映画 MOVIE

セルジオ・コルブッチ 〜もう一人のセルジオ〜

2012.06.09
『続・荒野の用心棒』の監督

 映画黎明期から高い人気を誇ったアメリカの西部劇は1950年代をピークとし、衰退していく。しかし、そんな状況と入れ替わりに60年代半ば辺りから70年代前半にかけてイタリア製西部劇、通称マカロニ・ウエスタン(海外ではスパゲッティ・ウエスタンと称される)が隆盛期を迎えた。このブームの契機となったのが、セルジオ・レオーネ監督が手掛けた『荒野の用心棒』(1964年)だ。クリント・イーストウッドが主演を務めたこの映画は大ヒットし、以降、レオーネは『夕陽のガンマン』(1965年)、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』(1966年)、『ウエスタン』(1968年)、『夕陽のギャングたち』(1971年)......数々の傑作を世に送り出す。「マカロニ・ウエスタン界で最も重要な監督は?」と問われたら、迷わずセルジオ・レオーネを挙げるしかない。しかし、比肩し得る存在、「もう一人のセルジオ」がいたことも、この場を借りてぜひお伝えしたい。彼の名はセルジオ・コルブッチと言う。

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 スパルタカスものなどの史劇を主に手掛けてキャリアをスタートさせたコルブッチ。レオーネによって始まったブームに乗り、彼も西部劇を撮るようになる。コルブッチを一躍有名にしたのが、『続・荒野の用心棒』(1966年)。フランコ・ネロ主演の本作は、オープニングから強烈だ。主人公の名前〈ジャンゴ〉を連呼する哀愁全開の主題歌が高らかに響き渡る中、泥だらけになりながら棺桶を引き摺って荒野を歩く黒づくめの男ーーあの男は一体何をやっているのか? 棺桶の中身は? 謎に満ちたまま物語は幕開き、観客はその先も次々と規格外の刺激を喰らう。屋外で男達に鞭で打たれて白い肌を晒す美女、秘密結社KKKまがいのマスク(色は赤)を被った悪の軍団、耳をナイフで切り落とされる雑魚キャラ、持ち主の口の中に耳を返却する律義な加害者、金を奪って逃走しようとしたら唐突に底なし沼に落ちて死にそうになるジャンゴ......などなど。印象的なシーンだらけだが、特に素晴らしいのが棺桶の謎が明かされるシーンだ。数十人の敵が迫り、いよいよ絶体絶命かと思いきや、平然と棺桶の蓋を開いたジャンゴは機関銃を取り出す。一気に発射される数百発の弾丸。敵はバッタバッタと面白いくらいに倒れる。また、物語のクライマックスにも痺れる。両掌を潰され、銃が使えなくなったジャンゴ。しかし、彼は諦めない。歯でネジを回して部品を外し、トリガーが剥き出しになった銃を墓地の十字架にセットする。「父の御名により(バキューン!)、子の御名により(バキューン!)、聖霊の(バキューン)、御名により(バキューン!)」ーー勿体ぶって祈りの文句を唱えながら銃を撃って迫る敵の大ボス。しかし、祈りの文句を結んだのはジャンゴであった。「土に還るべし!」と叫び、十字架にトリガーを押しつけながら銃を連射したジャンゴ。大ボスと手下達は華麗に射殺されてしまう。これぞカタルシス! いいぞ、ジャンゴ! しかし、冷静になって考えると、あまりにも無茶苦茶な展開ではないか......。

 マカロニ・ウエスタンは、本場のアメリカ製西部劇のお約束を平然と破る。西部開拓時代の史実なんてまるっきり無視(鉄砲の撃ち合いがし易い西部劇の設定を借りているだけ)/一儲けしたいダーティーな主人公だらけ(正統派西部劇はお金よりも正義や友情を大切にする)/過剰な暴力描写やお色気など、客寄せになるえげつないシーンを積極的に導入(子供の教育上、あまり宜しくない)/正々堂々とした決闘は稀で、何らかの派手なアイディアが盛り込まれるのが定番(「007」のような無茶苦茶な秘密兵器が登場したり、器械体操のようにわざわざクルクル回って発砲したり)......などなど。正統派西部劇を信奉する純潔主義者達が泡を吹いて倒れる出鱈目なエッセンスを満載している。
 しかし、セルジオ・レオーネは、このマカロニ風味から脱却していく。作品を重ねる毎に史実を検証し、アメリカロケも行い、「ホンモノ」を指向するようになる。南北戦争の戦闘シーンで盛り上げる『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』、西部開拓時代の大陸横断鉄道の敷設を描いた『ウエスタン』、メキシコ革命が背景の『夕陽のギャングたち』は、まさにレオーネの辿った変化を示している。しかし、レオーネは例外中の例外。低予算で手っ取り早く客を寄せ集められる映画の大量生産を求められた大半の監督達は、インチキ西部劇道をひた走ることになる。その代表格、マカロニ・ウエスタンらしい出鱈目をとことん極めたのが他でもない、コルブッチだ。

