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フランク・キャプラ 〜群衆という名の凶器〜

2012.02.17
 フランク・キャプラはアメリカの良心を描き続けた監督といわれる。その楽天的なヒューマニズム、堂々と謳われる正義に、希望や勇気をもらった人は多いことだろう。キャプラの映画では物欲にまみれた金持ちは否定され、貧しい人々の方が心豊かな存在として描かれる。どんな巨悪も小さな正義の前で敗北する。しかし、それが絵空事にしか見えなくなった時、人はキャプラ作品を「卒業」する。そして、全くもって現実離れしたおとぎ話だと否定するようになる。

 そもそもキャプラはアメリカの良心を描いた人なのだろうか。私は疑問に思う。たしかに『狂乱のアメリカ』でも『オペラハット』でも『スミス都へ行く』でも『群衆』でも、主人公は絶体絶命の危機に追い込まれながら、最後は良心や絆や愛によって救われる。ただ、この救いがなければ、つまり、トム・ディクソンが拳銃自殺をし、ディーズが精神病院に送り込まれ、スミスが汚職議員として処分され、ジョンが投身自殺をしていたら、そのまま非情な人間ドラマになる。その差は紙一重だ。
 主人公を窮地へと追いやるのは群衆である。メディアに踊らされた群衆はそれまで主人公を応援していた側から否定する側へと回り、むごたらしい罵詈雑言を浴びせかける。そこから雲行きが怪しくなり、映画のトーンは一気に暗くなる。もし、そのまま作品を終えていたら、キャプラは「アメリカの理想の崩壊を描き続けたシリアス路線の雄」とか「群集心理の襞を鋭くえぐり続けた社会派」といった評価を得ていたに違いない。しかし、彼はエンディングに良心を付け加えずにはいられなかった。それは良心を信じていたから、というより、リアルで非情なドラマを撮る気がなかったから、という方が適切だろう。彼自身もそんなハッピーエンドが現実にあり得ないことは重々承知していたはずである。「キャプラスク」のハッピーエンドは、一種の厭世観、現実逃避の裏返し的表現とみていい。

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 キャプラは群衆を「凶器」として描いた監督である。メディアが発信するネガティヴな情報や根も葉もない噂に惑わされ、簡単に扇動される群集。集団ヒステリーを起こし、どんな武器よりも恐ろしい力を発揮して主人公に襲いかかる群衆。キャプラはその脅威を描くことに長けていた。
 「凶器」と化した群衆が最も残酷な力を発揮しているのが、1941年の『群衆』である。ゲイリー・クーパーが群衆に新聞を投げつけられ、罵倒されながら、雨の中で必死に演説するクライマックスは、映画史に残る悲惨なシーンといっても過言ではない。そして最後に待ち受けるあまり後味の良くないハッピーエンド。『群衆』を撮っている間、キャプラは収拾がつかなくなった物語のエンディングをどうすべきか悩んでいたらしいが、その苦労の痕跡が見て取れる(ヘンリー・ハサウェイは結末がつけられないという理由でこの映画の監督を断った)。これは群集心理の恐怖をこれ以上ないほど鮮やかな手際でエンターテイメントにしてのけた力作であると同時に、笑いと感動と恐怖が共存した怪作でもある。

 センチメンタルすぎると酷評され、公開当時は大コケした1946年の『素晴らしき哉、人生!』では、群衆の扱い方が少し変化している。主人公は、世界へ羽ばたく夢を捨て、故郷の人々のために自らの人生を犠牲にしている住宅金融組合の経営者ジョージ・ベイリー。ここで描かれている群衆は必ずしも敵対的な存在ではないが、結局、群衆の生活を救うためにジョージは悩み多き人生を強いられている(奥さんは美人だけど)。しかし、最後の最後にジョージを救うのも群衆である。それも自発的に救うのだ。『狂乱のアメリカ』でも群衆がトム・ディクソンを救うが、彼らはあくまでも「扇動」された群衆である。そこが『素晴らしき哉、人生!』とは大きく異なる。

 戦時中、キャプラはドキュメンタリー・シリーズ『なぜ戦うか』を撮っていた。そのために凄惨な戦場フィルムを数えきれないほど観て編集作業を行っていたが、その過程で心に深い傷を負ったという。おそらく、「扇動された群集」を見つめ続けることにも疲れ果てていたに違いない。だからこそ、『素晴らしき哉、人生!』では群衆の自発的な良心を描いたのではないか。そんなエンディングが存在し得ないことを知りながらも、せめて映画の世界くらいは美しくあってほしいと思ったのだ。

