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ジャン・ルノワール 〜古き良きフランス映画に乾杯〜

2011.05.25
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 ジャン・ルノワールほど善悪の基準というものを意に介さず人間という生き物を描き続けた監督はいない。人間は善悪で簡単に割り切れるものではない、と彼の作品は語っている。勧善懲悪もあり得ない。理屈よりも感情、道徳よりも官能、規律よりも解放、といった調子である。

 ルノワールの映画はとにかく画が美しい。高名な画家である父オーギュスト・ルノワールの影響もあるのだろう。自然なたたずまいと無理のないテンポ感を持っている。そのおおらかさの中から、人生の真実が浮かび上がってくる。その一方で、『フレンチ・カンカン』のフィナーレのように、一体どうやって撮ったのか分からないほど華麗でダイナミックな画を撮ることもある。あの群舞シーンは神業としか言いようがない。

 1924年に監督デビューして以来、ルノワールの才能は枯渇することがなかった。活躍の場はフランスのみにとどまらず、戦時中はハリウッドでも高い評価を得て、多くの映画人の尊敬を集めていた。ヌーヴェルヴァーグの作家たちに影響を与えた功績もある。ただ、商業的成功とはあまり縁がなく、1961年に『捕らえられた伍長』を発表した後は仕事に恵まれなくなり、4話から成る『小劇場』を撮っただけで、晩年は小説の執筆にいそしんでいた。

 ルノワールの代表作は何か。これは難しい選択である。例えば王道の『大いなる幻影』や『獣人』を選んでも、名声を確立する前の『素晴らしき放浪者』や『牝犬』を選んでも、戦後の『黄金の馬車』や『フレンチ・カンカン』を選んでも、あるいはハリウッドで撮った『南部の人』や『浜辺の女』を選んでも、目の肥えた映画ファンならとくに違和感を覚えないだろう。何しろ傑作が多い。どれも焼き付くように心に残るし、何度観ても飽きがこない。
 なので、ここでは代表作を絞ることはせず、個人的に思い入れのある作品を1本だけ紹介するにとどめておく。それはモーパッサンの短編を映画化した1936年の『ピクニック』である。

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 夏の日曜日、パリで金物商を営んでいるデュフール氏は家族を連れてピクニックに出かける。緑あふれる田舎の風景の中で、開放的になるデュフールたち。一方、その様子を遠くから見ている2人の若者。2人のお目当ては娘のアンリエットである。彼らは一家に近付き、娘とその母親をボート遊びに誘い出す......という話。
 風に揺れる草の茂み、澄んだ川の流れなど、自然の描写が本当にこまやかで美しく官能的(撮影はクロード・ルノワール)。この映画の中に流れているおいしそうな空気を思いきり吸い込みたくなる。名高いブランコのシーンもすばらしい。気候条件のせいで撮影が長引き、未完に終わった作品ではあるが、そんなことは全く気にならず、これはこれで完成したフィルムとして受け止めることができる。40分にも満たない作品ながら、永遠に時間が広がっていくかのように感じられる。もう、憎いほどよくできた映画。これがDVDで出た時、私は「どうせ未完の作品だし......」と思いながら観たが、40分後には立ち上がることができなくなっていた。

 余談だが、この作品の助監督が凄い。ジャック・ベッケル、ルキノ・ヴィスコンティ、イヴ・アレグレ、そして後に世界的カメラマンとなるアンリ・カルティエ=ブレッソンーーそうそうたる人たちが名を連ねている。ジャック・ベッケルとアンリ・カルティエ=ブレッソンは神学生の役で出演もしている。
 男好きする可憐なヒロイン、シルヴィア・バタイユは、今なお熱狂的なファンをもつ思想家ジョルジュ・バタイユ夫人だった人。撮影当時は別れていたが、法的には離婚していなかった。その縁なのか何なのかよく分からないが、ジョルジュ・バタイユも神学生役に引っ張り出されている(まさか本人が望んで出たとも思えないので......)。映画とは全く関係のない話だが、戦後シルヴィアはジョルジュ・バタイユと離婚し、ジャック・ラカンと結婚した。ジョルジュ・バタイユとジャック・ラカンと結婚していたなんて、ただ者ではない。
(阿部十三)

[ジャン・ルノワール略歴]
1894年9月15日パリ生まれ。画家オーギュスト・ルノワールの次男。1924年『水の娘』で監督デビュー。この映画で主演を務めたカトリーヌ・エスランはオーギュスト・ルノワールのモデルで、ジャン・ルノワールの最初の妻。1930年代に入ると立て続けに傑作を発表。1937年『大いなる幻影』で名声を確立。戦時中はアメリカへ。戦後も『黄金の馬車』や『フレンチ・カンカン』などを撮っているが、1960年代に入ると仕事が激減。アメリカで暮らしていたが、1979年2月12日ビバリーヒルズの自宅で死去。
[主な監督作品]
1924年『水の娘』/1926年『女優ナナ』/1928年『マッチ売りの少女』/1931年『牝犬』/1932年『素晴らしき放浪者』/1934年『ボヴァリー夫人』/1935年『トニ』/1936年『どん底』『ピクニック』/1937年『大いなる幻影』/1938年『獣人』/1939年『ゲームの規則』/1940年『スワンプ・ウォーター』/1945年『南部の人』/1946年『浜辺の女』/1951年『河』/1953年『黄金の馬車』/1955年『フレンチ・カンカン』/1956年『恋多き女』/1959年『草の上の昼食』/1961年『捕らえられた伍長』