映画 MOVIE

ジョセフ・L・マンキーウィッツについて その3

2018.11.03
『クレオパトラ』

 『去年の夏 突然に』でリズの信頼を得たマンキーウィッツは、その数年後、製作の危機に直面していた超大作『クレオパトラ』の監督をルーベン・マムーリアンから引き継ぎ、自らの手で撮り直すことになる。同じ時代を扱った史劇を『ジュリアス・シーザー』(1953年)で撮っていたマンキーウィッツだが、今回はいかんせん規模が違う。しかもリズの大病や監督の変更などで、撮影期間は予定を大幅に超過し、製作費も200万ドルの予算が4400万ドルになり、20世紀フォックス社は倒産寸前にまで追い込まれていた。さらにリズとリチャード・バートンの不倫というオマケ付きで、作品そのものよりも作品に付随するゴシップの方で話題になっていた。

 そのような状況でも、マンキーウィッツは夜を徹して脚本を書き、見せ場となるクレオパトラのローマ入城シーンの壮麗なスペクタクルを完璧に撮り、クレオパトラを演じるならリズ以外にいないと誰もが納得させられるほどこの女優を美しく撮り、史劇としても恋愛ドラマとしても見応えのある作品に仕上げたのである。ラブシーンの熱量も格別で、クレオパトラとアントニーのキスシーンはどれも官能的な美しさを帯びている。溺れるようなキスとでも言おうか。まあ、これはマンキーウィッツが演出しなくてもそうなったのだろうが。

 当初マンキーウィッツは6時間の大作にして、シーザーとクレオパトラの話を前編、アントニーとクレオパトラの話を後編にして2回に分けて公開するつもりだったらしい。しかし経営難に陥ったフォックス社がそれを許すはずもなく、なんと3時間14分に短縮されて一般公開されてしまった。現在は4時間11分のバージョンを観ることが出来るが、それでも完全ではない。この手のスペクタクルに不可欠な戦闘シーンは迫力に欠け、時間的・空間的な広がりを感じさせるスケールも不足している。

 マンキーウィッツはアクションやスケール感で勝負する人ではないので、残ったフィルムをかき集めても、それが得られる保証はない。その代わり、人物の心理描写はより掘り下げられ、繊細で深みのあるものになったはずだ。クレオパトラ(リズ)、シーザー(レックス・ハリソン)、アントニー(リチャード・バートン)、オクタヴィアヌス(ロディ・マクドウォール)など主要人物はよく描けているが、カットされすぎた弊害により、感情の流れが読み取れない人物が数名いる。最も致命的なのはアントニーが死ぬ場面だろう。端的に言うと、クレオパトラのことを愛している側近に「クレオパトラはお亡くなりになった」と嘘をつかれ、それを信じ込んで自決するわけだが、アントニーに対する側近の激しい嫉妬が読み取りづらいため、この展開には唐突さ以上に乱暴さを感じざるを得ない。果たして6時間バージョンではどう描かれる予定だったのだろう。

台詞

 マンキーウィッツの映画は台詞が魅力的で、機知に富み、時に魔法の粉のように暗い気分を明るくし、時にオスカー・ワイルド的な皮肉・警句となり、時に人生の知恵のように響く。例えば、出世作『幽霊と未亡人』(1947年)にこんなやりとりがある。プレイボーイの作家(ジョージ・サンダース)にキスされた未亡人(ジーン・ティアニー)が、幽霊(レックス・ハリソン)に「こちらが知らぬ間にキスされたのよ」と言い訳すると、幽霊がこう返す。「イヴ以来、女には知らぬ間などない。女が男にキスをさせるのは、実はそれを望んでいるからだ」。

 そういえば『幽霊と未亡人』の前に撮られた『記憶の代償』(1946年)にもキスを用いた台詞がある。得体の知れない男(ジョン・ホディアク)に惹かれている女(ナンシー・ギルド)に、別の男(リチャード・コンテ)がこう忠告するのである。〈You've got your face turned up and your eyes closed, waiting to be kissed. Might not be a kiss, baby. Open your eyes and look around.〉。字幕では「他人に対してガードが甘すぎる。心を許す前によく相手の顔を見ろ」となっている。映画字幕に求められる意訳としては妥当だが、ニュアンスは通じない。

