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小津安二郎について [続き]

2015.01.25
視点の正確さ

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 新しい一つの人生、すなわち、結婚後の生活を描く小津監督の視点は、正確さを志向している。そこには結婚や家族を美化する描写はない。むしろ、分かり合えない者たちが同居している雰囲気すら漂っている。それがいろいろなことを経て、時間をかけながら、「本当の夫婦」ないし「本当の家族」になっていく。『お茶漬の味』(1952年)や『早春』などは、そのプロセスを強調している点で、一種の夫婦論のような内容になっている。

 『早春』では、夫婦論に加えて、サラリーマン生活の惨めさも描かれている分、密度が濃くなり、メッセージ性が強くなっている。私たちの前にあらわれるのは、長生きするのが幸せなのか、若くして死ぬのが幸せなのかを考えさせる世界である。そこに生きるサラリーマンたちは、薄給でこき使われる日常に疲れ、半ば諦めて身を寄せ合い、うどんをすすっている。彼らは通勤仲間の杉山(池部良)とキンギョ(岸惠子)が不倫関係にあることを知り、「ヒューマニズム」と称して、キンギョを吊るし上げにするが、しょせんは日頃の憂さ晴らしであり、内心では杉山のことを羨ましく思っている。そのことを仲間の一人(高橋貞二)に皮肉られると、また黙ってうどんをすするのである。
 夫婦のありかたに特化した『お茶漬の味』ならまだしも、よりシビアさを増した『早春』のような映画を観ても、小津のことを「古き良き日本を描いた監督」とひどく大雑把に評する人が絶えないのは、疑問である。彼は夫婦、家族、人間の様相を正確に捉え、普遍的に通底する人生の真実と、「しかももとの水にあらず」の差異を描いた監督なのだ。
 付言しておくと、『早春』は女優が本当に素晴らしい。仲間たちに追及されるシーンでシラを切り通す岸惠子の演技は、非の打ち所がなく、6人の男たちを返り討ちにしている。浦辺粂子も杉村春子も中北千枝子も唖然とするほど巧い、というか、役に憑かれている。妻役の淡島千景は、役柄から考えるとやや才気煥発にすぎる(というか、中北千枝子に触発されている)が、夫婦仲が落ち着いた後のラストシーンの表情は良い。

善意の人々

 小津映画の大きな特徴として、善意の人々の存在がある。知人の娘を結婚させようとあれこれ画策するお節介な人も、結局は善意からしていることである。それが行き過ぎたせいで、『晩春』や『秋日和』(1960年)のように、親子の間をぎくしゃくさせる成り行きになったとしても、周囲に悪意があったわけではない。「悪気があってしたわけじゃないんだから」でなんとなくうやむやになるパターンである。子持ちの息子(二本柳寛)を未婚の紀子(原節子)と結婚させて無邪気に喜ぶ『麦秋』の母親(杉村春子)の心理にしても、紀子の家族側からすればエゴイズムだろうが、息子の母親に悪気は全然ないのである。傑作というものは、善悪の論理を超えて人の胸を打つものだが、小津の場合、いわば善の論理を以て人間関係の難しさ、複雑さを描いたと言っても過言ではない。
 現存する作品を観る限り、悪意をまき散らす悪役は、小津映画にはほとんど登場しない。『突貫小僧』(1929年)の文吉(斎藤達雄)、『その夜の妻』(1930年)の周二(岡田時彦)、『朗かに歩め』(1930年)の謙二(高田稔)や『非常線の女』(1933年)の襄二(岡譲二)も、社会的立場はともかく、実際は悪役でも何でもない。『東京暮色』で明子(有馬稲子)と関わる身勝手な若者たちは、不快感を催させるものの、相手を不幸にしてやろうという意思があるわけではない。無責任、無気力の徒である。『風の中の牝鷄』(1948年)で売春の斡旋をしている織江(水上令子)にしても、時子(田中絹代)を無理やり売春の世界に引きずり込んだわけではないし、どうやら足を洗うのも自由らしい。『朗かに歩め』で謙二に突き放される千恵子(伊達里子)と軍平(毛利輝夫)の存在は、謙二の先行きに不安を感じさせなくもないが、少なくともそれは映画の中での話ではない。