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 個人的に、最も愛するキャプラ作品は1937年の『失はれた地平線』である。原作はジェイムズ・ヒルトン。理想郷シャグリラの話である。莫大な製作費をかけながら興行的に失敗したため、長い間負のイメージを引きずっていたが、これはまぎれもなく傑作である。
 外交官ロバート・コンウェイとその一行は、戦争の勃発で騒然とした中国を脱出したものの、ハイジャックに遭い、チベットの奥地に不時着する。そんな彼らを迎えにやってきたのはシャグリラの住人たち。シャグリラに導かれたコンウェイらはその平和で美しく調和のとれた世界に戸惑い、不気味がるが、徐々になじんでいく。しかし、コンウェイの弟ジョージだけはシャングリラをインチキな世界だと断定し、元の生活に戻ることを切望するのだった。
 どんなに理想郷だといわれても、突然そこで一生を送る羽目になったら、ほとんどの人はジョージのように抵抗し、自分の殻に閉じこもるのではないか。そういう意味で、ジョージのしつこい存在感は、劇中では鬱陶しい限りだが、現実的ではある。
 主役のロバート・コンウェイを演じているのはロナルド・コールマン。終盤、ジョージのためにシャングリラを出る決意をする彼の演技は、かなり難しい表現を要求されるところだが、過剰にならず、文句のつけようがない。観た人のほとんどが絶賛するシャングリラを去る間際のコールマンのまなざしは、この映画のベストテイクの一つに数えていい。また、「年齢とは自らに課す限界です(Age is a limit we impose upon ourselves.)」など名言も多いので、含蓄のある英語のフレーズにじっくり耳を傾けながら観るのも乙だろう。そして、セットの素晴らしさ。これには目を見張るばかりだ。製作費が嵩んだというのもうなずける(撮影の間、キャプラとプロデューサーのハリー・コーンの関係が悪化し、コーンが現場を訪れる度にキャプラは撮影を中断していた)。キャプラがそこまでシャングリラを作り上げることにこだわった理由は何だろう。ハッピーエンドが容易に実現されるような国を描きたかったのだろうか。

 もちろん、1934年のコメディ『或る夜の出来事』も忘れてはいけない。これによってキャプラはアカデミー賞を受賞し、ハリウッドで監督としての地位を確立したのだ。ロマンティック・コメディの決定版であり、ロードムービーの要素も持つこの作品は、古さを全く感じさせない。花嫁が結婚式場からウェディングドレスで逃げ出す有名なシーンを筆頭に、名場面があちこちにちりばめられている。105分間、一点の屈託も残さない。どんな時代でも、誰とでも、気楽に、ワクワクしながら観ることができる、そんな稀有な作品だ。
(阿部十三)


【関連サイト】
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[フランク・キャプラ プロフィール]
1897年5月18日、イタリア・シシリー島生まれ。6歳の時、家族と共にアメリカに移住。新聞売りなどをして貧しい家計を助ける。1918年、カリフォルニア工科大学へ。卒業後、職を転々とし、映画界入り。1922年に短編映画の監督を務める。1925年、マック・セネットと出会い、喜劇監督として売り出す。1928年からはコロンビア映画へ。『プラチナ・ブロンド』『狂乱のアメリカ』『一日だけの淑女』で頭角を現し、1934年の『或る夜の出来事』でアカデミー賞主要部門を制覇。以後、ハリウッドの人気監督としてヒット作を連発する。戦後は時代遅れとされ、やがて表舞台から姿を消したが、『素晴らしき哉、人生!』がテレビで放送されるようになると人気が再燃した。1991年9月3日、94歳で死去。
[主な監督作品]
1926年『当たりっ子ハリー』『初陣ハリー』/1928年『陽気な踊り子』『呑気な商売』/1930年『希望の星』/1931年『プラチナ・ブロンド』/1932年『狂乱のアメリカ』/1933年『一日だけの淑女』/1934年『其の夜の真心』『或る夜の出来事』/1936年『オペラハット』/1937年『失はれた地平線』/1938年『我が家の楽園』/1939年『スミス都へ行く』/1941年『群衆』/1944年『毒薬と老嬢』/1946年『素晴らしき哉、人生!』/1961年『ポケット一杯の幸福』