映画 MOVIE

『サスペリア』 〜扉が開いても怖い〜

2019.04.27
伏せてあるカードを表に

SUSPIRIA j1
 「決してひとりでは見ないでください」のキャッチコピーで知られる『サスペリア』(1977年)は、人工美に徹した映像作品であり、音楽が鳴りまくり、往年のハリウッド・スターが出演しているにもかかわらず、私にとって魅力的なホラーであり続けている。にもかかわらずと書いたのは、過剰な演出、にぎやかな音楽、そして知名度の高い人気俳優は、ホラーではしばしば怖さや生々しさを損なう要素となりかねないからだ。しかるに『サスペリア』は恐怖映画としてのテンションが異常に高く、論理的整合性を踏み越えて有無を言わせず観る者を屈服させる力を持っている。その怖さはこけおどしでなく、魔力の存在について真面目に考えたくなるほどまがまがしい。

 これは閉ざされていた扉を開け、怖さの正体を見せる映画でもある。ホラーにおいて扉を開けることは大きな賭けであり、それに勝たなければ残念な作品という扱いになる。しかし勝率は高くない。なぜなら、「見ぬが花」と言うのも変だが、殺人鬼の素顔や暗闇にいるモンスターがどんな風なのか想像している間が一番怖いからだ。
 作家のスティーヴン・キングは『死の舞踏 恐怖についての10章』の中でこう書いている。
「扉の向こうにいるものや階段をのぼった先に待ち受けるものは、扉や階段そのものの怖さには絶対にかなわない。ここにパラドックスが生じる。ホラーという芸術形態はたいてい失望しか与えないのだ。こればかりはどうしようもない。正体のわからないものでずっと怖がらせておいてもいいが、いずれはポーカーのように伏せてあるカードを表にしなくてはならない」

 ロバート・ワイズ監督の『たたり』(1963年)は扉を開けないままで終わらせた代表例だが、それはワイズが「扉を開けたら最後、100回のうち99回は、最高のホラーが持つ緊張感あふれる悪夢のような効果が損なわれることを承知していた」からだ。しかし、キングはそういう手法を「勝負に勝つためではなく、引き分けに終わらせるための方便」とみなし、たとえ負けても、伏せてあるカードを潔く表にする態度をよしとしている。
 ダリオ・アルジェントとダリア・ニコロディが共同執筆した『サスペリア』は正々堂々とその勝負をし、勝った作品である。

バレエ学院の秘密

 フライブルクのバレエ学院への入学を決めたスージー・バニヨン(ジェシカ・ハーパー)は、到着早々、学校から脱走する生徒を見かける。その生徒の名はパット(エヴァ・アクセン)。パットは校内で何か恐ろしい秘密を知ったらしく、激しい雨の中、友人のアパートに逃げ込むが、友人共々惨殺される。
 パットは学校から逃げる時、玄関で誰かに向かって謎めいたことを口にしていた。少し離れた場所で見ていたスージーには、その言葉が何だったのか断片的にしか思い出せない。
「秘密......アイリス......」
 その後、スージーは給仕女が磨いていた銀のナイフの光を浴び、体調を崩し、校内での寮生活を強要される。それからというもの、病人用の食事を摂る羽目になったり、蛆虫騒動があったり、不気味な寝息を耳にしたり、盲目のピアニストが飼い犬に噛み殺されたりと、不快なことや凶事が続く。せめてもの救いは隣室のサラ(ステファニア・カッシーニ)と仲良くなったことだが、そのサラも知ってはいけない秘密に近づいたために人知れず惨殺される。

 ここでスージーが動き出し、真相が明らかになる。
 翌朝、教師(アリダ・ヴァリ)から「サラは退学した」と告げられた彼女は、不審に思い、サラの友人である精神科医のフランク(ウド・キア)と、魔女研究の権威であるミリウス教授(ルドルフ・シュンドラー)に相談する。そして、バレエ学院を創立したのが「黒の女王」の異名を持つヘレナ・マルコスという魔女であったことを知る。1895年に学校を創立したヘレナは、オカルトとバレエを教えていたが、後に迫害され、1905年に火事で焼死したという。現在のバレエ学院はその弟子たちが再建したものなのだ。もっとも、魔力を持つヘレナが死んだ以上、魔女信奉者たちが何をしようと安全だというのがミリウス教授の見解だった。
 本当にそうだろうか。学校の建物内で何か良くないことが行われているのではないか。
 スージーが寮に戻ると、生徒は全員出かけていた。外では、初日と同じように大雨が降っている。スージーは意を決し、サラが遺したメモの断片を頼りに校内を歩き、やがて校長室に辿り着く。その壁には青いアイリスの飾りがあった。その時、パットの言葉を思い出す。
「秘密のドアがある。アイリスが3つあるから、青いのを回すのよ」
 果たしてその通りにすると秘密の扉が開いた。薄暗い廊下に足を踏み入れたスージーがそこで目にしたものとは。......

