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北村透谷 近代批評の源泉 [続き]

2013.04.27
 周知の通り、透谷は「人生相渉論争」(1893年)の中心人物でもある。これは山路愛山への論駁から発展した、文学の本質や文学のあるべき姿をめぐる論争だ。愛山は「文章即ち事業なり」とし、世を益することなく、人生に相渉ることのない「文章の事業」は「空の空なるのみ」と説く。これに対し透谷は「人生に相渉るとは何の謂ぞ」を書き、文学は事業を目的としていない、文学は人生に相渉ることを必須としていない、と批判する。
 これだけだと芸術至上主義と実利主義の対立にしか見えないが、透谷の文学観はもう少し壮大で入り組んでいる。それを理解するには、透谷の人間観、生命観をきちんと知っておく必要がある。

 1892年9月に発表された「各人心宮内の秘宮」や島崎藤村を感激させた「心機妙變を論ず」を読んでもわかるように、透谷は「心」というものに対して独自の見解を持っていた。

「心に宮あり、宮の奥に更に他の宮あるにあらざるか。心は世の中にあり、而して心は世を包めり、心は人の中に存し、而して心は人を包めり」
(「各人心宮内の秘宮」)

 キリスト教を論じながら、透谷はこの秘宮の存在に焦点を絞っていく。そして最後に、「人須らく心の奥の秘宮を重んずべし」と主張する。
 「心機妙變を論ず」も、心の神秘がテーマである。何かのきっかけで人がそれまでとは別人のようになる現象は、どのようにして起こるのか。その秘密を解く鍵は何なのか。ここでは「鬼物の神力」、「一瞬時の發露刀」、「心機妙變」、「神意」といった言葉が用いられている。

 これらの言葉を検証して私なりにまとめると、心の奥の秘宮とは宇宙や神の世界とつながっているものだ、という論が導き出される。実際、1893年1月に発表された別の原稿には次のような言葉が刻まれている。

「心と宇宙とは其距離甚だ遠からざるなり、觀ずれば宇宙も心の中にあるなり」
(「心の死活を論ず」)

 秘宮は、いわゆる無意識ともひと味違う。「秘」という言葉を遣っていることからも分かるように、宗教的なニュアンスが強い。とはいえ、ヨーロッパで無意識の世界にメスが入れられた時期とそれほど変わらないことを考えると、単なる偶然の一致以上のものを感じずにはいられない。後のユングと絡めて考えてみるのも面白そうである。

 1893年5月、『文学界』に掲載された「内部生命論」は、透谷思想の集大成だ。ここで彼は「根本の生命」、「内部の生命」という言葉を持ち出し、その重要性を説いているが、これらは心の秘宮と密接な関係を持っている。

「道は邇(ちか)きにありと言ひたるもの、即ち、人間の秘奥の心宮を認めたるものなり。霊魂不朽を説きたるもの、即ち生命の泉源は人間の自造的にあらざるを認めたるものなり。内部の生命あらずして、天下豈、人性人情なる者あらんや。インスピレーションを信ずるものにあらずして、眞性の人性人情を知るものあらんや」
(「内部生命論」)

 そして、人間の可能性を追求する透谷の思考は、インスピレーションを定義することで極みに達する。

「畢竟するにインスピレーションとは宇宙の精神即ち神なるものよりして、人間の精神即ち内部の生命なるものに對する一瞬の感應に過ぎざるなり。吾人の之を感ずるは、電気の感應を感ずるが如きなり、斯の感應あらずして、曷(いづく)んぞ純聖なる理想家あらんや。この感應は人間の内部の生命を再造する者なり、この感應は人間の内部の経験と内部の自覺とを再造する者なり」
(「内部生命論」)

 インビジブルな精神の領域を重んじ、インスピレーションの尊さを説く透谷にとって、山路愛山の考え方は到底受け入れがたいものだった。周囲からどう思われようと、透谷はあくまでも「心」や「情熱」に執着した。文章のみならず、その文章を書かせた作者の心の状態に対しても独自の評価基準があった。「いかに深遠なる哲理を含めりとも、情熱なきの詩は活きたる美術を成し難し」(「情熱」)や、「人の目的は木偶になるにあらず、センスを完全(まっとう)して、誘惑に抗するの力を養ふにあり」(「心の経験」)などの言葉も、そういう透谷の境地を示している。

 「楚囚之詩」を出版したのが1889年4月、自宅の庭で自殺したのが1894年5月なので、文学者としての透谷の活動期間は5年間にすぎない。そのうちピークといえるのは、1892年2月の「厭世詩家と女性」から、1893年5月の「内部生命論」までの1年あまりといってよい。その間、透谷は文字通り内なる生命のエネルギーをペンに注ぎ込み、彼だけにしか書けないことを、彼だけにしか成し得なかった方法で書いて世を去った。

 透谷の批評文には強い言葉が溢れている。それも明治20年代にはまだ目新しかった言葉ばかりである。そして、多くの場合、原稿の冒頭に印象的な導入がある。名文句も多い。その文章が有する熱い生命は、今も読者に感銘を与え続けている。ただし、理路整然とはしていない。物凄いものをあるがままに噴出させたいという欲求が、既存の言葉の選択肢を上回っている印象がある。そこを丁寧に読みほぐしていくと、近代批評の源泉としての透谷の偉大な個性が見えてくるはずだ。
(阿部十三)


【関連サイト】
北村透谷 近代批評の源泉
北村透谷選集(岩波書店)
「内部生命論」(青空文庫)

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