文化 CULTURE

北村透谷 近代批評の源泉

2013.04.20
 近代批評を確立したといわれる小林秀雄は、1929年に「様々なる意匠」で「批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!」と書いた。この言葉は今も深甚なる影響を私たちに及ぼしているといってよい。ただし、このような批評を意識的に実践したのは、小林が最初ではない。「様々なる意匠」よりも40年近く前に、北村透谷がかなり苛烈なやり方で行い、批評の可能性を押し広げることに成功している。
 むろん、人の作品をだしにして自分を語れば批評が成り立つというわけではない。山本健吉もいっているように、大事なのは「語るべき自分を持っているか」である。指標たる存在としての自分がいるか、である。その問いかけを忘れ、小林秀雄の言葉を平面的に受け止めて居直っている批評家は論外である。北村透谷も小林秀雄も指標たる存在としての自分を持ち、時代精神を動かす力を具有していた。少なくとも私はそのように認識している。

 北村透谷は1868年(明治元年)に生まれ、25歳で縊死した詩人であり、小説家であり、批評家である。透谷が書いたもので最も頻繁に引用されるのは、1892年2月に『女學雑誌』に掲載された「厭世詩家と女性」。その書き出しはあまりにも有名である。

「戀愛は人世の秘鑰(ひやく)なり、戀愛ありて後人世あり、戀愛を抽き去りたらむには人生何の色味かあらむ」
(「厭世詩家と女性」)

 「秘鑰」とは秘密を解く鍵のこと。当時の読者の中には、島崎藤村や木下尚江もいた。木下はこの文章から受けた衝撃を「まさに大砲をぶちこまれた様なものであった。この様に真剣に恋愛に打込んだ言葉は我国最初のものと想ふ」と表現している。今の時代、「恋愛」の二文字に新鮮さを覚える人はほとんどいないだろうが、この言葉が明確に市民権を得たのはここからといっても過言ではない。

 数多ある透谷の名言の中で、「戀愛は人世の秘鑰なり」が最も有名というのも象徴的である。なぜなら、彼自身、遊蕩に明け暮れていた10代後半に石坂ミナと出会い、人生を変転させるような恋愛を体験し、その後の文学観、人生観、宗教観を支配されているからである。

「余は既にラブす可き婦人なしと信じて、全く心を此道に絶ちたりし、計らざりきや、僅々一ヶ月許の時間内に於いて余は此最も恐るべきラブの餓鬼道に陥らんとは......」
(「一生中最も惨憺たる一週間」)

 透谷の情熱の烈しさは、1887年8月18日に書かれた石坂ミナ宛の手紙からも十分うかがうことができる。その内容は18歳の壮大な自分論で、とにかく徹底して己の何たるかを延々と表明し、このように締めくくっている。

「我親愛なる石坂嬢よ、斯くまで苦るしき生が心根を察して玉へ、若し友の情あらば」
(「石坂ミナ宛書簡1887年8月18日」)

 世界のラブレター史に残る透谷の暗く燃えるような文章は、単にラブレターであるにとどまらず、批評家としての目覚めを告げるものでもある。彼がここで批評の題材にしているのは、「自分」という人間だ。同時期に書かれた「夢中の詩人」の中では自分のことを「極端の人間」と評し、父快蔵宛の手紙では「生の性質は極めて激烈なり」と評しているが、その極端ぶり、激烈ぶりを隠すことなく露呈し、石坂ミナという読者にぶつけているのが興味深い。
 いうまでもなく、透谷がこんな手紙を書いたのは、石坂ミナという女性の度量をある程度見越していたからである。3歳年上のミナは透谷と対等に対話できる女性で、彼のことを「日本人中の洒落なる人、傲世の客、英雄の末路」(「父快蔵宛書簡」)と評していた。そして、この後、許嫁を捨てて透谷と結婚する。当時の女性としては主張の強い人だったようである。2人の関係はやがて破綻し、それでもなんとか透谷の死まで持ちこたえるものの、もし彼が自殺していなかったら、2人の間の亀裂は深まり離婚していただろう、とみる人もいる。

「拜啓。貴書を得て茫然たること久し。何の意にて書かれたるや一切わからず、おんみに對して敬禮を缺けりといひ、眞の愛を持たずといひ、いろいろのこと前代稀聞の大叱言、さても夫たるはかほどに難きものとは今知れり」
「よしやわれ、このまま病み朽ちて人の笑はれものと成らんとも恨みじ。むしろわが死せしかたはらに一點の花もなかれよ。おんみの語気つねにわが意気地なくして、金を得ること少く、世に出づることの遅く、居るところの幅狭きを責むるごとく聞ゆ」
(「石坂ミナ宛書簡1893年8月下旬」)

 こういう手紙だけで判断するのは危険だが、1893年当時の北村夫妻がどんな風であったかを伝える文章である。冒頭から、怖いくらい純粋な透谷の動揺ぶりがありありと伝わってくる。察するに、2人の関係の主導権を握っていたのはミナなのではないか。
 恋愛を語る上でも、人生を語る上でも、文学を語る上でも、透谷は自分の思考体験や人生体験をベースに、強い語気で主張を唱えていた。その核に相当するミナとの恋愛、すなわち、自分の批評精神の源泉が崩壊しかけた時、「極端の人間」である透谷の心中に激震が走ったことは容易に想像がつく。
続く
(阿部十三)


【関連サイト】
北村透谷 近代批評の源泉 [続き]
北村透谷選集(岩波書店)
「厭世詩家と女性」(青空文庫)

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