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吉村公三郎 〜女優映画の達人〜

2011.03.25
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 日本の監督で、女優の魅力を引き出すのが最もうまいのは誰か。この問いに対し、成瀬巳喜男や木下惠介と答える人は、おそらく吉村公三郎の名前を知らないか、忘れている。成瀬も木下も女心のひだを撮る名手として知られているが、起用する女優は大体いつも同じだった。しかし、吉村は全くタイプの異なる女優を次々と主役に据え、その持ち味を発揮させる、まさに「女優映画」の達人だった。ハリウッドでいえば(演出のタッチは水と油だが)ジョージ・キューカーみたいなポジションだ。

 ざっと挙げてみても『暖流』の水戸光子(主役ではないが、これで大スターの仲間入りをした)、『安城家の舞踏会』の原節子、『わが生涯のかがやける日』の山口淑子、『偽れる盛装』の京マチ子、『西陣の姉妹』の宮城野由美子、『千羽鶴』の木暮実千代、『足摺岬』の津島恵子、『夜の河』の山本富士子、『越前竹人形』の若尾文子など、それぞれの女優の切り札となるような重要作ばかりだ。
 ただ、固定したミューズを持たなかったことが、かえって吉村の作風を濁らせたのかもしれない。なまじ女優を撮るのがうまかったばかりに、結果的に特定の女優と「幸福な結婚」ができなかった監督ともいえる。やはり特定の監督のイメージがない津島恵子ともっとたくさん組んでいれば、『足摺岬』のような作品がまだまだ生まれたと思うのだが、惜しいことである。

 私自身が吉村の名前を知ったのは、高校の頃読んでいた谷崎潤一郎の小説に水戸光子の名前が出てきたのがきっかけである。それから水戸光子のことを調べ、『暖流』に行き着いた。これを面白いと感じなかったら、次に何かを観ようとは思わなかったかもしれない。
 『暖流』にのめり込んで何十回も観た私としては、この岸田國士原作の出世作を推したい。財政難の病院に渦巻く陰謀と愛欲のドラマを、斬新なカット割りと適材適所のキャストで撮りあげた若き吉村の野心作である。けなげな看護婦石渡ぎんを演じた水戸光子だけでなく、令嬢啓子役の高峰三枝子も、病院の経営の建て直しを託された青年実業家日疋役の佐分利信も、その持ち味をいかんなく発揮している。

 1947年の『安城家の舞踏会』や1948年の『わが生涯のかがやける日』も、それまでの日本映画になかったバタ臭さとギラギラ感に満ちた脂っこい作品で、吉村公三郎の代表作であることには違いないが、せっかくむせるような退廃的な雰囲気を醸成して観客をわくわくさせておきながら、肝心なところでモラルや倫理を持ち込み、シラケさせる。結局は単なる民主主義映画なのだ。
 過去には大監督の扱いだったのに、現在吉村映画の大半が忘れられているのは、その時代のモラル、倫理、価値観に準じすぎて、作品としての普遍性を失ってしまっているためである。もっとも、これは吉村の演出や同志としてコンビを組んでいた新藤兼人の脚本のせいだけでなく、GHQによる悪名高い文化介入の影響もあるのだろうし、それを考慮に入れて評価しなければフェアとはいえないのだが、かといっていちいち裏事情に結びつけて映画を観るよう強要することなど出来ない。

 そういった作品の中でも、1951年の『偽れる盛装』と1954年の『足摺岬』は、まぎれもない傑作と断言できる。『偽れる盛装』は『祇園の姉妹』の戦後版といわれる映画で、金銭のために男たちを手玉にとるアプレ祇園芸者を京マチ子が大熱演。京マチ子といえば、主演作でもない『羅生門』と『雨月物語』ばかり取り上げられるが、『偽れる盛装』は、すでに神格化されたこの二作と比べても何ら遜色ない。『足摺岬』は田宮虎彦原作で、主演は木村功。吉村映画では珍しく線の細いヒロイン、津島恵子の透明感のある美しさが印象的だ。
(阿部十三)


【関連サイト】
『偽れる盛装』(DVD)
[吉村公三郎略歴]
1911年9月9日滋賀県生まれ。松竹で島津保次郎の助監督となり、1934年『ぬき足さし足』で監督デビュー。1939年『暖流』で監督として注目される。戦後、新藤兼人とコンビを組み、『安城家の舞踏会』、『わが生涯の輝ける日』で名声を確立。1950年新藤らと共に近代日本映画協会を設立。『夜明け前』、『足摺岬』などの名作、話題作を発表。キャリア後期には社会派として『襤褸の旗』などを撮った。2000年11月7日死去。
[主な監督作品]
1939年『暖流』/1947年『安城家の舞踏会』/1948年『わが生涯のかがやける日』『誘惑』/1949年『森の石松』/1951年『偽れる盛装』、『源氏物語』/1952年『西陣の姉妹』/1953年『千羽鶴』、『夜明け前』/1954年『足摺岬』/1956年『夜の河』『四十八歳の抵抗』/1957年『地上』『夜の蝶』/1963年『越前竹人形』/1968年『眠れる美女』/1974年『襤褸の旗』/1976年『鉱毒』