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オーソン・ウェルズ 〜真の天才演出家〜 [続き]

2014.07.03
観る者の目に焼きつくショット

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 カメラの配置に関して、オーソンは天性の勘に恵まれていた。ピーター・ボグダノヴィッチによるインタビューでは、次のように語っている。

「変幻自在が好きな私だが、カメラの位置に関してだけは唯一無二の場所があると思うし、それがどこかを即座に決めることができる。もし、即座に決められないとすると、それは撮るべきシーンの解釈、あるいは取り組み方を間違えているからだ。即座に決まらない場合は、かえってラッキーだ。それがにとってのリトマス試験紙になるわけだから。迷う時には何か間違えているのだ」

 こうして神がかりのショットが生まれる。有名な例を挙げると、『偉大なるアンバーソン家の人々』のパーティーのシーンや階段のシーン、『上海から来た女』(1947年)の鏡の部屋のシーン、『秘められた過去』の仮装パーティーのシーン、『黒い罠』の冒頭の超絶的なクレーン・ショット、『オーソン・ウェルズのフォルスタッフ』(1965年)のラストなどである。無論、偉大なショットだけが孤立し、浮いていても意味がない。オーソンは、真に偉大なショットとはいちいち見せびらかすのではなく物語の必然性に沿って姿を現すべきものだ、という考えも持っていた。その点でも、ほとんど成功している。何の解説もなしに、初めて映画を観るような気持ちで彼の映画に接する人は、語り口の巧さに魅了されこそすれ、技術的なことはあまり気にならないのではないだろうか。まず技術が鼻についてしまうようではいけないのである。
 とはいえ、鼻につく作品がないといえば嘘になる。『オーソン・ウェルズ IN ストレンジャー』はオーソンの凝り性の面がやや先走っている。私の大好きなエドワード・G・ロビンソン扮する警部のキャラクターも直線的で魅力がない。元ナチス将校がアメリカの平和な家庭に入り込み、ナチス再興を目論む。ーーサスペンス映画としては最上の題材なのに、警部役に一寸も感情移入出来ないため、凝った演出で形骸化した勧善懲悪モノをみせられたような物足りなさを感じる。
 これが『黒い罠』になると、各登場人物の占める比重が絶妙で、オーソン自身が演じる悪徳警部の人物像も重層的で異様な存在感を放っている。歪んだ人間ドラマの趣がしっかり出ているのだ。モーテルでいたぶられるジャネット・リーの中途半端な扱い方や、チャールトン・ヘストンとジャネット・リーの夫婦関係を急いで修復させたようなエンディングなど、気になる部分もなくはないが、オーソンをはじめとする役者たちの演技自体はベストである。


生来のアウトサイダー

 映画以外の分野にも、代表作がある。1938年10月30日に放送されたラジオドラマ『宇宙戦争』だ。真に迫るリポート、そのリポートを中断させ聴き手の緊張感と焦燥感を引き上げる間を作り出す空虚な音楽、悲鳴、効果音を織りまぜ巧みに繋いでいく構成で、実際に火星人が襲来したような臨場感を醸し出し、推定聴取者900万人のうち、約175万人をパニック状態に陥れた。局には電話が殺到し、教会には救いを求める人が押し寄せ、道路には逃げ惑う人たちがうじゃうじゃいたという。音源も遺っているので、一度聴いてみることをおすすめする。今の時代、こんなことをしたらどういう目に遭うだろうか。

 オーソンは常識や権力の壁を壊す革命意識を超越したところにいる、生来のアウトサイダーだった。自分なら何をやっても切り抜けられるという天才らしい自信と楽観があった。バーバラ・リーミング著『オーソン・ウェルズ偽自伝』には、そんな彼のことを評したロバート・アーデン(『秘められた過去』のガイ役)の言葉が紹介されている。ーー「最高の才能を持った14歳の少年」。
 『宇宙戦争』の時も、『市民ケーン』の時も、そこまで凄まじい反発は予想していなかったという意味のことをオーソン自身は語っているが、案外これは本心なのかもしれない。その自信と楽観が、『偉大なるアンバーソン家の人々』で最悪の事態を生む。『オーソン・ウェルズ偽自伝』にこんな発言がある。

