音楽 CLASSIC

ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番

2013.06.10
「ジダーノフ批判」の時期に生まれた傑作

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 ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番は1947年夏から1948年3月24日の間に作曲された。この時期(1948年以降)、彼はいわゆる「ジダーノフ批判」にさらされていて、作品が演奏禁止になったり、教職を解かれたり、自己批判を強要されたりしていた。
 「ジダーノフ批判」というのは、アンドレイ・ジダーノフ主導による言論弾圧のことである。圧力は文学や映画の分野だけでなく、音楽にも容赦なく及んだ。そのきっかけとなったのは、ムラデリのオペラ『偉大なる友情』。オペラの内容が史実を歪めている、という批判から矛先が広がり、形式主義的作品を徹底的に排斥すべく、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、シェバリーン、ハチャトゥリアンなど指導的立場にある作曲家も標的にされた。中でも矢面に立たされたのがショスタコーヴィチで、その後、彼は国家のために愛国的作品を書きながら、ひそかに自分の芸術的信念に従った作品を書くという二重生活を送るようになる。

 ヴァイオリン協奏曲第1番は後者の代表作である(前者の代表作は『森の歌』など)。完成後、ショスタコーヴィチはダヴィッド・オイストラフを自宅に呼び、この作品を見せて練習を行っている。しかし当局の反応を警戒したのか、発表は先送りになり、ジダーノフもスターリンも亡くなった後、1955年10月29日になってようやく初演された。初演時の独奏者は、作曲者に有益な忠告をし続けたオイストラフである。
「私(ショスタコーヴィチ)は自分のヴァイオリン協奏曲がこのすぐれた演奏家によって初演されたことを幸せに思っている。オイストラフは創作の過程でも、私に忠告してくれた。楽譜を注意深く見る人なら、ヴァイオリン・パート譜に『オイストラフ監修』と記してあることに気付くに違いない。それは楽譜や弓使いといった形式的な監修ではなく、作曲家への真の創造的援助だったのである」
 名作といわれるヴァイオリン協奏曲が書かれた背景に名演奏家の存在がある例は珍しくないが、知名度の高いヴァイオリン協奏曲でいうなら、今のところ、これが最後の例といえるかもしれない。

 構成は非常に風変わりだが、全体を聴き通した後、何の違和感も残らないほど各楽章のバランスがとれている。第1楽章はノクターン。沈鬱で不安定なトーンが支配しているが、重々しいわけでなく、瞑想的な美しさがオブラートのように暗い空間を覆っている。

 第2楽章はスケルツォ。第1楽章と打って変わってアレグロで駆けはじめるが、ショスタコーヴィチらしいブラック・ユーモアやストイシズムや神経質な鋭敏さに溢れていて(オイストラフはこれを「悪魔的」と評した)、奇妙な音楽的ニュアンスで耳を楽しませる。巧みなオーケストレーションでヴァイオリンを引き立てている点も注目に値する。

 第3楽章はパッサカリア。この作品の心臓部ともいうべき美しい緩徐楽章である。奏者たちが緊張感を保ちながら対話を繰り広げ、悲しみと祈りに縁取られた格調高い旋律のドラマを響かせる。後半の長大なカデンツァは、ソリストの見せ場。このドラマティックなカデンツァがクライマックスに達すると、そのまま第4楽章のブルレスクになだれこみ、祝祭的な熱狂をもって幕を閉じる。

 この作品は演奏家を選ぶ。すぐれた技巧を備えているからといって、満足のいく演奏になるとは限らない。「そんなのはどの作品にもいえることだ」という人もいるかもしれないが、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲でそれをやられると、とても聴いていられないのだ。何の苦もなく、さらさらときれいに弾いている、という演奏家の態度に憤りすら感じてしまう。

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 私が最初に聴いたのは、ヴィクトリア・ムローヴァ独奏、アンドレ・プレヴィン指揮、ロイヤル・フィルの録音。そのカデンツァの迫力に圧倒されるようにして、作品にのめり込んだ。今はあまり聴かないが、プロポーションの美しい演奏である。
 初演者オイストラフの音源はいくつか種類があるが、1956年11月にエフゲニー・ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルと協演したものが、演奏と音質の総合点が高い。演奏だけに関していえば、ディミトリ・ミトロプーロスと協演した1956年1月の録音が凄絶。聴いていると、暗く燃える炎にあぶられているような気持ちになり、エネルギーの消耗感が尋常ではない。
 ムローヴァの師であるレオニード・コーガンのライヴ録音は、狂気をはらんだような切迫感が印象的で、デフォルメのきいたコンドラシンのサポート共々、聴きごたえがある。21世紀に入ってからの録音では、リサ・バティアシュヴィリ盤がお薦めだ。過去のどのヴァイオリニストにも似ていない繊細な音色といい、その繊細さの中に安住しない芯の強さや熱気といい、エサ=ペッカ・サロネンの痒い所に手が届くような完璧なサポートといい、新たな名盤と呼ぶにふさわしい出来ばえである。
(阿部十三)


【関連サイト】
ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番(CD)
ドミトリ・ショスタコーヴィチ
[1906.9.25-1975.8.9]
ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 作品77

ダヴィッド・オイストラフ(vn)
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮
レニングラード・フィルハーモニー
録音:1956年11月

ヴィクトリア・ムローヴァ(vn)
アンドレ・プレヴィン指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1988年6月

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