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加藤泰 〜彼らが戦う理由〜

2020.05.15
美しさと力強さと情緒

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 日本映画の斜陽期と言われた厳しい時代に、時代劇の伝統を守りながら独自の演出スタイルを貫き、数々の傑作を世に送り出したのが加藤泰である。東映の監督なので、大衆向きの映画を多く手掛けているが、安易に作られた駄作はない。どんな題材であっても妥協せず、美しさと力感と情緒に溢れた作品に仕上げるのが彼の信条だ。

 代表作を5本挙げるなら、中村錦之助主演の『風と女と旅鴉』(1958年)、『沓掛時次郎 遊侠一匹』(1966年)、鶴田浩二主演の『明治侠客伝 三代目襲名』(1965年)、安藤昇主演の『男の顔は履歴書』(1966年)、藤純子主演の『緋牡丹博徒 お竜参上』(1970年)だろうか。「男の映画」を得意とした監督というイメージが何となくあるが、実際は女性を撮るのも上手く、緋牡丹博徒シリーズや『骨までしゃぶる』(1966年)、『日本侠花伝』(1973年)では女の生きざまを力強いタッチで描いてみせた。

 もともとは理研科学映画や満州映画協会で記録映画を撮っていたが、戦後大映に入社し、伊藤大輔の『王将』(1948年)や黒澤明の『羅生門』(1950年)の助監督を務め、腕を磨いた。のちに加藤の特徴となる完全主義的なリアリズム、繊細かつ劇的な感情表現、社会からはみ出した者への目線は、こうしたキャリアから得たものとみていいだろう。

加藤泰の手法

 ローアングルを多用するのも、加藤の特徴だ。低い位置から仰角で室内を撮る時、天井から吊り下がった灯りが映り込む。これが情緒的で良い。その室内から太陽の下に出た時に生じる開放感も、ローアングルでは格別のものとなる。汽車が走るところを下から捉えたアングルも多い。これはダイナミックな効果を生むだけでなく、主人公たちが徹底的に踏み付けにされることを示すメタファーとしても機能しているように感じられる。

 橋を好んで撮るのも加藤流である。『沓掛時次郎 遊侠一匹』は橋に始まり、橋に終わる。『骨までしゃぶる』では、洲崎の遊女として生活が橋を渡ることで始まり、橋を渡ることで終わる。『緋牡丹博徒 お竜参上』には、ファン全員が胸を熱くした「雪の今戸橋」のシーンがある。遺作となった『ざ・鬼太鼓座』(1981年)でも、「佐渡おけさ」のパフォーマンスで橋を使い、幻想的な雰囲気を出している。

 顔のクローズアップも多く、人物たちの表情から深い感情が伝わってくる(多いといっても、くどくならない程度である)。エロスを表現する際にもアップが使われる傾向がある。一例を挙げると、『真田風雲録』(1963年)のラブシーン。ここで、渡辺美佐子演じる霧隠才蔵の唇が突然アップで映されるカットには、ドキリとさせられる。ちなみに、極端なローアングルとクローズアップは、セルジオ・レオーネのマカロニ・ウエスタンで見慣れた手法だが、加藤泰はそれよりも早く自分のスタイルとして取り入れていた。

権力や名誉のためでなく

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 物語のパターンとしては、虐げる者と虐げられる者が出てきて、血なまぐさい展開となるが、この監督の手にかかると、「暴力映画」という印象があまり残らない。『明治侠客伝 三代目襲名』の菊池浅次郎(鶴田浩二)も、『男の顔は履歴書』の雨宮修一(安藤昇)も、最初のうちは暴力に走らない。前者は非暴力の平和を望み、後者は周囲と距離を置く。しかし、最後は両者とも堪忍袋の緒が切れて大爆発、一人で悪党集団を倒して決着をつける。そのアクションシーンは、たしかに一つの見せ場ではあるが、主人公のことをヒロイックに美化する描写はしていない。

 彼らの戦いは名誉のためのものではないし、復讐のためのものとも言えない。相手から権力を奪うためのものでもない。ほかに選択肢がない状況で、義と情を貫き、憎むべき強者の組織を殲滅するために行われる戦いだ。そのためだけに己の命を燃焼させる。そうすることで主人公が得るものは法的な処罰以外にない。

