音楽 POP/ROCK

ザ・ドアーズ 「ハートに火をつけて」

2011.03.01
ザ・ドアーズ
「ハートに火をつけて」
(1967年/全米No.1、全英No.7)

 芸術と称される世界――美術、音楽、文学......etc.――では、早世したアーティストや作家が、ある種、伝説化もしくは神格化される傾向が強い。ドアーズの中心人物だったジム・モリスンもまた、27歳の若さで客死した(1971年7月31日にパリにて急死)。
 もともと詩人を目指していたというだけあって、モリスンが綴った歌詞には抽象的で難解なものが多い。この曲の歌詞の大半を作ったのは、グループのギタリストだったロビー・クリーガーだが、モリスンも部分的にペンを執ったと言われている。10数年前、筆者がタクシーに乗った際、たまたまカー・ラジオからこの曲が流れてきて、それまでほぼ無言で運転していたドライバーがいきなり「おっ! ドアーズだ! 自分はこの曲が大好きなんですよ。『ハートに火をつけて』......懐かしいですねえ」としみじみ語っていたことを思い出す。年恰好からいって、50代前半ぐらいの男性ドライバーだったが、恐らく若い頃にロック・ミュージックが好きだったのだろう。その時、「ハートに火をつけて」という邦題の浸透度の高さを思い知らされた。

 が、実は、原題《Light My Fire》の「my fire」は「自分のハート」ではない。この曲がヒットした頃の時代背景を考えてみると、ヒッピー文化と切っても切れない関係にあることが判る。ドアーズはL.A.で結成されたが、近隣のサンフランシスコで勃興したサイケデリック文化(=端的に言えば、LSDなどの麻薬による幻覚作用によって生まれた音楽、芸術、ファッションなど)に裏打ちされたヒッピー文化は、瞬く間にL.A.にも伝播した。そんな時代に発表されたこの曲がヒッピー文化を背景に持つことは、論を俟たない。そう、「火をつけ」るのは「ハート」ではなく、いずれかの麻薬なのだ。

 モリスンが綴ったとされる歌詞の一部には、意外なことに『新約聖書』の一節から拝借したフレーズが含まれている。それは、♪No time to wallow in the mire...の部分。出典は「ペトロの第二の手紙」第2章20〜22節:「彼らが、主また救主なるイエス・キリストを知ることにより、この世の汚れからのがれた後、またそれに巻き込まれて征服されるならば、彼らの後の状態は初めよりも、もっと悪くなる/義の道を心得ていながら、自分に授けられた聖なる戒めにそむくよりは、むしろ義の道を知らなかった方がよい/ことわざに、「犬は自分の吐いた物に帰り、豚は洗われても、また、どろの中にころがって行く」とあるが、彼らの身に起ったことは、そのとおりである」(改定前の欽定版『聖書』より)。この「どろの中にころがって」の部分が、「ハートに火をつけて」に引用されているのだ。英語圏の熱心なクリスチャンならば、すぐさまそのことに気付くかも知れないが、悲しいかな、非英語圏で非クリスチャンの人々は、そのフレーズが『新約聖書』をもとにしているなどとは夢にも思わないはず。では、「ハートに火をつけて」は、そこをどう引用して何を表現しようとしているのか? 意訳するならば「短い人生なんだから、せいぜい楽しくやろうぜ」となるだろうか。そのように解釈すれば、♪No time to wallow in the mire...は非常に刹那的なフレーズである。

 死の前年にモリスンはバンドを脱退し、それに伴いドアーズの人気も急降下した。そしてモリスンは生き急ぎ、夭折の天才アーティストとして、今に語り継がれている。彼の死因は諸説紛々だが、「火をつけ」過ぎたがための麻薬依存症がその一端であったことは、衆目の一致するところであろう。

【関連サイト】
THE DOORS(英語)
ザ・ドアーズ『ハートに火をつけて』