タグ「シャルル・ミュンシュ」が付けられているもの

  • 特別な雰囲気 クララ・ハスキルはルーマニア出身のピアニストで、モーツァルト弾きとして定評があった。幼少期から才能を発揮していたが、病気等に悩まされて思うようにキャリアを積めず、実際に大きな注目を浴びたのは戦後、50歳を過ぎてからのことだった。 ハスキルのピアノの特徴を一言で表現するのは難しい。あっと言わせるような解釈があるわけでも、絢爛たる技巧があるわけでも...

    [続きを読む](2024.02.06)
  • 最後に完成させた交響曲 メンデルスゾーンが交響曲第3番「スコットランド」の作曲に着手したのは1829年、エディンバラのホリールード宮殿を観光している時のことである。当時20歳の作曲者は、悲劇の女王メアリー・スチュアートが住んでいた宮殿で、「スコットランド交響曲の始まりの部分を見た気がした」と家族に手紙で報告している。その12年後、1841年に本格的に作曲を開...

    [続きを読む](2023.07.06)
  • 自由で多彩な管弦楽の響き ドビュッシーの『海』は1903年8月から1905年3月5日にかけて作曲された。正確な作品名は「海 管弦楽のための3つの交響的素描」。交響詩ではなく、交響的素描である。初演は1905年10月15日、カミーユ・シュヴィヤールの指揮によって行われた。楽譜は同年にデュラン社から出版され、表紙には葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」が使われたが、音楽と...

    [続きを読む](2022.05.03)
  •  ジャック・ティボーのヴァイオリンは甘い音がする。 でもフレージングや強弱の付け方が洗練されているので、べたつかず、すっきりとした後味を残す。古臭いと言われがちなポルタメントやヴィブラートの奏法も上品で優雅、時に官能的な艶を帯び、聴き手を魅了する。 協奏曲を弾く時も、小品を弾く時も、ティボーの解釈には理屈っぽさがない。作曲家に対する大げさな構えも感じられな...

    [続きを読む](2020.03.13)
  • 完璧な演奏 1917年10月27日、ロシアからアメリカへやって来た16歳のヤッシャ・ハイフェッツは、カーネギーホールで初リサイタルを行い、驚異的な成功を収めた。その信じがたいほど完璧な演奏は、当時客席にいた誰もがかつて耳にしたことがないもの、同業者が脅威を感じるレベルのものだったという。 以来、ハイフェッツの名は「完璧」と同義になり、やがて「ヴァイオリニスト...

    [続きを読む](2019.01.04)
  • 埋もれていた青春のシンフォニー ジョルジュ・ビゼーがハ長調交響曲を書き上げたのは1855年11月、まだ17歳のときのことである。当時音楽院に通っていたビゼーは、この作品で早熟ぶりを示したが、楽譜は長い間埋もれた状態にあり、ようやく1933年にパリ音楽院の図書館で発見され、2年後の1935年2月26日に初演された。 この交響曲は軽快なだけでなく優雅な美しさを持...

    [続きを読む](2016.08.03)
  • 1830年に生まれた革命的交響曲 幻想交響曲が完成したのは1830年のことである。ベートーヴェンが世を去ってから3年しか経っていないのに、ここまで奇想天外な交響曲がフランスから生まれたという事実には驚嘆するほかない。しかも作曲当時、エクトル・ベルリオーズは26歳だったのである。 作曲の原動力になったのは恋である。若手の登竜門とされるローマ賞に挑戦して落選した...

    [続きを読む](2013.11.26)
  • 歳月の重さと理念の重さ ヨハネス・ブラームスが交響曲第1番を完成させたのは1876年。「2台のピアノのためのソナタ」を交響曲に改作しようとして挫折したのが1855年頃なので、20年越しの念願成就ということになる。むろん、その間ずっと交響曲にかかりきりだったわけではないが、自らが世に出す最初の交響曲のことをブラームスはかなり重く考えていたようである。ベートーヴ...

    [続きを読む](2013.07.01)
  • 「怒りの日」に音が溢れる サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」は、循環形式を駆使して書かれた傑作である。壮麗に鳴り響くオルガンのインパクトが大きすぎるため、「派手な交響曲」の代名詞のようにいわれがちだが、その堅牢かつ緻密な構成を意識しながら聴けば、作品の奥にある魅力が味わえるだろう。 時に暗示的に、時に変則的に現れる主題はグレゴリオ聖歌の「怒りの日」...

    [続きを読む](2013.03.29)
  • 若き日に書いた〈最初の傑作〉 若きベートーヴェンが書いた傑作である。ベートーヴェンのピアノ協奏曲というと第4番、第5番「皇帝」がポピュラーだが、私が最も好んで聴くのは第1番である。文字通り〈爽快〉かつ〈壮快〉な作品で、全体を通して聴いた後、重さもアクも残らない。思索的な面では、後期の作品に比べて物足りないという人もいるかもしれない。ただ、何も考えたくない時、...

    [続きを読む](2012.09.04)
  •  「ディヌ・リパッティには聖者のような風格があった」ーーこれは有名なリパッティ論の冒頭を飾る一文である。執筆者はEMIの大プロデューサーであり、文筆家としても知られたウォルター・レッグ。その文章からは、リパッティの才能と人間性に対する敬愛の情が強い調子で伝わってくる。原稿は1951年に「追悼文」として発表されたが、今でもしばしばライナーノーツに使われており、...

    [続きを読む](2012.05.23)
  •  アンドレ・クリュイタンスはフランス音楽のスペシャリストとして知られている。その指揮棒から生み出される音楽は、エレガント、粋、エスプリ、洗練、色彩感、香り高い、といった言葉を並べて説明されることが多い。しかし、それらの言葉はどこまで本質をついているのだろうか。使いようによってはどうにでも使える言葉を、日本人が抱いている「フランス」のイメージに絡めて使っている...

    [続きを読む](2011.07.21)
  • 音色の変奏曲 モーリス・ラヴェルの『ボレロ』は、極めてユニークな手法で書かれた傑作として音楽史上特異な地位を占めている。管弦楽曲の醍醐味をここまで大胆かつわかりやすく明示した作品はほかにない。 曲の構成はいたってシンプル。一定のリズムが刻まれる中、ひたすら2つのメロディーが繰り返される。ただそれだけ。展開も何もない。変化するのは「音色」のみ。様々な楽器が代わ...

    [続きを読む](2011.05.28)
  •  シャルル・ミュンシュが遺した録音に接していると、しばしばライヴを目の当たりにしているような気分になる。そこには生々しい臨場感がある。彼はその著作『私は指揮者である』の中で、「コンサートは毎回頭脳と筋肉と神経のエネルギーを信じられないほど消耗させる」と書いているが、そうした全力投球の姿勢はレコーディングでも変わらなかったに違いない。 ミュンシュは1891年9...

    [続きを読む](2011.04.08)
1