イヴォンヌ・ミュラーの話

 カーボンアーク灯と布を用いた原色の照明、ゴブリンが手がけた地獄をイメージした音楽は、どちらも強烈なインパクトがある。非現実的な画調に振り切って人工的に統制したその意匠ゆえ、「アート・ホラー」と呼ばれることもあるが、同じようなアート・フォーマットを用いても、『サスペリア』ほど怖い作品にはならないだろう。
 例えば、25周年ドキュメンタリーでも語られているように、この映画にはナチスゆかりの広場で撮られた惨殺場面があり、魔女というイディオムにナチスを透かし見させる工夫が施されている。ジョーン・ベネット、アリダ・ヴァリという映画ファンなら誰もが知るベテラン女優が圧倒的な貫禄を示し、現代の倫理がまるで通じそうにない浮世離れした存在に見えるのも、勝因と言えるだろう。

 題名はトマス・ド・クインシーの著作『深き淵よりの嘆息(Suspiria de Profundis)』に由来している。原案はダリア・ニコロディ。ベースとなっているのは、彼女が祖母から聞いた話だという。ニコロディの祖母イヴォンヌ・ミュラーは、若い頃、魔術を教える学校でピアノを学んでいたが、途中で怖くなって学校を辞め、その後、著名な作曲家アルフレード・カゼッリと結婚した。ヘレナ・マルコスが「オカルトとバレエ」を教えていたというのは、別世界のファンタジーではないのだ。
 一方、ダリオ・アルジェントはそれまで作ってきたジャッロ映画から作風を変えようと考え、魔女のことを調べていた。斬新な映像のアイディアはディズニーの『白雪姫』(1937年)、さらにドイツ表現主義の映画から得たという。なるほど随所に見られる幾何学的な模様、明暗のコントラストのみならず、恐怖を表現する際の俳優の動作もフリッツ・ラングのサイレント作品を彷彿させるものがある。銀のナイフが光を放つ時の幻想的な美しさは、人物の配置も含めて絵画的であり、アルジェントらしい耽美の傾向をうかがわせる。「アルジェントらしい」と言えば、最初に重要なヒント(青いアイリス)を出し、最後の方でその意味を観客に理解させるプロットも、デビュー作『歓びの毒牙』(1970年)からの十八番だ。

結末 スージーの微笑

 当初、登場人物に子役を想定していたアルジェントだったが、その企画が通らなかったため、設定を変更することを余儀なくされた。そこで起用されたのがジェシカ・ハーパーだ。アルジェントはセットをジェシカの身長より高く設定することで(ドアノブを高い位置に付けるなど)、彼女の華奢で弱々しい雰囲気を強調し、子供っぽく見せることに成功した。
 だからこそ私たちは、クライマックスに突入する前に、スージー・バニヨンが青い照明の中、物憂げな表情で煙草を吸う姿を見て、頼りない子供がいきなり大人の女性に変貌したかのような錯覚を抱くのである。昔、その煙草はいわゆるシガレットとは別物ではないかという話を聞いたことがあるが、多分そうなのだろう。雨音の中でも足音を聴き分けたり、青いアイリスの話を突然思い出したり、逞しい行動力を示したり、雷光に浮かぶヘレナ・マルコスの輪郭を見極めたりと、ラスト15分間のスージーは魔女に対抗し得る存在と化している。

 女生徒たちの会話に、「この学校は呪われてるのよ」「エクソシストを呼ぶべきね」というやりとりがあるように、『サスペリア』は『エクソシスト』(1973年)の影響下にあるが、より親しい関係にあるのは『ローズマリーの赤ちゃん』(1968年)だ。『ローズマリーの赤ちゃん』では可憐なヒロインが悪魔の子を産む母胎にされ、奇妙なものを食べさせられていたが、『サスペリア』でも病人用と称した得体の知れない飲食物を強いられていた。混入されていたのは睡眠薬だけではないだろう。スージーが赤ワイン(みたいなもの)を飲む時、カメラがほぼ主観ショットになる演出も効果的で、まるで映画を観ている私たちが飲まされているような気分になる。また、『ローズマリーの赤ちゃん』では悪魔の赤ちゃんを前に慄きながらも母性に目覚め、笑みを見せるという結末を迎えるが、これも『サスペリア』のラストで難を逃れたスージーが笑みを浮かべるカットと通じているように思われる。

 つまり、私はスージーが魔女側の人間になったと言いたいわけだが、そう考える根拠は「笑みを浮かべる」という一点にあるのではない。クライマックスで地獄の扉が開き、例のアレ(それは観てのお楽しみ)が登場すると、スージーは孔雀の羽根のオブジェでヘレナ・マルコスの喉を刺す。ヘレナはスージーの顔に触れた後、息絶える。すると、バレエ学院の建物は音を立てて崩壊し始める。当然、スージーは建物から出ようとする。その際、破壊の音響が激しいために、ヒロインが危機に陥っているように見えるが、実はそうではなく、閉ざされた扉は彼女を逃がすかのように次々と開け放たれてゆく。そして彼女が外に出るのを待ってから建物に火がつき、1905年に起きた出来事と同じように焼失するのである。

 『サスペリア』が日本で成功を収めた翌年(1978年)、配給会社は日本未公開だったアルジェント監督のジャッロ映画『赤い深淵(Profondo Rosso)』(1975年)の邦題を『サスペリアPART2』にして公開した。これは客寄せのために付けられた邦題で、実際は『サスペリア』より前に作られており、内容も無関係である。たしかに「Profondo」と「Profundis」は関連があるし、扉が開いてゾッとするものが現れるアイディアも共通しているが、スージー・バニヨンのその後を見届けたいと思っても、その要望には応じてくれない。しかし、怖さはかなりのものだ。邪悪なムードが濃厚で、何とも言えぬ忌まわしさが後に残る。ホラー・ファンなら「2」の方も観ておきたい。
(阿部十三)


【関連サイト】
Dario Argento 『Suspiria』