 ユーモアのきいた台詞は無数にあるが、私が最初にマンキーウィッツ作品でそれを感じたのは『三人の妻への手紙』の終盤、全てが明らかになる直前の場面である。夫がアディと駆け落ちしたと思い込んだデボラが、ダンスパーティーで踊らずに沈痛な表情をしている時、その友達リタがダンスを終えてやってきて、「ねえ、テーブルの下に死体でも隠してるの?」と言う。『イヴの総て』でも、ビルが自分の誕生日パーティーでひどく暗い顔をしている恋人のマーゴに、まるで葬式に来ているみたいだと皮肉るつもりで、「皆、いつになったらご遺体を拝めるのか知りたがってるよ。どこに入棺されているんだい?」と声をかける。これが当時高校生だった私にはおかしくてたまらず、ぜひ自分のものにしようと思い、学校で使ってみたことがある。無論、好ましい反応を得ることはできなかった。



 『クレオパトラ』から約10年間で、マンキーウィッツが撮った長編映画はわずか4本。しかし精力や才能が枯渇したわけではなかった。『探偵スルース』を観ればそれが分かる。これは1972年に製作された遺作(亡くなるのは21年後の1993年)。推理作家アンドリュー(ローレンス・オリヴィエ)が美人妻の愛人マイロ(マイケル・ケイン)を殺害するために巧妙な罠を仕掛けるが......という話である。深い闇を持つ冷血な心理スリラーといった趣で、人間の悪意、高慢さ、劣等感、おぞましさがシニカルなタッチで描かれる。脚本を書いたのはアンソニー・シェーファーだが、出演者が2人のみで、ほかの人物を見せない設定はマンキーウィッツ向きと言える。

 ゴシック風の豪邸が舞台であるところも、マンキーウィッツらしい。もともとデビュー作『呪われた城』でゴシックな館を舞台にした人である。以降、彼は映画の世界観を形成し、人物像に奥行きを与える上で、しばしば家の描写に重きを置いてきた。船長の幽霊が住む家、時代に取り残された大貴族の末裔の家、異様な庭を持つ未亡人の家、クレオパトラの宮殿など、家の撮り方には抜かりがない。マンキーウィッツは人物を表現する上で、家を描くことがいかに大切かを知っていた。そんな彼の美学は最後まで貫かれたのである。
(阿部十三)


【関連サイト】
ジョセフ・L・マンキーウィッツについて その1

[ジョゼフ・L・マンキーウィッツ略歴]
1909年2月11日、ペンシルバニア州生まれ。兄は脚本家のハーマン・J・マンキーウィッツ。19歳の時にコロンビア大学で学士号を取得し、シカゴ・トリビューン紙の記者になり、ドイツへ。ベルリン滞在中、英語字幕の仕事を行い、映画の世界へ。1929年からパラマウント社で脚本を執筆し、1935年からMGMのプロデューサーに転向。1946年、病に倒れたエルンスト・ルビッチの代役として『呪われた城』を撮り、監督デビュー。1949年、1950年には『三人の妻への手紙』と『イヴの総て』でアカデミー監督賞・脚色賞を2年連続受賞。順風満帆に見えたが、1963年公開の『クレオパトラ』以降、映画と距離を置くようになる。しかし演出力は健在で、1972年、最後の作品となった『探偵スルース』では観客を驚愕させた。私生活では3度結婚。『三人の妻への手紙』『復讐鬼』に出演したリンダ・ダーネルとの関係も有名。1993年2月5日死去。監督へのインタビューで構成されたドキュメンタリー『All About Joseph L. Mankiewicz』(1983年)がある。
[主な監督作品]
1946年『呪われた城』『記憶の代償』/1947年『ボストン物語』『幽霊と未亡人』/1949年『他人の家』『三人の妻への手紙』/1950年『復讐鬼』『イヴの総て』/1952年『五本の指』/1953年『ジュリアス・シーザー』/1954年『裸足の伯爵夫人』/1955年『野郎どもと女たち』/1958年『静かなアメリカ人』/1959年『去年の夏 突然に』/1963年『クレオパトラ』/1967年『三人の女性への招待状』/1970年『大脱獄』/1972年『探偵スルース』