タグ「エフゲニー・ムラヴィンスキー」が付けられているもの

  • 作品の解釈 アンセルメは原典主義者ではなく、必要に応じて総譜を修正・変更していた。作曲家は幅広い解釈の余地を解釈者に委ねるものだ、というのが彼の持論だった。指揮者は作曲家の奴隷ではない。適切な解釈を行い、指揮者自身の意見を伝えなければならないとも主張していた。これは若い頃、ドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキーといった人たちと意見交換を行い、自分の提案を...

    [続きを読む](2023.04.14)
  • はじめに 昨年、お気に入りディスク数枚を基にスピーカーを比較試聴し、私のオーディオシステムに最適なスピーカーが定まった。その後も、光学ドライブの更新や設定変更等いくつかの調整を経て、好ましい響き方・鳴り方のシステム構成が出来上がった。[CDプレーヤー相当]・外付け光学ドライブ (パイオニアReal Time PureRead活用)・ノートパソコン (192k...

    [続きを読む](2021.08.28)
  •  エフゲニー・ムラヴィンスキーは1938年から1988年まで50年間、ソ連最高のオーケストラ、レニングラード・フィルの常任指揮者を務めていた。国を代表する一流のオーケストラに一人の指揮者がここまで長く君臨した例はまれである。 2003年に制作されたドキュメンタリーによると、楽団内には厳しい規律があり、団員が5分でも遅刻すると2週間の停職処分を受けたという。...

    [続きを読む](2019.11.01)
  •  誰もが一度はダヴィッド・オイストラフの演奏に魅了される。緩急強弱の表現すべてが万全で、安定感があり、艶やかで美しい音色でも、鬼気迫る切れ味鋭い音色でも、翳りのあるメランコリーな音色でも、人をひきつける。どんなに一流と呼ばれる人でも、作品やその中にあるフレーズとの相性の良し悪しが出ることがしばしばあるが、オイストラフにかかると、そういうことはほとんど起こらな...

    [続きを読む](2017.07.08)
  • もう一人の巨人 ベートーヴェンの交響曲第4番は1806年に作曲され、1807年3月に初演された。かつてシューマンは、有名な第3番と第5番の間に生まれたこの作品を、「北欧の2人の巨人に挟まれた清楚可憐なギリシャの乙女」と呼んだ。美しい呼称である。しかし、第2楽章はともかく、全体的にはベートーヴェンらしい力強さと緊張感をたたえた力作で、その構成も(第5番以上とは...

    [続きを読む](2017.05.29)
  • 「悲愴」と「幻想」 チャイコフスキーの「悲愴」は1893年に書かれた最後の交響曲である。初演は1893年10月28日、作曲者自身の指揮によって行われた。「悲愴」という言葉に込められた真意は分かっていないが、弟のモデストが伝えるところによると、初演の後、作品の標題をどうするか、兄から相談を受けたという。モデストがまず提案したのは「悲劇的」だったが、却下された。...

    [続きを読む](2015.10.07)
  • 勝利の凱歌なのか チャイコフスキーの交響曲第5番は、1888年に作曲された。第4番から11年ぶり、48歳のときの作品である。その11年の間には弦楽セレナーデ、ヴァイオリン協奏曲、ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出」、オペラ『エフゲニー・オネーギン』『マゼッパ』、マンフレッド交響曲などが書かれている。また、私生活の面では、他国に滞在することが多くなり、ロシア...

    [続きを読む](2015.02.01)
  • 絵画的描写ではなく感情の表出 ベートーヴェンの交響曲の中で最も有名な作品のひとつである第6番は、1808年に書き上げられた。作曲時期は第5番とほぼ同じだが、第5番の大部分の作曲は1807年に行われ、第6番の方は1808年の初春〜夏にかけて集中的に書かれたとみられている。 構想自体はそれ以前から抱いていたようで、1803年から1804年にかけて使用していた「ラ...

    [続きを読む](2014.03.28)
  • 「DSCH」の宣言 ショスタコーヴィチの交響曲第10番は、1953年の夏から秋にかけて作曲され、同年12月17日に初演された。1953年といえばスターリンが亡くなった年である。1948年以降、「ジダーノフ批判」にさらされていたショスタコーヴィチが8年ぶりに交響曲を作曲したのは、おそらく圧政者の死に触発されたためだろう。ただ、この作品をスターリンとスターリンの...

    [続きを読む](2013.08.24)
  • 「ジダーノフ批判」の時期に生まれた傑作 ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番は1947年夏から1948年3月24日の間に作曲された。この時期(1948年以降)、彼はいわゆる「ジダーノフ批判」にさらされていて、作品が演奏禁止になったり、教職を解かれたり、自己批判を強要されたりしていた。 「ジダーノフ批判」というのは、アンドレイ・ジダーノフ主導による言論...

    [続きを読む](2013.06.10)
  • 自分を押しつぶそうとする運命に抗して 最初に第6番「悲愴」を聴き、次に第5番を聴いて、それからしばらくして第4番を聴く。チャイコフスキーの交響曲を知る際、私だけでなく、おそらく多くの人がこの順番を辿っているのではないかと思う。圧倒的にポピュラーな第5番や第6番に比べると、第4番は同列に並べられるほど人気があるとはいえない。ただ、チャイコフスキーの交響曲を知れ...

    [続きを読む](2012.08.20)
  •  キリル・コンドラシンの名前は、ダヴィッド・オイストラフやエミール・ギレリスといったソ連の名演奏家たちの協奏曲録音で知った。彼らの伴奏指揮者として必ずといっていいほどコンドラシンの名前が記されていたのである。そのため、私はしばらくの間、コンドラシンに対して「すぐれた伴奏指揮者」というイメージしか抱いていなかった。それが変わったのは、だいぶ経ってからのことであ...

    [続きを読む](2012.08.05)
  • 果たしてそれは「革命」なのか 国内最大規模のクラシック音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」で、もしテーマがショスタコーヴィチになったらどうなるのだろう、と時々想像することがある。異様な熱気に覆われている会場内。モーツァルトやショパンの時は家族や恋人たちの憩いの場だったのに、「政治と芸術」「革命」を論じ合う場と化す屋外の休憩所。平年の数倍の割合を占める...

    [続きを読む](2011.06.22)
  • 20世紀最大の天才作曲家 人は常にいくつかの感情を同時に抱え込んでいる。心が喜びだけで満たされる瞬間があったとしても、その状態は長く続いてはくれない。嬉しさの中には少しのわだかまりがあったり、安堵感の中には拭いきれない不安の影があったり、達成感の中には説明のつかない不満があったり......と相反するはずの感情が胸の内に共存しているものである。人間とは割り切...

    [続きを読む](2011.02.10)
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