映画 MOVIE

市川崑 〜多彩主義〜

2012.10.18
実験と娯楽

 「なにを始めるかわからないと評判の市川崑」ーー1957年に公開された『穴』の予告編に出てくるキャッチコピーである。これほど市川崑という監督のスタンスをわかりやすく言い表した言葉はない。ベネチア国際映画祭サン・ジョルジオ賞を受賞し、アカデミー外国語映画賞候補にも挙がり、市川崑の名を知らしめた『ビルマの竪琴』。女子大生に睡眠薬を飲ませて犯す場面が話題を呼んだ石原慎太郎原作の『処刑の部屋』。2人の美人芸者の対立を絵巻物のような色彩で描いた泉鏡花原作の『日本橋』。ブラックな社会風刺劇『満員電車』、東北の貧村に生きる男たちの悲哀を描いた深沢七郎原作の『東北の神武たち』。そしてお洒落で奇抜な演出が冴える都会的なサスペンス・コメディ『穴』。全てが成功作とはいえないまでも、わずか2年間(1956年〜1957年)で、これだけヴァラエティに富んだ作品を世に送り出した監督は、世界中を見渡してもそうそういない。次に「なにを始めるかわからない」といいたくなる気持ちもわかる。その姿勢は晩年になっても変わることなく、『犬神家の一族』を石坂浩二主演でリメイクすると発表した際も、多くの人が意表をつかれたものだ。

 市川はその作風を落ち着かせることなく、常に目新しいこと、誰もやっていないことに興味を示したが、同時に大衆の存在を忘れることもなかった。実験的な演出というのは、えてして独りよがりなものになり、大衆を無視しがちである。しかし、この監督には自分がしていることを単なる実験で終わらせず、芸術として昇華させ、なおかつ娯楽作品としてヒットさせる才能とバランス感覚があった。

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 そんな市川の特性が遺憾なく発揮された傑作が、原作者の三島由紀夫から褒められた『炎上』(とくに市川雷蔵と中村鴈治郎のキャスティングについては「これ以上は望めない」と評した)であり、京マチ子の魔性をたっぷりと引き出した谷崎潤一郎原作の『鍵』(カンヌ映画祭審査員特別大賞受賞)であり、レイテの戦場で兵士たちが狂気へと追いつめられていく様を緊張感あふれるタッチで描いた『野火』であり、白黒映画の照明でアグファカラーのフィルムを使い、変則現像させて「色のない色を」(市川はカメラマン宮川一夫にそう要求した)表現することに成功した『おとうと』であり、103台のカメラを駆使し、オリンピックの記録映像を感動的な人間ドラマに仕立て上げた『東京オリンピック』である。

 『東京オリンピック』以降は、公私にわたるパートナーだった和田夏十が病気で倒れたり、映画産業が斜陽期を迎えたりして、かつての元気がなくなったといわれたが、すぐに完全復活を遂げる。1972年にTV時代劇『木枯し紋次郎』が大流行し、1976年に『犬神家の一族』が横溝正史ブームを巻き起こすほどのヒットを飛ばしたのである。『犬神家の一族』では、松子夫人役に高峰三枝子を据えることにこだわり、本人に膝詰め談判をしたという。「キャスティングが終わった時、演出は70パーセント終わっている」と語った市川らしいエピソードである。

 1983年の『細雪』は市川美学の総決算ともいえる作品。四姉妹に岸惠子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子という理想的なキャストを揃え、人工美の極致をゆく映像で魅了する。ちなみに、公開されたのは和田夏十が亡くなった3ヶ月後のこと。私生活では有馬稲子との不倫などいろいろあったようだが、結婚したのは和田だけである。結果として、美の結晶のような『細雪』は愛妻のためのレクイエム的な役割を果たした。この後、市川は傑作と呼べるほどの映画を撮っていない。

最高傑作は何か

 結局、市川崑の最高傑作は何なのか。おそらく『ビルマの竪琴』、『野火』、『おとうと』、『東京オリンピック』、『細雪』あたりになるのだろう。好き嫌いはともかく、この選択に異論を唱える人はほとんどいないと思う。何にでも手を出そうとする意欲や落ち着くことを知らない多彩な作風は、ものによっては軽薄に映るかもしれないが、少なくともこれらの作品を観て「軽薄な監督」と感じる人はいないだろう。多彩であることはむしろ彼の気質であり、主義でもあると看取するのではないか。

 ただ、私個人は、もっと違うタイプの作品を好んでいる。とくに繰り返し観ているのは2作。1951年の『恋人』と、冒頭でも軽く言及した『穴』である。

 『恋人』は久慈あさみ、池部良主演作。結婚式の前夜、家を去る準備を終えた京子は、幼なじみの誠一を誘って外出する。「2、3日前から親子でまるで他人になる練習をしているみたい」だから家にいたくない、というのだ。誠一は強引な誘いに戸惑いつつも京子と一緒に映画を観て、スケートをして、ダンスをする。そのうちに両者は秘めていた想いを隠し切れなくなる。気丈に振る舞おうとしながらも、幼なじみへの想いで気持ちが崩れてゆく京子役の久慈あさみが良い。ほかにも、スケートのシーンなどで当時の風俗を見せたり、アルト歌手の斎田愛子が登場して歌ったり、その前説を森繁久彌が本人役で行ったり、この映画のポスターがさりげなく出てきたり、エンドマークが「END」だったりーー洒落たところ、ユニークなところを挙げはじめたらキリがない。千田是也扮する父・恵介が今時の若者像を総括して説教じみたことをいう最後のシーンは蛇足だし、誠一の先輩役を務めている横尾泥海男の演技は鑑賞に堪えないが、それを補うだけの魅力を持ったロマンティック・ストーリーである。

