柿本人麻呂 石見相聞歌の鑑賞
2014.02.08
石見国(いわみのくに)の妻との別れを詠った長歌もある。「石見相聞歌」だ。こちらは死別ではなく、男が何かの事情で上京しなければならなくなったための別離である。何しろ約1300年前のことなので、いったん遠く離れたら、また再会出来るとは限らない。一時の別れのつもりが一生の別れになることもある。
この長歌の後、「妻依羅娘子」の作とされる歌が出て来ることから、彼女を石見国の妻とする見方もあるが、河内国の人とする説もあり、決定的な資料が見つからないまま今日に至っている。
柿本朝臣人麻呂、石見国より妻に別れて
上り来し時の歌二首ならびに短歌より
石見(いはみ)の海 角の浦廻(うらみ)を 浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚(いさな)取り 海辺を指して 和多津(にきたづ)の 荒磯(ありそ)の上に か青く生ふる 玉藻沖つ藻 朝羽振る 風こそ寄らめ 夕羽(ゆふは)振る 波こそ来寄れ 波の共(むた) か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を 露霜の 置きてし来れば この道の 八十隈(やそくま)ごとに 万(よろづ)たび かへり見すれど いや遠に 里は離(さか)りぬ いや高に 山も越え来ぬ 夏草の 思ひ萎えて 偲ふらむ 妹が門見む 靡けこの山
(大意)
石見の海の角の海辺を、よい浦がないと人は見るだろうが、よい潟がないと見るだろうが、それならそれでよい。たとえ浦はなくとも、潟はなくとも、海辺を目指して、にきたづの荒磯の辺りに青々と生えている玉藻や沖の藻に、朝の鳥が羽ばたくように風が吹き寄せ、夕べの鳥の羽ばたきのように波が打ち寄せる。その波と共にあちこちへ寄る玉藻のように、寄り添って寝た妻を置いてきたので、この道の曲がり目ごとに何遍も振り返るが、いよいよ遠く妻の里は離れてしまった。いよいよ高く山を越えてしまった。妻は夏草の萎れるように私をしのんでいるだろう。妻の家の門口が見たい。平らになれ、この山よ。
短歌二首
石見のや 高角山(たかつのやま)の 木の間より 吾が振る袖を 妹見つらむか
(石見の国の高角山の木の間から私が振った袖を、妻は見ただろうか)
笹の葉は み山もさやに さやげども 吾は妹思ふ 別れ来ぬれば
(笹の葉が音を立てて山路に吹き乱れているが、私の心は乱れることなく妻を思っている。別れて来たので)
「石見の海」から「玉藻なす」までの23句が「寄り寝し妹を」にかかるという異様な構成である。藻の動きに女性の媚態を重ねることは無論可能だろう。
「妹」の字が出てきたところから調子が切り替わり、山を越えたところで一気に感情を高揚させ、最後、「靡けこの山」という強い言葉でしめくくる。感情をためるだけためて、ここぞという時に爆発させる人麻呂の長歌。その魅力を味わうには最高の作品である。単なるセンチメンタリズムに陥らず、技巧が先走って鼻につくこともなく、格調と気品を失うことがない。短歌「笹の葉は〜」も、「さ」と「や」を活かし、音とリズムへの細やかな配慮を感じさせる秀歌である。
石見の国の妻との別れを歌った、「つのさはふ」で始まるもう一首の長歌の方は、やや趣が異なる。ここでは引用しないが、枕詞の趣向に凝っていて、その一方で、「心を痛み」や「惜しけども」や「通りて濡れぬ」など自身の感情を表現する方法が直接的になっている。言葉選びの面白さと、様式から漏れ出る情味に惹かれる作品である。
物議を醸した『水底の歌 ー柿本人麿論ー』の中で、梅原猛はこれを上京に際した男の歌ではなく、受刑者として死地に赴く男の歌として解釈した。単に上京するだけなのに、ここまで悲しい歌になるわけがない。自分がまもなく死ぬことを知っていたから、もう会えないと分かっていたから、「わが国の文学史上において、もっとも悲しい別れの歌」を作ることが出来たのではないか、というのである。
しかし、誰か大事な人と別れる時、「もう会えないかもしれない」という感情に襲われるのは珍しいことではない。こういう気持ちは、旅行が容易になった現代でも変わらず私たちの胸に去来するのではないか。「泣血哀慟歌」と「石見相聞歌」のどちらが先に書かれたものかは分からないが、仮に「泣血哀慟歌」の方が先だとしたら、愛する者の予期せぬ死に見舞われた過去を持つ人麻呂には、喪失に対する強い意識があったはずである。長き不在を前に、「石見相聞歌」のような調子を帯びるのは必然であろう。
