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  •  山上憶良の歌で最も広く知られているのは、教科書にも載っているこの一首だろう。 山上憶良臣の宴を罷る歌一首憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ それその母も 吾(あ)を待つらむそ(私憶良はもう失礼いたしましょう。子どもが泣いているでしょうし、その母親も私の帰りを待っていることでしょうから) 言うまでもなく、万葉集には名歌が多数収録されている。柿本人麻呂、山部赤...

    [続きを読む](2018.11.17)
  •  『青幻記 遠い日の母は美しく』(1973年)は名カメラマン成島東一郎の監督デビュー作である。舞台は沖永良部島。この中に、病気の母親が子供と海に行き、磯で魚を採るシーンがある。親子水入らずの和やかなひとときだ。 しかし、俄に海の様子が変わり、満潮が始まる。母親は「胸が苦しくて動けません」と言い、助けを呼んできてほしいと子供に頼む。子供を海から離れさせるためで...

    [続きを読む](2016.03.05)
  •  祖父が謡の先生をしていた関係で、子供の頃、能の世界は私の身近にあった。身近にありながら、積極的に観に行こうとしなかったのは、ひとえに能面が苦手だったからである。その能面に魅力があることを説いたのが母親で、物の見方が少し変わり、長じて日本文学を専攻するようになってから、謡のひとつも嗜んでおこうという気持ちになり、祖父に教わった。現在の私は、能とはほとんど無縁...

    [続きを読む](2014.11.29)
  •  石見国(いわみのくに)の妻との別れを詠った長歌もある。「石見相聞歌」だ。こちらは死別ではなく、男が何かの事情で上京しなければならなくなったための別離である。何しろ約1300年前のことなので、いったん遠く離れたら、また再会出来るとは限らない。一時の別れのつもりが一生の別れになることもある。 この長歌の後、「妻依羅娘子」の作とされる歌が出て来ることから、彼女を...

    [続きを読む](2014.02.08)
  •  山本健吉が書いたエッセイの中に「『縁』の思想」と題された短い文章がある。 周知の通り、山本は日本の古典、近代文学、俳句の評論に大きな足跡を残した評論家で、古典を読み解き、現代日本人の心に通じる(もしくは、通じて然るべき)考え方、感じ方を浮き彫りにしたその著書には、示唆に富むものが多い。 1973年1月8日の東京新聞に掲載された「『縁』の思想」は、山本にして...

    [続きを読む](2014.01.04)
  •  高野素十は純写生派の俳人である。『ホトトギス』で活躍していた頃は、いわゆる「四S」の1人として、水原秋桜子、山口誓子、阿波野青畝としのぎを削っていた。ちなみに「四S」という呼称は、1929年に山口青邨が、「この四人は何と言っても今日俳壇の寵児であり流行児であります。東に秋素の二Sあり! 西に青誓の二Sあり!」 といったのを、高濱虚子が「東西の四S」と換言し...

    [続きを読む](2013.06.15)
  •  田中さとみは「スター誕生!」出身の九州美人で、一時期「モーニングサラダ」に出演していたアイドルである。リリースしたシングルは、1984年5月の「私の神様」のみ。作詞は岡田冨美子、作曲は網倉一也である。倉橋ルイ子のアルバム『Rolling 〜哀しみのバラード〜』の5曲目のカバーで、正直、地味な選曲としかいいようがない。ただ、これがよく出来た名曲で、私の記憶に...

    [続きを読む](2013.05.25)
  •  周知の通り、透谷は「人生相渉論争」(1893年)の中心人物でもある。これは山路愛山への論駁から発展した、文学の本質や文学のあるべき姿をめぐる論争だ。愛山は「文章即ち事業なり」とし、世を益することなく、人生に相渉ることのない「文章の事業」は「空の空なるのみ」と説く。これに対し透谷は「人生に相渉るとは何の謂ぞ」を書き、文学は事業を目的としていない、文学は人生に...

    [続きを読む](2013.04.27)
  •  近代批評を確立したといわれる小林秀雄は、1929年に「様々なる意匠」で「批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!」と書いた。この言葉は今も深甚なる影響を私たちに及ぼしているといってよい。ただし、このような批評を意識的に実践したのは、小林が最初ではない。「様々なる意匠」よりも40年近く前に、北村透谷がかなり苛烈なやり方で行い、批評の可能性を押し広げ...

    [続きを読む](2013.04.20)
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