「この国には不幸な結末の映画に対する根強い反感があるし、そこが問題点になるだろうと覚悟はしていた。でも、映画の出来栄えがあまりにすばらしかったのでーー『ケーン』以上にあの映画の仕上がりには自信があったーー映画界が陰気な作品をいくらいやがるといっても大丈夫、障害は無事切り抜けられると信じて疑わなかった」

 先にもふれたように、『偉大なるアンバーソン家の人々』はオーソンの手の届かないところでカットされ、悲哀に満ちているはずのラストシーンも微笑ましいものにすり替えられてしまった。そのため、最も感情移入しにくいキャラクターに仕立てたジョージ・アンバーソンが受ける「報い」も中途半端な印象しか残さない。ピーター・ボグダノヴィッチの証言によると、この映画がテレビで放映された時、一緒にいたオーソンはいたたまれなくなり、涙を流していたという。
 オリジナル通りに上映されていたらどんなに素晴らしかったことか。それは残されたスチールと脚本から想像するほかない。ただ、誤解のないようにいっておくと、「短縮版」も傑作と呼ぶに値する作品である。私はこの作品を偏愛しており、アグネス・ムーアヘッドとアン・バクスターの演技はいくら絶賛しても絶賛しきれないと思っている。映画のフィルムは残っていて当たり前というわけではない。このような形であっても目にすることが出来るのは、映画ファンにとっては幸いである。
(阿部十三)


【関連サイト】
orsonwelles.org
Orson Welles(DVD、Blu-ray)
オーソン・ウェルズ 〜真の天才演出家〜
[オーソン・ウェルズ略歴]
1915年5月6日、アメリカのウィスコンシン州に生まれる。本名ジョージ・オーソン・ウェルズ。父は発明家。母はライフル射撃選手、ピアニスト、婦人参政権論者。1931年10月にアイルランドのダブリンで正式に俳優デビュー。1933年、帰国。翌年には短編映画『ハーツ・オブ・エイジ』を演出。1936年、『マクベス』の演出で脚光を浴びる一方、ラジオ俳優としても人気を博し、引っ張りだこになる。同年、ジョン・ハウスマンと共に新劇団を結成し、「プロジェクト891」と命名。これが後の「マーキュリー劇団」となり、オーソンの活動拠点となる。1938年10月30日、CBSで放送されたラジオドラマ『宇宙戦争』でセンセーションを巻き起こす。1941年、『市民ケーン』で監督デビュー。新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストの一派に目をつけられ、上映禁止に追い込まれる。その後も傑作を撮っては会社に難色を示される、というやりとりが繰り返される。1952年、『オセロ』でカンヌ国際映画祭グランプリ(現在のパルム・ドール)を受賞。1958年の『黒い罠』でハリウッドに復帰するが、会社側と対立。以後、ハリウッドでは1本も撮っていない。ただし俳優としては重宝され、多くの作品に出演した。1985年10月10日、ハリウッドの自宅で死去。ヴァージニア・ニコルソン、リタ・ヘイワース、パオラ・モーリとの結婚歴があり、3人とはいずれも映画で共演している。その他、ジュディ・ガーランド、ドロレス・デル・リオ等々、女性関係は華やかだったようである。
[主な監督作品]
1941年『市民ケーン』/1942年『偉大なるアンバーソン家の人々』/1946年『オーソン・ウェルズ IN ストレンジャー』/1947年『上海から来た女』/1948年『マクベス』/1952年『オセロ』/1955年『秘められた過去(Mr. Arkadin)』/1958年『黒い罠』/1963年『審判』/1965年『オーソン・ウェルズのフォルスタッフ』/1975年『オーソン・ウェルズのフェイク』