マカロニ・ニューシネマ『殺しが静かにやって来る』

 コルブッチは『続・荒野の用心棒』以外にも傑作(珍作)を世に送り出した。メキシコ革命を舞台にした(正確には設定を借りただけ)『豹/ジャガー』(1968年)、『ガンマン大連合』(1970年)は痛快な娯楽作。両作で主演を務めたフランコ・ネロは、『続・荒野の用心棒』のジャンゴとはまた一味違う軽やかな魅力を発揮している。同じく両作で悪役のジャック・パランスの不気味な存在感も見ものだ。荒くれ者と美少女(トーマス・ミリアンとスーザン・ジョージ)のほろ苦い逃避行を描いた『J&S さすらいの逃亡者』(1972年)は、活劇ではあるものの何とも言えずやるせない。マカロニ・ウエスタン版アメリカン・ニューシネマ(マカロニ・ニューシネマ)とでも言うべき異色作だ。

 そして、コルブッチ作品として『続・荒野の用心棒』と並ぶインパクトを放つのが『殺しが静かにやって来る』(1968年)だ。真っ白な雪に包まれた町・スノーヒルが舞台である点からして意表を衝く。しかも主人公は聾唖者、その名もサイレンス(フランス人俳優ジャン=ルイ・トランティニアン)。物語のクライマックスで悪者と対決するサイレンスだが、呆気なく撃ち殺されてしまう。さらにはヒロインも、サイレンスの仲間達も虫ケラのように皆殺し! ニヒルに勝利を噛み締める悪者は、マカロニ界きっての怪優クラウス・キンスキー。キンスキーの悪行三昧で募りまくった観客の憎悪は、結局全く晴れないまま物語は幕を閉じる。エンディングで言い訳のように映し出される「1898年の大虐殺で多くの山人たちが賞金稼ぎのえじきとなった。生活の手段として合法的に人が殺されたのだ。そしてスノーヒルに伝説が生まれた。この土地の泥は落とせても、ここで死んだ哀れな男の血は、永遠にぬぐえないと......」という尤もらしい言葉には、ただただ呆気にとられるしかない。「金返せ!」と暴れる観客が出てきてもおかしくはない。しかし、時折観たくなる。不思議な魅力を持った作品だ。

 賞賛を浴び続け、遺作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984年)でNYの不良少年達が堕ちて行く姿を描き、生涯憧れて止まなかったアメリカへと深く迫ったセルジオ・レオーネ/マカロニ・ウエスタンブームの去った後はコメディを主に手掛け、一部の酔狂人にのみ支持されたまま生涯を終えたセルジオ・コルブッチーー対照的な映画人生、「光と陰」とすら言える。レオーネの方が較べるまでもなく成功を収めたわけだが、マカロニ・ウエスタンのファンにとって、コルブッチはレオーネと並んで愛すべき、そして尊敬すべき存在だ。彼は潔く、全力でインチキ西部劇道を貫いた。最後までとことん紛い物生産者、マカロニ・ウエスタン作家だったのだ。
(田中大)


【関連サイト】
『続・荒野の用心棒』(DVD)
[セルジオ・コルブッチ プロフィール]
1927年12月6日、ローマ生まれ。1951年、『Salvate mia figlia』を皮切りに低予算映画(主に史劇)を撮り続ける。1966年、『続・荒野の用心棒』で知名度を上げる。1969年、クラウス・キンスキーの邪悪な魅力を最大限引き出した『殺しが静かにやって来る』を発表。1960年代後半のマカロニ・ウエスタンを支えた功績は大きい。1990年12月1日死去。
[主な監督作品]
1963年『闘将スパルタカス』/1965年『ミネソタ無頼』/1966年『さすらいのガンマン』『続・荒野の用心棒』/1967年『太陽の暗殺者』/1968年『豹/ジャガー』『殺しが静かにやって来る』/1970年『ガンマン大連合』/1972年『J&S さすらいの逃亡者』/1973年『進撃0号作戦』/1975年『ザ・サムライ 荒野の珍道中』/1980年『レッドオメガ追撃作戦』