私がここで取り上げた長歌は、いずれも「別れ」という大きなテーマを持っているが、もうひとつ共通していることがある。「見えないものを見ようとする」作者の態度だ。市場の雑踏で妻を探して袖を振ったり、険しい山を踏み分けて妻を探したり、見えなくなった妻の家の門口を見たいがために「靡けこの山」と念じたりするのは、「見たい」という切実な欲求から生じていることである。
つまり、これら美しい歌の源泉になっているのは、いなくなったけど近くに感じていたい、失われてしまったけど忘れられない、という気持ちである。今見えていることを書いているのではなく、見えていないことを書いているのである。
悲しい、むなしい、寂しい、といった身に迫る感情に様式を与え、昇華させ、整理する時、人麻呂は言霊に助けられ、とてつもない能力を発揮する。それは女性との別れに限らず、廃墟を歌う時も、若くして亡くなった草壁皇子を歌う時も、同じである。
人麻呂のことを「御用詩人」と評する人もいるが、そういう言霊を味方にする能力があったからこそ、当代随一の御用詩人たり得たことを見落としてはならない。また、かつて山本健吉が指摘したように、御用詩人の立場にあったことが、当時「詩人」であることを可能ならしめたのである。自分の表現を開拓し、力量を知らしめる機会を得ることも出来たのである。そして、約1300年後の読者を感興で満たすような歌を遺し得たのだ。
「泣血哀慟歌の鑑賞」の冒頭に書いたように、柿本人麻呂の研究は完結していない。梅原猛は『水底の歌 ー柿本人麿論ー』を書くことで人麻呂の固定イメージに一石を投じたが、これで謎が解けたわけではない。この歌聖は、今なお鏡のような存在であり続けている。つまり、研究する人、解釈する人の性格や才能や人生経験を映してみせるのだ。いずれまた柿本人麻呂について書くこともあると思うが、その人物像に迫るためには、私自身、修養を積まねばなるまい。
【関連サイト】
『日本の古典を読む 万葉集』(書籍)
柿本人麻呂 泣血哀慟歌の鑑賞
この長歌の後、「妻依羅娘子」の作とされる歌が出て来ることから、彼女を石見国の妻とする見方もあるが、河内国の人とする説もあり、決定的な資料が見つからないまま今日に至っている。
柿本朝臣人麻呂、石見国より妻に別れて
上り来し時の歌二首ならびに短歌より
石見(いはみ)の海 角の浦廻(うらみ)を 浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚(いさな)取り 海辺を指して 和多津(にきたづ)の 荒磯(ありそ)の上に か青く生ふる 玉藻沖つ藻 朝羽振る 風こそ寄らめ 夕羽(ゆふは)振る 波こそ来寄れ 波の共(むた) か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を 露霜の 置きてし来れば この道の 八十隈(やそくま)ごとに 万(よろづ)たび かへり見すれど いや遠に 里は離(さか)りぬ いや高に 山も越え来ぬ 夏草の 思ひ萎えて 偲ふらむ 妹が門見む 靡けこの山
(大意)
石見の海の角の海辺を、よい浦がないと人は見るだろうが、よい潟がないと見るだろうが、それならそれでよい。たとえ浦はなくとも、潟はなくとも、海辺を目指して、にきたづの荒磯の辺りに青々と生えている玉藻や沖の藻に、朝の鳥が羽ばたくように風が吹き寄せ、夕べの鳥の羽ばたきのように波が打ち寄せる。その波と共にあちこちへ寄る玉藻のように、寄り添って寝た妻を置いてきたので、この道の曲がり目ごとに何遍も振り返るが、いよいよ遠く妻の里は離れてしまった。いよいよ高く山を越えてしまった。妻は夏草の萎れるように私をしのんでいるだろう。妻の家の門口が見たい。平らになれ、この山よ。
短歌二首
石見のや 高角山(たかつのやま)の 木の間より 吾が振る袖を 妹見つらむか
(石見の国の高角山の木の間から私が振った袖を、妻は見ただろうか)
笹の葉は み山もさやに さやげども 吾は妹思ふ 別れ来ぬれば
(笹の葉が音を立てて山路に吹き乱れているが、私の心は乱れることなく妻を思っている。別れて来たので)