小津映画と音楽

 日本人は、西洋の文化を積極的にとりいれながらも、日本の原風景を忘れることはない。小津監督の場合、トーマス・H・インス監督の『シヴィリゼーション』(1916年)を観たことが映画人生の始まりだと言われており、海外の作品に影響を受け、とくにエルンスト・ルビッチ監督の作品を好んでいた。そして、そのハイカラなセンスを日本文化の中にうまく溶かし込みながら、日本映画らしくないという方向に行かず、最も日本映画らしいという方向へ昇華させたのである。それを意識的に、かつ、大胆に行ったのは、戦前の『淑女は何を忘れたか』(1937年)だろう。センスの面でも、思想の面でも、洋を和の中に吸収させる若き小津の感性には、今観ても目を見張らされるはずだ。

 小津の趣味を云々する上で、どうしてもふれておかなければならないのは、タイトルバックの麻布と筆文字と音楽だ。彼の後期の代表作で流れているのは、大体ゆったりとしたストリングスの響きが印象的なクラシック風のメロディーである。20世紀の日本的なるものを表現する上では、こういうスタイルがしっくりくると考えていたのだろう。事実、オープニングではバタ臭い抒情的な音楽だと思いながらも、本編に入り、それが日本の山や海の映像とリンクすると、いかにもふさわしい詩味が出てくるから面白い。ここで無理に笙や篳篥が使われても、かえっていびつな雰囲気になりそうである。メロディーは当然ながら作品ごとに異なるが、どことなく似た雰囲気を持っている。そのため、『東京暮色』『お早よう』のように個性的なものはさておき、聞き分けることが出来る人は案外少ないかもしれない。しかし、仮に同じように聞こえたとしても、決して同じ音ではないのだ。これは、改めて『方丈記』の冒頭を引用するまでもなく、小津らしい趣味というか思想のあらわれとみてよい。
(阿部十三)


[参考文献]
『小津安二郎集成』(キネマ旬報社 1989年12月)
『小津安二郎集成II』((キネマ旬報社 1993年10月)
デヴィッド・ボードウェル『小津安二郎 映画の詩学』(青土社 1992年11月)



【関連サイト】
小津安二郎について
小津安二郎
[小津安二郎略歴]
1903年12月12日、東京生まれ。小学校の代用教員を経て1923年に松竹蒲田撮影所に入社。助監督として修行を積んだ後、1927年に『懺悔の刃』で監督デビュー。その後、「喜八もの」で小市民の生活を描いて評価を得るが、1937年に応召。2年近くの戦地生活の後、映画界に復帰。戦後、『晩春』でいわゆる「小津調」を確立し、『麦秋』『お茶漬の味』『東京物語』などの傑作を1年1作のペースで発表。1958年、『東京物語』がロンドンで上映され、サザーランド賞を授与された。1963年12月12日死去。
[主な監督作品]
1927年『懺悔の刃』/1929年『学生ロマンス 若き日』『大学は出たけれど』/1930年『落第はしたけれど』『その夜の妻』/1931年『淑女と髯』『美人哀愁』『東京の合唱』/1932年『青春の夢いまいづこ』/1933年『東京の女』『非常線の女』『出來ごころ』/1934年『母を恋はずや』『浮草物語』/1936年『一人息子』/1937年『淑女は何を忘れたか』/1941年『戸田家の兄妹』/1942年『父ありき』/1947年『長屋紳士録』/1948年『風の中の牝鶏』/1949年『晩春』/1950年『宗方姉妹』/1951年『麦秋』/1952年『お茶漬の味』/1953年『東京物語』/1956年『早春』/1957年『東京暮色』/1958年『彼岸花』/1959年『お早よう』『浮草』/1960年『秋日和』/1961年『小早川家の秋』/1962年『秋刀魚の味』