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成瀬巳喜男 〜『晩菊』私論〜 [続き]

2017.03.20
意味のある動作

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 先にも述べたように、編集は極めて巧妙だ。中には、おとみがラーメンに胡椒をかけて大きなくしゃみをし、幸子がずるずる音を立ててラーメンを食べるカット→おきん宅の外観のカット→おとみの前でおきんが上品にご飯を食べるカットという風に繋げるなど、やりすぎのように見える箇所もあるが、綿密に計算された編集美学に貫かれていることは間違いない。

 人物の動作にも意味が込められている。代表的な動作が、戸の開閉だ。おきんは、戸を開けたり閉めたりする動作を頻繁に行うが、その繰り返しにより、外から簡単に他人に侵入されるタイプの人間でないことが印象付けられる。寝る前の戸締りも徹底している。おとみ、たまえの方は同じ家の一階と二階に住んでいて、鍵のかかる戸で隔てられてもいない。何から何までおきんとは対照的だ。

おきんの場合

 信条的に、おきんは「お金には汚いけど、人様を騙したことなんてない」と言い切れる生活を送っている。彼女は他者に苦しまされるくらいなら、一人でいることを選び、自分の損にしかならない人間関係に巻き込まれるくらいなら、お金のやり取り以外の関係を切り捨てる。男も子供も友達もいないが、家は小綺麗だし、聾唖者の女中のことも、余計なお喋りをしなくていいと重宝し、不自由を感じていない。この女中は、静子という名の通り、騒音のない生活の象徴である。

 それにしても、何かが足りない。そのことに気付いていながら、もう立ち止まれない。彼女の自信の根拠はお金だけであり、自分の魅力に自信があるわけではない。だから他者が近寄ってきても、お金目当てだろうという疑いを捨てきれない。そして、その疑いが当たると、彼女の眼差しはより冷たいものになってゆく。うまい話を持ってくる板谷(「奥さんにはだいぶ儲けさせましたよ」)のことは、ビジネスの相手としてそれなりに信用しているようだが、もし人の良さそうなこの男にしてやられたら、彼女はどうなってしまうのだろうか。

おとみ、たまえの場合

 おとみとたまえは、いかにも下町臭い家で貧しい生活を送っている。子供のことでは悩みも絶えない。しかし人間関係をバッサリと断ち、一人でいることを選ぶタイプではない。二人の女は性格が異なり、さして気が合うわけでもなく、その友情はあてにならないが、本音で愚痴を言い合える仲ではある。子供だって、とにかく健康に生きている。

 確かに心配事は多いし、お金には苦労するし、諦めることも多い。おきんと違って、弱さも脆さも隠さない。が、彼女たちは、女手一つで我が子を育てた母であり、何をやっても生き続けるという根の部分での強さを持っている。また、たまえと清の母子に関して言えば、他人に施しをする人間でもある。自分たちもお金がそんなにあるわけではないのに、だ。

成瀬組の士気

 田中澄江と井出俊郎が手がけた脚本には、引っかかるところが幾つかある。例えば、幸子がおきんに「おばさん、あんまりお金貯めてばかりいないで、少しこっちに回して」と早口に言う台詞は、タイミングにも話の内容にも不自然さがあり、有馬稲子にはやや損な役回りであった。沢村貞子が演じたおのぶも、四人の中年女性の中では唯一夫と暮らし、これから子供を持つかもしれない、いわばほかの三人の中間地点に立つ存在だが、他者の情報の聞き役、伝え役に終わった感がある。

 ただし、成瀬組のスタッフによる緻密な仕事には隙がない。『山の音』を経て、士気の高まった状態で『晩菊』に取り組んだことも奏功したのだろう。玉井正夫のカメラ、中古智の美術は驚嘆すべき水準に達しており、下町の空間を、湿ったにおいがしそうなほどのリアリティをもって現出させている。

唯一無比

 人間関係に振り回されがちな成瀬映画のヒロインの中で、孤城を守り抜くおきんの存在は、アンチテーゼ的な異彩を放っている。成瀬映画の重要なテーマの一つである諦念を扱っているとはいっても、おきんのように武装された諦念はほかの作品にはみられない。この人物像は、『銀座化粧』(1951年)の雪子(田中絹代)から子供と人情を取り除き、性格を変形させたバリエーションのようにも見える。思いがけない男の登場に心躍らせ、一瞬だけ夢を見て、諦めるという設定も似ている。とはいえ、やはり雪子は小市民らしい哀感が漂う成瀬的なキャラクターであり、おきんとは別人である。

