音楽 CLASSIC

ユリアン・シトコヴェツキー 〜妖しい色彩と胸を圧する切迫感〜

2014.03.05
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 ユリアン・シトコヴェツキーは32歳の若さで亡くなったソ連のヴァイオリニストである。彼のヴァイオリンの音色は暗闇を切り裂くような鋭さを持っているが、表現は硬軟自在。時に妖しい色彩を帯びてゆらめき、時に独特の切迫感で聴き手の胸を圧する。瞑目して耳を傾けていると、閉塞した世界の中で、生命力をみなぎらせる人間の息づかいが聞こえてくるようだ。それは絶対的にソ連という国でしか生まれ得なかった質感の音色である。シトコヴェツキーほどそういう熱い想いへと駆り立てるヴァイオリニストは稀だろう。

 私が初めて聴いた音源は、グラズノフのヴァイオリン協奏曲である。大学時代の終わり頃、渋谷のCDショップで見つけた。未知の演奏家で、ジャケットもパッとしなかったが、衝動買いしたのである。レーベルはSYD Records。指揮はキリル・コンドラシン、1952年の録音だ。
 再生ボタンを押して数秒、冒頭からすでに異様な雰囲気が漂っていた。私はヴァイオリンの暗い響きに引き込まれ、そのままずるずるのめり込み、我を失わんばかりに熱狂した。この体験が一種の麻薬のようになり、以後、グラズノフの協奏曲に関してはほかの演奏を聴いても(うまいと思うことはあっても)強烈といえるほどの魅力を感じなくなった。

 同じようなことはハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲にもいえる。両端楽章での美しくも少しささくれだったヴァイオリンの響き、適切なフレージング、第1楽章のカデンツァでの胸をざわめかせる高音、第2楽章での旋律を慈しむような歌心と妖しい幻想性、そして曲全体に漂う切迫感がたまらない。技術的にうまい演奏はほかにも存在するが、作品の世界観を芯から表現した演奏として無比の価値がある。1950年代前半の録音という音質的なハンデもさほど感じさせない。

 シトコヴェツキーは1925年11月7日、キエフ生まれ。キエフ中央音楽学校に入学し、ダヴィッド・ベルティエに師事した。非凡な才能を認められ、1934年にはメンコンのソリストを務めている。1939年、モスクワ中央音楽学校でアブラム・ヤンポルスキーに師事。ユダヤ人であることから、戦中は周囲に迫害されて苦しんだようだが、1945年に全ソ連青少年音楽コンクールで優勝(ピアノ部門ではスヴャトスラフ・リヒテル、チェロ部門ではムスティスラフ・ロストロポーヴィチが優勝)。1947年にはプラハ音楽祭でレオニード・コーガン、イーゴリ・ベズロドニーと共に第1位を獲得した。以後、1952年のヴィエニャフスキ・コンクールで第2位、1955年のエリザベート王妃コンクールで2位。ユーディ・メニューイン、ダヴィッド・オイストラフに称賛され、国外でも活躍。チャイコフスキー弦楽四重奏団を結成し、前途洋々に思われたが、1957年に肺癌が見つかり、1958年2月23日に亡くなった。妻はピアニストのベラ・ダヴィドヴィチ、息子はヴァイオリニストのドミトリー・シトコヴェツキーである。

 先にグラズノフとハチャトゥリアンの音源についてふれたが、無論、レパートリーは「お国もの」にとどまらない。パガニーニやシベリウスやサラサーテの作品でも、シトコヴェツキーは確かな造形感と技術を示し、どことなくロシア的な抒情美をも漂わせて魅了する。
 圧巻はタルティーニの「悪魔のトリル」とJ.S.バッハの「シャコンヌ」で、作品と向きあう真摯な姿勢、煙が立ちそうなほど完全燃焼するテクニック、聴く者の心を突き動かす歌心が、底知れぬ深い余韻を残す。若くして亡くなったこともあり、音源の数は少ないが、その音と演奏を聴けば余人とは明らかに隔絶した雰囲気を持っていることが直覚されるヴァイオリニストである。