タグ「川端康成」が付けられているもの

  • 『マダムと女房』と『伊豆の踊子』 五所平之助はロケ先でキャラメルや南京豆、焼き芋を買い込んで、皆と一緒に食べることを好んだという。特に好物だったのが焼き芋で、その理由について、「私は焼いもの庶民的な土の香りが好きで、栗より美味いという、素朴な、心をゆたかにうるおしてくれる母心のような風味は忘れられない」(「焼いもとドーナッツ」)と書いている。 そんな彼自身の...

    [続きを読む](2020.09.12)
  • 序 『晩菊』まで 成瀬巳喜男の『晩菊』は1954年公開の映画で、林芙美子原作ものとしては四作目にあたる。脚本は田中澄江と井出俊郎。三つの短編「晩菊」「水仙」「白鷺」を組み合わせ、大幅にアレンジした内容で、おきん(杉村春子)、たまえ(細川ちか子)、おとみ(望月優子)、おのぶ(沢村貞子)という四人の中年女性の人生を交錯させている。名女優たちを競演させた映画といえ...

    [続きを読む](2017.03.19)
  •  教員志望の同級生に誘われて、塾講師をしていたことがある。1994年4月から1996年3月までの約2年間の話だ。 中学2年生と中学3年生の国語のクラスを受け持っていた。生徒は各16名。授業時間は90分で、1日2コマ。時給は2600円、辞めた時は2900円だった。当時住んでいたアパートから車で50分という遠い場所にあったが、ちょっとした夕食付きだったこともあり...

    [続きを読む](2013.08.10)
  •  有馬稲子の美貌は宝塚時代から有名だった。ただ、その美しさには翳があり、笑顔の中にも愁いが漂っていて、それが単なる美人女優にはない複雑な魅力を彼女に付与している。東宝専属女優としての第1回主演作『ひまわり娘』を手がけた千葉泰樹監督も、有馬稲子の印象をこう語っていたという。「明るい感じの娘だと思っていたが、撮影が始まり、彼女を見つめていると、むしろ哀愁が濃いこ...

    [続きを読む](2011.07.23)
  •  再評価の動きが出始めたのは1970年代のことである。川端康成の死(1972年4月16日)から1年ほど経った1973年3月、中央大学の古俣裕介氏が論文「龍膽寺雄ノート」を発表。その辺りから見直しが進み、1980年代半ばには昭和書院から全集が出た(全集といっても完全なものではなく、いわゆる〈カストリ雑誌〉に書いたものは収録されていない)。 この全集の月報で、若...

    [続きを読む](2011.04.02)
  •  龍膽寺雄と書いて「りゅうたんじ・ゆう」と読む。「りんどうじ・ゆう」でも「りんどう・てらお」でもない。龍胆寺雄、竜胆寺雄と記されることも多い。 昭和初期に活躍したこの作家の名前を、今どれくらいの人が知っているだろうか。私が学生だった20年ほど前は「再評価の機運が高まっている」などと言われていたものだが、それからどうも尻すぼみになってしまったような気がする。 ...

    [続きを読む](2011.03.26)
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