映画 MOVIE

アンリ=ジョルジュ・クルーゾー 〜扉の向こうは地獄〜

2015.02.19


clouzot a3
 アンリ=ジョルジュ・クルーゾーの作品では、扉や門が凶兆を告げるシンボルとして用いられる。それは、単独でメガフォンを取った初の長編映画(それまでは共同監督で長編を数本撮っていた)『犯人は二十一番街に住む』(1942年)から一貫している。この映画は酒場のドアが開くカットで始まり、その後、殺人事件が次から次へと起こる。次作『密告』(1943年)では、墓地の門が開いた後、まがまがしい物語が始まる。『犯罪河岸』(1947年)では、ストーリーと関係のない2人の女優が階段を上がり、ドアを開けるシーンが冒頭に置かれている。妻ジェニー(シュジ・ドレール)の浮気現場を押さえるべくモーリス(ベルナール・ブリエ)が聖マルソー館の扉を開け、ブリニヨン(シャルル・デュラン)の遺体を発見するシーンも象徴的である。『情婦マノン』(1949年)でも、爆撃を逃れた夜、無人の民家のドアが開かなければ、マノン(セシル・オーブリー)とロベール(ミシェル・オークレール)の地獄のような愛の物語は始まらなかっただろう。

 カンヌ国際映画祭とベルリン国際映画祭を制覇した『恐怖の報酬』(1953年)は、トラックでニトログリセリンを運ぶ屋外シーンが印象に残るが、この映画でも登場人物の運命を決する出来事を告げるのはドアである。トラックの運転手に選ばれた4人のうちの1人、スメルロフ(ヨー・デスト)が約束の時間になっても来ない。そのとき足音が聞こえる。ドアが一瞬だけ映される。ドアを見守るマリオ(イヴ・モンタン)たち。しかし姿を現したのはスメルロフではなく、運転手の選考に漏れたジョー(シャルル・ヴァネル)である。この瞬間から地獄が始まる。
 『恐怖の報酬』に並ぶ代表作『悪魔のような女』(1955年)では、冒頭、車に乗った校長のミシェル(ポール・ムーリッス)が学校に戻ってくるシーンで校門が開く。ブリジット・バルドー主演作『真実』(1960年)では、まず格子の張り巡らされた空間と螺旋状の階段が映し出され、そこを看守が上ってゆき、房の扉を開ける。
 扉や門の向こう側にあるのは、ひとことで言えば地獄の物語である。それも多くの場合、愛の地獄である。彼はかつて「フランスのヒッチコック」と言われたが、それはあくまでもサスペンス映画の達人としての部分的な評でしかない。彼はサスペンスの監督であると同時に、愛の地獄を徹底して描く監督である。『情婦マノン』と『真実』はその代表だが、嫉妬深い夫の受難劇と言える『犯罪河岸』も、ホモセクシュアル的な『恐怖の報酬』も、歪んだ三角関係の『悪魔のような女』も同じである。



 愛に囚われた人間の精神状態を表す際、クルーゾーが好んで用いるのは、柵や格子だ。これが「檻」のメタファーであることは言うまでもない。時には、『犯罪河岸』のように鉄格子そのものが出てくることもある。『恐怖の報酬』では、ジョーの魅力に惹かれたマリオが、ルイジ(フォルコ・ルリ)と絶交した直後、酒場のロートアイアンが映る。これはクルーゾーの映画でよく目にするタイプの模様で、檻を想起させる。カメラはさらに移動し、酒場の隅で煙草を吸うマリオとジョーの姿をとらえる。2人が逃れられない絆の檻の中にいることを示しているのだ。
 このような「檻」のメタファーは、遺作『囚われの女』(1968年)でより分かりやすい形で示されている。映画の舞台はモダンアートの世界。アーティストを夫に持つジョゼ(エリザベート・ウィネル)は、拘束された女の写真を趣味で撮っている不能の青年美術商スタン(ローラン・テルジェフ)に興味を抱き、撮影現場に立ち会うが、その雰囲気に当惑して逃げ出す。倒錯的な世界にのめり込みそうな自分自身が怖くなったのである。しかし、どうしようもなくスタンに惹かれているジョゼは、翌日、意を決して彼のギャラリーを訪ね、階段を上り、オフィスのドアを開ける。これもまた「ドアを開ける」パターンである。そこでスタンが縦縞風の柄のモダンアートを手にして、人妻ジョゼに向かって言う。「美しいだろ、檻のようだ」ーーこの台詞の後、ジョゼは檻のような柵のオブジェを通過し、スタンのオフィスの奥に足を進める。その時点から本格的な「調教」が始まる。
 余談だが、ジョゼとスタンの愛が高まる場面で流れるのはマーラーの交響曲第4番。マーラーも愛の地獄を体験した作曲家である。

