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マルセル・カルネ 〜ドラマを省略しない監督〜 [続き]

2016.07.30
女優と詩人

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 女優の扱いは巧かったようで、フランソワーズ・ロゼーに始まり、ミシェル・モルガン、アナベラ、アルレッティ、マリー・デア、シュザンヌ・クルーティエ、シモーヌ・シニョレ、パスカル・プティ、アニー・ジラルドといった、そうそうたる名女優・人気女優の代表作がカルネによって撮られている。日本で言えば、女優を撮る達人だった吉村公三郎的なポジションに近いかもしれない。カルネ作品に関して私は今でも好きなものとそうでないものがあるが、女優に不満を抱いたことはない。『愛人ジュリエット』『マンハッタンの哀愁』に関しては、主演女優のみならず主演男優(ジェラール・フィリップ、モーリス・ロネ)も最高で、繊細な演技のやりとりを堪能することができる。

 一方、脇役(とくに男優)の人物造型には変に味付けのくどいところがある。具体的には『夜の門』(1946年)のジャン・ヴィラール、『愛人ジュリエット』のイヴ・ロベール、『危険な曲り角』のローラン・テルジェフ、『マンハッタンの哀愁』のローラン・ルサッフルなどがそれにあたる。彼らを意味ありげなアイコンとして目立たせるやり方は忌憚なく言って説明過多であり、大体の場合、観る者を食傷させる。

 カルネ映画を支えていた詩人ジャック・プレヴェールの存在にもふれないわけにはいかない。彼らの共同作業は、長編デビュー作『ジェニイの家』(1936年)から始まっている。プレヴェールは詩才があるだけでなく、エロキューションにも通暁し、予定されていた俳優が起用できなかったときは、新しい俳優がうまく喋ることができるように、その口の動きや口調の癖にあわせて、撮影現場で台詞を書きかえていたという。そんな頼もしい片腕が傍らにいたからこそ、カルネも若くして次々と大きな仕事を成し遂げることができたのだ。

フランス映画史の宝石『悪魔が夜来る』

 私が最も好きなカルネ作品は『悪魔が夜来る』(1942年)である。これがダントツで一位だ。『天井桟敷の人々』と同様、ナチス占領下のフランスにおいて抑圧への抵抗を示したとされる傑作だが、そういう時代背景と切り離しても素晴らしさは全く減じない。テーマはずばり愛であり、自由であり、再び愛である。

 時は15世紀、人間を絶望させるべく悪魔が2人の手下ジル(アラン・キュニー)とドミニク(アルレッティ)を地上に送り込む。吟遊詩人に化けた2人は妖しい魔力を武器に、城で行われている婚約の宴をかき回そうとするが、ジルが城主の娘アンヌ(マリー・デア)に本気で恋してしまい、アンヌもジルを愛したため、悪魔の計画が狂いだす。苛立つ悪魔は自ら城に乗り込み、強引な手を使って人間たちの運命を変え、アンヌを自分のものにしようとする。しかし、真実の愛に目覚めた女は悪魔よりも強く、悪魔を恐れることもなく、ジルへの愛を貫く。プレヴェールの台詞も、カルネの演出も、ロジェ・ユベールのキャメラも、役者も完璧。一つ一つのカットが詩になり、絵画になっている。私は若い頃、昔の映画評論家が褒めちぎる『霧の波止場』(1938年)も『北ホテル』(1938年)も受け付けられなかったが、この宝石のような映画だけはすぐ好きになった。

理不尽ではない悲劇

 長編デビュー作『ジェニイの家』は、ジャック・フェデー監督(カルネの師匠)の夫人、フランソワーズ・ロゼーを主演に迎えたほろ苦い人間ドラマ。一作目から後ろ暗い中年女の悲哀を描いたややこしい話を扱うところが、いかにもカルネらしい。主人公は、いかがわしい店を経営する女主人ジェニイ(フランソワーズ・ロゼー)。彼女は情人のリュシアン(アルベール・プレジャン)のために金を工面してやっているが、リュシアンは堕落した生活から脱したいと思っている。そんなある日、彼は魅力的な女性ダニエル(リゼット・ランヴァン)と出会い、恋に落ちる。彼女がジェニイの娘とは知らずに......。

 この映画では、最後の最後、年増女ジェニイの悲哀ぶりがいやというほど強調される。一方、リュシアンとダニエルは未来を切り開いたと思い込み、はしゃいでいる。容赦のない対比が胸にしみるエンディングだ。しかし、リュシアンとダニエルの関係(リュシアンはダニエルの母親がジェニイであることを知らず、ダニエルはリュシアンの恋人がジェニイであったことを知らない)が間もなく破綻するのは、火を見るより明らかである。約30年後に撮られたマイク・ニコルズ監督の『卒業』(1967年)のように、2人の前途には不安しかない。つまり誰も幸せにはならないのだ。こういった含みのある設定に私はカルネの倫理性をみる。

 『北ホテル』でも、未来へ進む幸せなルネ(アナベラ)とピエール(ジャン=ピエール・オーモン)、ルネにふられて未来を失うエドモン(ルイ・ジュヴェ)という対比が出てくる。この場合、エドモンは恥ずべき密告者としての過去を持つため、観る側も「なぜエドモンは幸せになれないのか」とは思わない。密告者は決して幸せになれないのだ。こういった倫理性はカルネ映画の大半に存在する。そして、これがあることにより、昔のフランス映画にありがちな悲劇の理不尽さ、不公平さはだいぶ緩和されている。「だからカルネは甘い」と言う人もいるかもしれないが、おそらくこの監督には、人の運命はどこかで釣り合いがとれるものだという人間観ないし運命観があったのだろう。
(阿部十三)


【関連サイト】
マルセル・カルネ 〜ドラマを省略しない監督〜
今も生きている『天井桟敷の人々』
[マルセル・カルネ略歴]
1906年8月18日、パリ生まれ。職業技術学校の写真映画科から映画界入り。1929年に短編映画を監督。フランソワーズ・ロゼーに認められ、ジャック・フェデーの助監督に。1936年、ロゼー主演の『ジェニイの家』でデビュー。『霧の波止場』『北ホテル』で評価され、『悪魔が夜来る』『天井桟敷の人々』で地位を確立した。ヌーヴェルヴァーグが台頭するまで、フランスを代表する大監督として人気・支持を集めたが、1960年代から活躍の場が減り、1996年10月31日にクラマールで亡くなった。晩年にはモーパッサンの短編の映画化の構想を練っていたという。自伝『La vie à belles dents』がある。
[主な監督作品]
1936年『ジェニイの家』/1938年『霧の波止場』『北ホテル』/1939年『陽は昇る』/1942年『悪魔が夜来る』/1945年『天井桟敷の人々』/1946年『夜の門』/1950年『港のマリィ』/1951年『愛人ジュリエット』/1953年『嘆きのテレーズ』/1956年『遥かなる国から来た男』/1958年『危険な曲り角』/1965年『マンハッタンの哀愁』/1968年『若い狼たち』