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 『穴』は京マチ子主演の快作(怪作)。「1ヶ月行方をくらまし、誰にも見つからなければ50万円」ーーそんな賭けをした女性記者が犯罪に巻き込まれる顛末を追う。市川らしい才気煥発な演出が炸裂。その演出に京マチ子が体当たりでぶつかり、コメディエンヌとしての才能を思う存分発揮している。日本のコメディ映画にはじめじめした人情喜劇が目立つが、それらとは一線を画するスピード感とアンチ・センチメンタリズムで全編が貫かれている。おまけとして(悪ノリとしか思えない)石原慎太郎氏の「DREAM」なる歌を聴くことも出来る。

 市川の守備範囲は映画、TVドラマのみならず、CMやアニメにまで及び、例えば加賀まりこの「ホワイト・ライオン」や大原麗子の「サントリーレッド」などテレビ史に残るCMも撮った。それらの映像を見ても、飛び抜けたアイディアと美的感覚の持ち主だったことがわかるだろう。ただ、いうまでもなく、本職は「映画監督」である。観るべき作品はまだまだある。安部公房が脚本に参加した1954年のブラック・コメディ『億万長者』も捨て難いし(原爆開発にいそしむ「太陽を盗んだ女」を久我美子が演じている)、ドロドロの愛憎劇をスタイリッシュな意匠で仕立てた『黒い十人の女』も人気作だ。金田一耕助シリーズの面白さも未だに色褪せていない。

 最後に、市川に関する資料を調べていたら、次のようなエッセイを見つけたので紹介しておく。

 だいたい下手な俳優にアクションをつける時、一番困るのは彼の手をどうするか、である。本人も持ち扱いかねて、必要でもないのにポケットに手を突っ込んだり、腕ぐみをしたり、遂には両脇に丸太ン棒のようにぶら下げて、ちょっとさわってみてもコチコチに硬直している。こんな場合、たばこを持たせるとなんとなくさまになるよと、ある師匠筋の監督に教わったので実行してみた。なるほど、手が自然に動く。硬さがなくなり、表情も身体のこなしも柔軟になる。たばこのご利益の一つであろう。
(「たばこのある生活」)

 愛煙家として知られ、1日100本「チェリー」を吸っていた市川がいかにも好みそうな煙草の使い方である(もっとも、彼の場合、手を使わないで吸うために、抜歯して歯の隙間に煙草をはさんでいた)。映画と煙草の関係は深い。上手くない役者でも煙草を吸うシーンが格好いいと、たとえ一瞬の錯覚であれ、良い役者に見えてしまうものだ。私は喫煙者ではないが、それでも吸い方にその人のセンスを感じることがある。煙草の扱い方に注目しながら、市川作品を鑑賞してみるのも一興かもしれない。
(阿部十三)


【関連サイト】
市川崑
[市川崑略歴]
1915年11月20日、三重県生まれ。1933年にアニメーターとしてJ.O.スタヂオに入社、1936年に短編アニメ『新説カチカチ山』を手がける。1948年、『花ひらく』で映画監督としてデビュー。和田夏十と結婚。1956年、『ビルマの竪琴』でベネチア国際映画祭サン・ジョルジオ賞を受賞。以後、1964年の『東京オリンピック』まで毎年のように話題作・傑作を生み出す。その後も1976年に『犬神家の一族』、1983年に『細雪』を発表し、存在感を示した。2008年2月13日、死去。
[主な監督作品]
1948年『花ひらく』/1950年『銀座三四郎』/1951年『夜来香』、『恋人』/『盗まれた恋』/1952年『若い人』、『足にさわった女』、『あの手この手』/1953年『プーサン』、『青色革命』、『愛人』/1954年『億万長者』/1955年『青春怪談』、『こころ』/1956年『ビルマの竪琴』、『処刑の部屋』、『日本橋』/1957年『満員電車』、『穴』/1958年『炎上』/1959年『鍵』、『野火』/1960年『おとうと』/1961年『黒い十人の女』/1962年『私は二歳』/1963年『雪之丞変化』、『太平洋ひとりぼっち』/1964年『東京オリンピック』/1972年『木枯し紋次郎』/1973年『股旅』/1976年『犬神家の一族』/1977年『悪魔の手毬唄』、『獄門島』/1978年『女王蜂』、『病院坂の首縊りの家』/1983年『細雪』/1985年『ビルマの竪琴』/1987年『映画女優』、『竹取物語』/2006年『犬神家の一族』