作風

clouzot a5
 一般的に、クルーゾー作品の特徴として挙げられるのは、ラストの意外性である。「この結末は誰にも話さないでください」で有名な『悪魔のような女』に限らず、ほかの作品でも終盤にあっと驚くような展開が待ち受けているのだ。そのため、ストーリーの説明をする際は慎重でなければならない。サスペンスではない『情婦マノン』も然りである。月並みなフランス映画であれば、逃亡中のロベールとマノンが船長に逃がしてもらい、なんとなく余韻を残した状態で「FIN」となるところだが、クルーゾーはそこで終わらせず、一度観たらそれこそ一生忘れられないようなラストシーンを用意する。
 もうひとつの特徴は、緊張を高める即物的な空気感である。『スパイ』(1957年)に出て来る登場人物や精神病院に漂う雰囲気は、その最たる例と言ってよい。『犯罪河岸』で精神的に追いつめられた哀れな夫を描くときも、『情婦マノン』でマノンが涙を見せるときも、全く湿っぽくならない。役者の扱いはどこか即物的で、特定の人物を美しく撮ろうとか、格好良く撮ろうという作為とはーー少なくとも『真実』でブリジット・バルドーを撮るまではーー距離を置いているように見える。『恐怖の報酬』を観るだけでも、役者のことを肉体的かつ精神的に酷使するタイプの監督だったことがうかがえる。ジョルジュ・ヴァン・パリスが作曲した『悪魔のような女』のあまりにも恐ろしい音楽は、子供たちのぶっきらぼうで調子外れの合唱が登場し、それが大音量のオルガンと重なるところで最高潮に達するが、このように非人格的な声楽の扱い方も、クルーゾーの好みだったに違いない。

再び扉

 しかし、私が常に気になるのは、先にも挙げた扉や門の存在である。このシンボルのルーツは果たして何なのか。
 答えは『犯人は二十一番街に住む』の中にある。21番街のミモザ館という下宿屋に犯人がいると知ったヴェンス(ピエール・フレネー)は、牧師に変装して館に潜入する。彼は「教会の会議でパリに来たのです」と嘘をつき、なぜミモザ館を宿泊先に選んだのか、軽快な調子で次のように説明する。
「こちらへ参ったのは神のお導き。ありがたい偶然とも申せますな。聖書を読みつつモンマルトルを下ると、『扉を叩け』の節に目が止まり、その言葉に従うと扉が開きました」
 このような設定や台詞はS=A・ステーマンの原作本には存在しない。クルーゾーの創作である。問題の節は「マタイによる福音書」からの引用で、フランス語で言うと、「frappez, et l'on vous ouvrira.(叩け、さらば開かれん)」となる。この「叩け」の対象を、クルーゾーはむごたらしい殺人事件が起こる館の扉にあてた。つまり、地獄の扉を意味するものとして用いたのである。以後の映画に出て来る扉も、いわばその応用である。もし自分の意志で扉を叩けば、それ相応の報いを受ける。いかなる者も無傷で地獄を通過することは出来ない。にもかかわらず、扉を開けてしまうのが人間なのである。
(阿部十三)


【関連サイト】
Henri-Georges Clouzot
Henri-Georges Clouzot(Blu-ray、DVD)
[アンリ=ジョルジュ・クルーゾー略歴]
1907年11月20日、フランスのニオール生まれ。ドイツの映画会社でフランス語版の製作に携わり、1930年代から脚本家を書き、1931年に短編映画を監督。その後、ヨーエ・マイ等との共同監督作を経て、1942年に『犯人は二十一番街に住む』で単独監督としてデビュー。『密告』『犯罪河岸』をヒットさせた後、『情婦マノン』でヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞。1953年、『恐怖の報酬』でカンヌ国際映画祭グランプリ、ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞。パブロ・ピカソのドキュメンタリー、ヘルベルト・フォン・カラヤンの音楽映像作品等でも多才ぶりを発揮した。1977年1月12日、パリにて死去。『恐怖の報酬』『悪魔のような女』『スパイ』に出演した夫人、ヴェラ・クルーゾーは1960年12月15日に心臓発作で亡くなっている。
[主な監督作品]
1942年『犯人は二十一番街に住む』/1943年『密告』/1947年『犯罪河岸』/1949年『情婦マノン』/1953年『恐怖の報酬』/1955年『悪魔のような女』/1956年『ミステリアス・ピカソ』/1957年『スパイ』/1960年『真実』/1964年『地獄』(未完)/1968年『囚われの女』