 戦前だと『妻よ薔薇のやうに』での千葉早智子の役、戦後だと『稲妻』(1952年)や『流れる』での高峰秀子の役は、因習や状況に流されまいとする意思を見せ、人間関係のゴタゴタを客観的に批評する立場をとるが、彼女たちは未来を感じさせる若い世代であり、おきんとは異なる。『女が階段を上る時』(1961年)で高峰秀子が演じた雇われマダムは、一見、おきんのように隙なく見えるが、結局男に騙されて女の脆さを露呈してしまう。サスペンス映画『女の中にいる他人』(1966年)で新珠三千代が演じた人妻は、愛人を殺した夫を守ろうとしながら、夫婦だけの秘密を保てなくなった夫に対して極端な審判を下すが、その冷徹さをおきんの延長線上に置くことにも無理がある。

 監督はおきんのような人物像を自作の映画で発展させることなく終わった。二匹目の泥鰌に手を出さなかったのは、彼にとって、そこまで共感できる人物ではなかったからなのか。おそらく一番の理由は、『晩菊』自体がすでに高い完成度を誇っていることにあるのだろう。類似作品を撮っても、『晩菊』を超えることは難しい。おきん的な役柄を演じるのに杉村春子よりふさわしい女優も見当たらない。成瀬映画の中では徒花のように見える『晩菊』ではあるが、それは監督自身にも増殖し得なかった唯一無比の名花であり、また、時代性を超越して現代の鑑賞者の印象や解釈を多様化させる点で、未だ枯れていないのである。
(阿部十三)

【関連サイト】
成瀬巳喜男
成瀬巳喜男 〜『晩菊』私論〜
[成瀬巳喜男略歴]
1905年8月20日、東京生まれ。1920年、小道具係として松竹キネマ蒲田撮影所に入社。1922年、助監督になるが、なかなか監督に昇進できなかった。1930年、『チャンバラ夫婦』で監督デビュー。1932年の『蝕める春』『チョコレート・ガール』で注目される。1934年、PCLに移籍。『乙女ごゝろ三人姉妹』『妻よ薔薇のやうに』『噂の娘』で一気に名を上げ、1937年には千葉早智子と結婚(1940年離婚)。まもなくスランプに陥るが、『鶴八鶴次郎』『はたらく一家』で存在感を示す。1946年再婚。1951年の『銀座化粧』で復調し、『めし』で高い評価を受ける。以後、「林芙美子原作もの」と「夫婦もの」を十八番にして傑作を撮り続けた。名声がピークに達したのは、1955年の『浮雲』と1956年の『流れる』の頃。前者はかつて松竹時代に成瀬が後塵を拝した小津安二郎監督からも絶賛された。1960年代に入ってからも演出力は衰えず、『女が階段を上る時』『娘・妻・母』でヒットを飛ばし、1966年には心理サスペンス『女の中にいる他人』にも挑戦、話題を呼んだ。1969年7月2日、直腸癌のため死去。
[主な監督作品]
1930年『チャンバラ夫婦』/1931年『腰弁頑張れ』『髭の力』/1932年『蝕める春』『チョコレート・ガール』/1933年『君と別れて』『夜ごとの夢』/1934年『限りなき舗道』/1935年『乙女ごゝろ三人姉妹』『女優と詩人』『妻よ薔薇のやうに』『噂の娘』/1936年『桃中軒雲右衛門』『朝の並木路』/1937年『女人哀愁』『雪崩』『禍福』/1938年『鶴八鶴次郎』/1939年『はたらく一家』『まごゝろ』/1940年『旅役者』/1941年『秀子の車掌さん』/1943年『歌行燈』/1944年『芝居道』/1945年『三十三間堂通し矢物語』/1947年『四つの恋の物語 第二話 別れも愉し』/1949年『不良少女』/1950年『石中先生行状記』『薔薇合戦』/1951年『銀座化粧』『舞姫』『めし』/1952年『お国と五平』『おかあさん』『稲妻』/1953年『夫婦』『妻』『あにいもうと』/1954年『山の音』『晩菊』/1955年『浮雲』『くちづけ 第三話 女同士』/1956年『驟雨』『妻の心』『流れる』/1957年『あらくれ』/1958年『杏っ子』『鰯雲』/1960年『女が階段を上る時』『娘・妻・母』『秋立ちぬ』/1961年『妻として女として』/1962年『女の座』『放浪記』/1963年『女の歴史』/1964年『乱れる』/1966年『女の中にいる他人』『ひき逃げ』/1967年『乱れ雲』