』の終盤、結婚に乗り気でない娘(原節子)は、父親(笠智衆)のことが好きだからずっとそばにいたい、これ以上幸せになれるとは思えない、と訴える。それを父親は退け、噛んで含めるように説いて聞かせる。そこで彼は「人間生活の歴史の順序」という言葉を用いて、幸せとは何かを語る。その幸せとは、娘が親元を離れて結婚し、夫と共に「新しい一つの人生」を創り上げ、困難を乗り越えて「本当の夫婦」になることである。今日では結婚観も変わったし、気の進まない結婚はすべきではないで話は終わるのだが、この父親の台詞が持つ理屈を超えた重みは十分伝わるはずだ。見方を変えれば、父親を愛する娘は、それくらい強く父親に背中を押されることを望んでいたのではないかとも考えられる。

 「人間生活の歴史の順序」とは、端的に言えば、人生を終える順番を意味する。こういう言葉が用いられる例は、『晩春』以降存在しない。説明的な台詞はより平明になり、あるいは、省略されていく。そのため『秋刀魚の味』など、娘(岩下志麻)の結婚が無理に決められているような印象を与えかねない。しかし、小津のいわゆる「花嫁の親もの」は、すべてこの「順序」の思想の上に成り立っている。いや、それらの作品に限らず、古い人たちの人生から新しい人たちの人生へ襷をつなぐという考えは、小津映画の無常観に一種の軽みを与えていると思う。だからこそ、老いた男が若い奥さんをもらうことは「不潔」とされるし、子が親より先に亡くなるパターンーー『早春』(1956年)の三浦(増田順二)、『東京暮色』(1957年)の明子(有馬稲子)などーーになると、救いのなさがあらわになり、トーンが重くなるのである(ちなみに、小津自身は独身を貫き、母が世を去った1年後に60歳で亡くなっている)。
続く
(阿部十三)


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