 ここに見られるのは権力の否定である。権力を奪おうとする者は、新たな権力者になるにすぎない。なだいなだの『権威と権力』という本に、「革命は権力奪取を目標にしたものでなく、権力そのものの否定でなければいけない」という一文があるが、それを踏まえて言うなら、菊池浅次郎や雨宮修一が行ったことは小さな革命なのである。

 暴力以上に印象に残るのが、人と人との間に結ばれる絆だ。『明治侠客伝 三代目襲名』では、菊池と親分(嵐寛寿郎)、菊池と娼妓(藤純子)、菊池と客人(藤山寛美)の絆が描かれる。親分のドラ息子(津川雅彦)も改心し、菊池と信頼関係を結ぶ。『男の顔は履歴書』は、いわゆる「三国人」を憎々しく描きながらも、雨宮と朝鮮人・崔(中谷一郎)との絆、朝鮮人・李恵春(真理明美)と雨宮の弟(伊丹十三)との愛を、印象的に観客の胸に刻みつける。両作ともストーリー運びは見事としか言いようがなく、暴力がクライマックスとなる作風とは一線を画している。

『真田風雲録』と『沓掛時次郎 遊侠一匹』

 『真田風雲録』は、関ヶ原の戦いから大坂夏の陣にかけての物語。隕石の影響で超能力を身につけた佐助(中村錦之助)は、真田幸村(千秋実)と共に徳川勢と戦うことになるが、豊臣側は腑抜けばかり。しかし、それは佐助にとってどうでもよかった。彼が戦うのは、豊臣の名誉のためではないのだ。「自分たちの手で、自分たちのための戦をやってみるんだ」という目的で戦うのである。

 『沓掛時次郎 遊侠一匹』は真の傑作。まず序章で、時次郎(中村錦之助)が弟分・朝吉(渥美清)の仇を討つエピソードが披露され、渡世人の哀しさが描かれる。次に、時次郎とおきぬ(池内淳子)の段となる。時次郎は「一宿一飯の恩義」ゆえにヤクザ者の三蔵(東千代之介)を斬る羽目になる。その三蔵から妻おきぬと子供のことを託された時次郎は、言われた通り、2人の面倒を見る。そのうちに時次郎とおきぬの間に通い合うものが生まれるが......。

 渡し舟で時次郎がおきぬから柿をもらう場面や、おきぬが夫の三蔵に半分に割った櫛を渡す場面など、名シーンを挙げ始めたらキリがない。場面転換に、紙の雪を降らせる演出も実に情緒的だ。人と人との縁や愛の表現も、抑えめにしている分、じわりと胸にしみる。なんて良い映画だろう。錦之助の殺陣もシャープで、凄味がある。そして、この映画にも、権力や名誉のためには戦わない男の姿が描かれている。それまではヤクザ者の掟ゆえに体を張ってきた男が、最後は義と情のため、そして自分の気持ちのために戦うのだ。

『骨までしゃぶる』

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 『骨までしゃぶる』は遊廓を舞台とした作品。主演は、お姫様女優だった桜町弘子。タイトルからあれこれ想像する人もいるだろうが、「大奥もの」のようなエロスの要素はない。1966年の東映で女優主演、遊廓映画でエロ無し、遊女役にお姫様女優、あまりピンとこない取り合わせだ。それを加藤は練りに練り、素晴らしい映画に仕上げてみせた。

 時は1900年、家族のために洲崎の廓に身を売ることになったお絹(桜町弘子)。彼女は思っていたよりも小綺麗な部屋をあてがわれ、食事も悪くないことに安堵し、早く借金を返そうと意気込む。しかし、その廓は出口のない地獄だった。楼主(三島雅夫)はお金に汚い獣で、遊女たちの借金は決して減らず、骨までしゃぶられるように仕組まれていたのだ。

 逃げようとして制裁される者、外国人に売り飛ばされる者、愛想がないという理由でお客に扼殺される者......娼妓たちの末路は悲惨だ。こんな所にはいられない。お絹は大工の甚五郎(夏八木勲)の手を借りて脱出計画を敢行する。その騒動の後、お絹は警察署内で楼主と対決するのだが、彼女の武器は腕力ではない、法律である。救世軍が出した「醜業婦救済号」で勉強していたのだ。

