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木下惠介 〜日本人であるということ〜 [続き]

2012.08.03
生まれることも、死ぬことも

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 1960年の『笛吹川』は戦国時代を舞台にした映画だが、話の中心人物は武将ではなく、農民である。戦が当たり前のように繰り返されている日常。功名心にはやる農民は、家を捨てて戦場へ向かい、武勲を立て、束の間慢心するが、良い時は続かず、まもなく戦死する。時が経てば、今度は次世代の若者が戦場へ行き、同じように武勲を立て、そして殺される。さらに次世代の若者も......。終わることのない生と死の連鎖。生まれることも死ぬことも特別なことではない。木下監督は、そういう生の在り方を淡々と描いてみせる。モノクロのフィルムにちぐはぐな色を着けて、不条理な世界を表現しているのも特徴的だ。
 戦のシーンにはひとかけらの高揚感もない。音楽で盛り上げることもしない。英雄も登場しない。鐘が鳴っている中、どこの誰とも知らない人たちが無機質的に殺し合っている。ただそれだけの素っ気ない映像である。そのリアルさが、怖い。落ち延びた武田家に、息子と娘が随行するのを止めるべく、高峰秀子扮する母親が必死になって追いかけるシーンは、どことなく『陸軍』のラストシーンを彷彿させる。

コメディ映画の名手

 木下監督はコメディ映画の名手でもあった。1943年のデビュー作『花咲く港』も、戦意高揚的な要素を盛り込んではいるものの、基本的には人情喜劇である。上原謙、水戸光子、小沢栄太郎、東山千栄子、東野英治郎など、配役も豪華。テンポのよい演出や洒落た回想シーンで、木下らしい個性を見せている。
 コメディの路線では、1949年の『お嬢さん乾杯』、1951年の『カルメン故郷に帰る』が代表作。『お嬢さん乾杯』はやはりラストシーンが良い。『愛染かつら』の主題歌「旅の夜風」のフレーズをさりげなく挿入するところなど、センスが良すぎる。『カルメン故郷に帰る』はいわずと知れた国産初のカラー作品だが、モノクロバージョンも存在する。現像がうまくいかなかった時のために、モノクロでも撮っていたのである。つまり、役者たちは2度同じ演技をしたわけだ。ファンの中には「モノクロバージョンの方が良いのではないか」という人もいるが、まず観ておくなら、いろいろな意味で目に眩しいカラーバージョンの方だろう。

日本人は変わったのか

 ここまでタイトルを挙げてきた作品以外で、ぜひ押さえておきたい木下映画は、1957年の『喜びも悲しみも幾歳月』と1963年の『死闘の伝説』。前者は、波乱の時代を生き抜く燈台守一家の年代記。エピソードが豊富で物語として飽きさせないし、日本各地の昭和の風景も楽しめる。若山彰が歌った主題歌もヒットした。有名なだけに語られる機会も多い作品なので、私としては後者の紹介に少し力を入れておきたい。

 『死闘の伝説』は、終戦直前の北海道を舞台にした映画。善良なはずの田舎の人々が、やがて陰湿さ、残虐性をむき出しにし、疎開者一家を皆殺しにしようとする様を描いている。冒頭は、牧歌的なカラー映像。音楽も明澄である。そこへいきなり滝沢修の物々しいナレーションが入る。
「この物語は、この平和な風景の中に起こった、悪夢の記録である」
 途端に暗転し、ムックリ(アイヌの民族楽器)の音がクレッシェンドで聞こえてくる。それを分け入るようにして、「キリエ〜」と荘重な音楽が流れ出し、陰鬱なモノクロ映像が眼前に広がる。この寒気がするほどもったいぶったオープニングに、誰もが「何か、とんでもないことが起こりそうだ」という予感を抱くはずだ。
 クライマックスのテンポの悪さ、ノロノロ、メソメソしてばかりで全く役に立たない秀行(加藤剛)の存在には、疑問を感じるばかりだが、黄枝子(岩下志麻)を犯そうとした剛一(菅原文太)を、百合(加賀まりこ)が殺害するシーンまでは、サスペンスとしての緊密さが保たれている。クライマックスに関しては、死闘のシーンを盛り上げようとして欲を出したのが裏目に出た印象がある。テンポを締めなければならないのに、『國民の創生』の時代にでも逆行したかのような執拗なクロスカッティングで緊張感をつないでいこうとするのである。これはいただけない。このテンポ感を誤らなければ、もっと凄い映画になっていたはずである。ただ、それでも、『死闘の伝説』は木下作品には珍しく、正しいと思ったことを躊躇なく何の葛藤もなくストレートに「行動できる人物」が登場する点で、特別である。信太郎(加藤嘉)と百合の父娘のことだ。疎開者一家を守るために命を賭けるこの父娘の姿には、尊さを感じずにいられない。

 日本人の性質、雰囲気、民族性を描くことにこだわった木下惠介の作品は、映画に「はけ口」を求める人を満足させるものではない。そこには、いいたいこともいえない、したいこともできない、そんな悩みから永久に解放されない自分自身の分身がいるからだ。木下作品に向けられる「湿っぽい」、「女々しい」といった言葉は、結局のところ、自分自身に向けられたものにすぎない。日本人は変わった、合理的になったし、意見を主張できるようになった、という話はよく聞くが、本当だろうか。木下作品を改めて観直すと、私たちは本質的に何も変わっていないのではないか、と思わざるを得ない。
(阿部十三)


【関連サイト】
木下惠介 〜日本人であるということ〜
木下惠介
木下惠介記念館
木下惠介(DVD)
[木下惠介略歴]
1913年12月5日、静岡県浜松市に生まれる。本名正吉。1930年、オリエンタル写真学校で学ぶ。1933年、松竹入社。島津保次郎監督の助手として頭角をあらわす。1943年、監督昇進。『花咲く港』でデビューし、山中貞雄賞を受賞。1944年、『陸軍』公開後、陸軍からの批判を受けて辞表を提出。戦後復帰し、ほぼ毎年のように名作、話題作を発表。1964年『香華』を最後に松竹を退社。テレビ界へ進出し、『木下惠介劇場』『木下惠介・人間の歌』などのテレビ・シリーズを手がける。1977年、紫綬褒章受賞。1979年、松竹に復帰。1991年、文化功労者に選ばれる。1998年12月30日、死去。
[主な監督作品]
1943年『花咲く港』/1944年『陸軍』/1946年『大曾根家の朝』/1948年『女』、『破戒』/1949年『お嬢さん乾杯』、『破れ太鼓』/1951年『善魔』、『カルメン故郷に帰る』/1952年『カルメン純情す』/1953年『日本の悲劇』/1954年『女の園』、『二十四の瞳』/1955年『野菊の如き君なりき』/1957年『喜びも悲しみも幾歳月』/1958年『楢山節考』/1960年『笛吹川』/1961年『永遠の人』/1962年『二人で歩いた幾春秋』/1963年『死闘の伝説』/1964年『香華』/1979年『衝動殺人 息子よ』/1988年『父』