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  •  1959年11月発行の『近代日本思想史講座』第7巻に掲載された「近代の超克」は、1942年に『文学界』誌上で行われたシンポジウム「近代の超克」の内容を検証した評論で、竹内の代表作の一つであり、当時大きな注目を浴びた。 戦後、近代の超克は「戦争とファシズムのイデオロギイを代表するもの」として、知識青年たちを熱狂させ、死へと駆り立てたシンボルとして語り継がれて...

    [続きを読む](2023.08.12)
  •  歴史上にはきちんと検証されないまま放置されている問題が山ほどある。皆で示し合わせたように、なんとなく触れられなくなった問題もある。過去のあやまちをタブー視し、見て見ぬふりをした挙句、何が問題だったのか忘れてしまうというパターンも少なくない。評論家の竹内好はそういったタブーを根から掘り起こし、議論の俎上にのせた。戦争の暗い記憶と結びついた日本浪曼派、近代の超...

    [続きを読む](2023.08.04)
  • 血となり肉となる文学 中島敦の『光と風と夢』は、作家ロバート・ルイス・スティーヴンソンの日記という体裁で書かれている。しかし、その言葉はあくまでも中島自身のもの、彼の思想ないし信条の投影である。「私は、小説が書物の中で最上(或いは最強)のものであることを疑わない。読者にのりうつり、其の魂を奪い、其の血となり肉と化して完全に吸収され尽すのは、小説の他にない」 ...

    [続きを読む](2019.12.28)
  •  小野小町の晩年については、幾つかの伝承がある。有名なのは、流浪の身となり、落魄して死んだというものだ。事実かどうか定かでないまま小町の物語として伝わってきた『玉造小町子壮衰書』や、それを基にした逸話を載せた『古今著聞集』『徒然草』などの影響だろう。『平家物語』の巻第九にも、小野小町について「心強き名をやとりたりけん、はてには人の思のつもりとて、風をふせぐた...

    [続きを読む](2017.12.30)
  • 『海軍』と『必勝歌』 太平洋戦争以降の『海軍』(1944年)になると、事情が変わってくる。これは悪名高い映画法の統制下にある、まさに戦意高揚のために作られた作品だ。原作は、獅子文六(岩田豊雄)の新聞連載小説。鹿児島の平凡な少年が海軍を志して見事合格し、真珠湾攻撃で華々しく散るまでの成長物語で、配属将校の菊地少佐(原作では「菊池少佐」)が生徒に伝えた「断じて行...

    [続きを読む](2017.10.12)
  •  高山樗牛は美文で鳴らした明治の評論家で、生前大いに注目を集めたが、若くして健康を害し、1902年に31歳で亡くなった。現在では、坪内逍遥、森鴎外、内村鑑三に噛みついていた論争家、匿名で『瀧口入道』を書いた小説家、圧倒的な美文家として、文学史に名をとどめている。 樗牛を美文家と評するとき、そこには「文章は美しいけど思想は浅い」という皮肉もしばしば含まれる。没...

    [続きを読む](2016.04.30)
  •  小西来山は大阪俳壇で名を馳せた人で、井原西鶴の後輩にあたり、上島鬼貫と親しかった。生年は承応3年(1654年)で、家は薬種商。「十八歳にして俳諧点者となる」と記す文献(『時雨集』序)もあるが定かでない。ただし、20代で活躍していたのは確かで、天和元年(1681年)に初の撰集『大坂八五十韻』を出し、元禄期には名声を確立していた。 その来山に「白魚やさながらう...

    [続きを読む](2016.01.09)
  •  アレクサンドル・コジェーヴの『法の現象学』の第三章に、「法的な快感」という言葉が出てくる。例えば頑強な人間が弱々しい病人を襲うのを見たとき、人は病人を守ろうとする。スポーツの試合で選手同士の争いが起きたとき、大勢の人が自らすすんで無償で仲裁者になろうとする。そこで得られる快感を「法的な快感」と言っているのである。「......この快感は真に『没利害的(無私...

    [続きを読む](2015.01.03)
  •  中将姫の伝説で知られる當麻寺に行くと、仁王門近くの梵鐘わきから美しい二上山を拝むことができる。以前私が訪れたときは曇天で、その愁いを帯びた空模様がまた二上山にはふさわしいように感じられたものである。この山に大津皇子が眠っている。 私が大津皇子に関心を抱いたのは、学生の頃、保田與重郎の「大津皇子の像」を読んでからである。これは毀誉褒貶甚だしい保田が遺した作品...

    [続きを読む](2014.09.06)
  • 伊東靜雄の詩 伊東靜雄の詩には太陽があり、光があり、灯がある。それらはほとんど例外なく闇の中にありながら感取されたものである。深い闇を知る者だからこそ、きらめくもの、輝けるものに敏感になる。そして、その光耀はすぐそばに終わりがあること、すぐそこにむなしさや闇がひろがっていることを知るゆえに、一層美しく、貴いものとなり、時に悲しみを伴うものとなる。とりわけ最初...

    [続きを読む](2014.06.14)
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