 題材は重いが、所々コミカルな描写もあり、テンポもよく、じめじめしたところはほとんどない。お絹が哀れっぽくなく、目に生気があり、清潔感を保っているのも救いである。時代考証にも抜かりがない。1900年は救世軍が公報『ときのこゑ』を「醜業婦救済号」と題して発行し、自由廃業運動が興った年である。これにより、法律上、娼妓たちは不当に押しつけられた借金を拒否し、廃業することが出来るようになった。しかし、楼主たちは認めようとしない。実際、1914年になっても、廃業宣言をした娼妓たちと救世軍が、楼主たちに襲撃される事件が洲崎で起こっている。

 日本映画界の斜陽期に、これだけ質の高い作品を何本も撮ることができた加藤泰の力量には脱帽するほかない。1970年代半ばになると仕事はグッと減るが、『江戸川乱歩の陰獣』(1977年)や『炎のごとく』(1981年)を観ると、軽い作風に走らず、自分のスタイルを貫いて映画を作っていたことが分かる。

パワフルで創造意欲に満ちた遺作

 『ざ・鬼太鼓座』では、約40年ぶりに記録映画に挑戦。ナレーターによる説明は無し。佐渡の和太鼓集団、鬼太鼓座の練習風景を映し、20分を過ぎたあたりからパフォーマンスが始まる。途中で練習風景やトークを挟み、再びパフォーマンスが続く。徹底的に作り込まれた人工美のセットと、生身の肉体の対比が魅力的だ。そこから若者たちのエネルギー、情熱、エロスが噴出している。記録映画というより、音楽と映像によって演者の生きざまを伝える劇映画と言った方がいいかもしれない。ローアングル、クローズアップ、長回しなど、加藤が映画監督として培ってきた技がほとんど全て盛り込まれている。舞い散る木の葉、雪の中に咲く椿など、時代劇らしい情緒的なアプローチも見られる。「桜変奏曲」を弾く女性奏者の首から漂う品のあるエロティシズムも、加藤らしい表現だ。

 不満もないわけではない。土俗的な音楽と混じる電子音楽は、おそらく異世界的な雰囲気を演出するために使われたのだろうが、正直なところ耳障りだし、不要に感じられる。ただ、あらゆる角度から人物の動きを捉えた映像の力は凄まじい。こんなにもパワフルかつ創造意欲に満ちた映画を作り上げながら、これが遺作となってしまったのは惜しい限りである。
(阿部十三)


【関連サイト】
[加藤泰 略歴]
1917年8月24日、兵庫県神戸市生まれ。中学校を中退後、叔父の山中貞雄監督のツテで東宝に入社。1941年に記録映画『潜水艦』で監督デビュー。戦後は黒澤明、伊藤大輔の助監督を務めて修行し、『剣難女難』(1951年)で劇映画の監督としてスタートを切った。東映に移籍後、『風と女と旅鴉』(1958年)でローアングル、クローズアップの演出スタイルを確立。後年は映画界の不況を受けて作品数が減ったが、監督としての腕は終生衰えず、『江戸川乱歩の陰獣』(1977年)や『ざ・鬼太鼓座』(1981年)などの傑作を撮った。1985年6月17日死去。
[主な監督作品]
1941年『潜水艦』/1943年『泡』/1951年『剣難女難』/1952年『ひよどり草紙』/1957年『源九郎颯爽記 濡れ髪二刀流』/1958年『源九郎颯爽記 白狐二刀流』『風と女と旅鴉』/1960年『大江戸の侠児』/1962年『瞼の母』/1963年『真田風雲録』/1964年『幕末残酷物語』/1965年『明治侠客伝 三代目襲名』/1966年『沓掛時次郎 遊侠一匹』『骨までしゃぶる』『男の顔は履歴書』/1968年『みな殺し霊歌』/1969年『緋牡丹博徒 花札勝負』/1970年『緋牡丹博徒 お竜参上』/1972年『昭和おんな博徒』『人生劇場』/1973年『花と龍』『宮本武蔵』『日本侠花伝』/1977年『江戸川乱歩の陰獣』/1981年『炎のごとく』『ざ・鬼太鼓座』