「石見の海」から「玉藻なす」までの23句が「寄り寝し妹を」にかかるという異様な構成である。藻の動きに女性の媚態を重ねることは無論可能だろう。
「妹」の字が出てきたところから調子が切り替わり、山を越えたところで一気に感情を高揚させ、最後、「靡けこの山」という強い言葉でしめくくる。感情をためるだけためて、ここぞという時に爆発させる人麻呂の長歌。その魅力を味わうには最高の作品である。単なるセンチメンタリズムに陥らず、技巧が先走って鼻につくこともなく、格調と気品を失うことがない。短歌「笹の葉は〜」も、「さ」と「や」を活かし、音とリズムへの細やかな配慮を感じさせる秀歌である。
石見の国の妻との別れを歌った、「つのさはふ」で始まるもう一首の長歌の方は、やや趣が異なる。ここでは引用しないが、枕詞の趣向に凝っていて、その一方で、「心を痛み」や「惜しけども」や「通りて濡れぬ」など自身の感情を表現する方法が直接的になっている。言葉選びの面白さと、様式から漏れ出る情味に惹かれる作品である。
物議を醸した『水底の歌 ー柿本人麿論ー』の中で、梅原猛はこれを上京に際した男の歌ではなく、受刑者として死地に赴く男の歌として解釈した。単に上京するだけなのに、ここまで悲しい歌になるわけがない。自分がまもなく死ぬことを知っていたから、もう会えないと分かっていたから、「わが国の文学史上において、もっとも悲しい別れの歌」を作ることが出来たのではないか、というのである。
しかし、誰か大事な人と別れる時、「もう会えないかもしれない」という感情に襲われるのは珍しいことではない。こういう気持ちは、旅行が容易になった現代でも変わらず私たちの胸に去来するのではないか。「泣血哀慟歌」と「石見相聞歌」のどちらが先に書かれたものかは分からないが、仮に「泣血哀慟歌」の方が先だとしたら、愛する者の予期せぬ死に見舞われた過去を持つ人麻呂には、喪失に対する強い意識があったはずである。長き不在を前に、「石見相聞歌」のような調子を帯びるのは必然であろう。
私がここで取り上げた長歌は、いずれも「別れ」という大きなテーマを持っているが、もうひとつ共通していることがある。「見えないものを見ようとする」作者の態度だ。市場の雑踏で妻を探して袖を振ったり、険しい山を踏み分けて妻を探したり、見えなくなった妻の家の門口を見たいがために「靡けこの山」と念じたりするのは、「見たい」という切実な欲求から生じていることである。
つまり、これら美しい歌の源泉になっているのは、いなくなったけど近くに感じていたい、失われてしまったけど忘れられない、という気持ちである。今見えていることを書いているのではなく、見えていないことを書いているのである。
悲しい、むなしい、寂しい、といった身に迫る感情に様式を与え、昇華させ、整理する時、人麻呂は言霊に助けられ、とてつもない能力を発揮する。それは女性との別れに限らず、廃墟を歌う時も、若くして亡くなった草壁皇子を歌う時も、同じである。
人麻呂のことを「御用詩人」と評する人もいるが、そういう言霊を味方にする能力があったからこそ、当代随一の御用詩人たり得たことを見落としてはならない。また、かつて山本健吉が指摘したように、御用詩人の立場にあったことが、当時「詩人」であることを可能ならしめたのである。自分の表現を開拓し、力量を知らしめる機会を得ることも出来たのである。そして、約1300年後の読者を感興で満たすような歌を遺し得たのだ。
「泣血哀慟歌の鑑賞」の冒頭に書いたように、柿本人麻呂の研究は完結していない。梅原猛は『水底の歌 ー柿本人麿論ー』を書くことで人麻呂の固定イメージに一石を投じたが、これで謎が解けたわけではない。この歌聖は、今なお鏡のような存在であり続けている。つまり、研究する人、解釈する人の性格や才能や人生経験を映してみせるのだ。いずれまた柿本人麻呂について書くこともあると思うが、その人物像に迫るためには、私自身、修養を積まねばなるまい。
(阿部十三)
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柿本人麻呂 泣血哀慟歌の鑑賞
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