音楽 POP/ROCK

メンズウェア 『ニューサンス』

2025.11.28
メンズウェア
『ニューサンス』
1995年作品


menswear nuisance
 「時代の徒花」以外に彼らのキャリアを形容するに適当な言葉が思い浮かばない――というのは、ほかでもなくメンズウェアのことである。2025年9月に取り上げたジ・オトゥールズに続く〈裏ブリットポップ〉企画として今月は、ちょうど30年前に登場した彼らのデビュー作にして、唯一世に出たアルバム『ニューサンス(Nuisance)』(1995年/全英チャート最高11位)と、そこに至るまでの経緯を今一度振り返ってみたい。ブリットポップ再考の一年が終わろうとしているというのに、ほとんど名前を聞くことはなかったが、良くも悪くも当時の音楽メディアをジャックしたことは事実であり、ブリットポップのバブル感を象徴する興味深い存在だった。

 というのもメンズウェアには、音楽よりも先にポップスターになる戦略が、マスタープランがあった。英国のレコード会社が、若くてそれなりの音と見た目のバンドを次々に契約していた1994年春頃、ブリットポップの震源地だったロンドンのカムデン地区に引き寄せられるように集まってきた5人の若者――クリス・ジェントリー(ギター)、サイモン・ホワイト(ギター)、スチュアート・ブラック(ベース)、ジョニー・ディーン(ヴォーカル)、マット・エヴェリット(ドラムス)――によってバンドは結成されるのだが、このラインナップが固まる前から、まだ10代だったクリスを中心に彼らはハイプ作りに奔走。業界内に人脈を広げ、人目に付くファッションで然るべきクラブやショップに出入りして名前と顔を売り(クリスとジョニーは人気クラブのブロウ・アップでスカウトされてパルプのシングル「Do You Remember The First Time?」のPVに出演している)、注目してもらえるまで、ウザがられようと構わずに自分たちを売り込んだ。今ならSNSを介して簡単に出来てしまうのかもしれないけど、まさにそのウザさ、執拗さを踏まえて、バンドは後日アルバム・タイトルに〈nuisance(厄介者、迷惑)〉という言葉を選ぶのだ。

 戦略は功を奏し、1994年秋にブロウ・アップと並ぶ人気クラブのスマッシングで行なった初ライヴにはレーベル関係者が押しかけ、4曲しかプレイしなかったにもかかわらず争奪戦が起き、デビュー前から雑誌の表紙を飾って、BBCの看板音楽番組『Top of the Pops』に出演し、フェイクだとバカにする声にもめげず、完璧にお膳立てをした時点でファースト・シングル「I'll Manage Somehow」を翌年4月に送り出すのである。

 全英チャートでの最高ポジションは49位と結果は今ひとつ振るわなかったのだが、次のシングル『Daydreamer』は14位まで上昇してヒットを記録。ライヴ活動をようやく本格化させたメンズウェアはあちこちで熱狂的なファンに迎えられ、実は筆者も95年8月のレディング・フェスティバルでその雄姿を目撃している。セカンド・ステージのトリの前で、超満員の会場は途方もない熱気に包まれ、彼らが入場曲(!)に使っていたテイク・ザットの「Back For Good」をみんなで大合唱したのを覚えている(メンズウェアを「インディ版テイク・ザット」と評したのは『Select』誌だ)。その数日後にロンドンでインタビューを行ない、「僕らが仕組んだ通りに進んでいる」と自信満々の5人と対面。「なにもかも出来過ぎていて怖くならない?」と訊ねたら、「そんなこと、考える暇もないよ。一瞬にして水泡に帰するかもしれないんだから、思い切り楽しまなくちゃ」とジョニーは答えたものだ。

 揃ってルックスが良く、モッズ風のスタイリッシュな出で立ちの彼らは、ブリットポップの盛り上がりをそっくり輸入していた日本でも大歓迎され、本作は3週間ほど英国に先行して10月初めにリリースされている。ではその出来はいかに?

 ぶっちゃけ、すごく深みがあるアルバムだとは言えない。追っかけファンとのやり取り(「125 West 3rd Street」)、ハートブレイク(「I'll Manage Somehow」「Being Brave」)、ドラッグ(「Little Miss Pinpoint Eye」)、名声(なぜかプライマル・スクリームのボビー・ギレスピーを徹底的にディスる「Stardust」)などなど歌詞の題材はランダムで、全体的なテーマ性みたいなものもない。曲の仕上がりにやたらバラつきがあって、ニール・キング(過去にアンダートーンズやストレイ・キャッツの作品に関わっているベテランのエンジニア)を起用した意図も理解しにくい。ギターロックなんだが、ギタリストがふたりいるわりには音に厚みがなくて、むしろリズム・セクションが強力に曲を引っ張っている。また「Sleeping In」はザ・フーっぽいし、散々指摘されているように「Daydreamer」からはワイヤーの影響が聞こえ、「Hollywood Girl」と「Around You Again」はザ・ジャムを思わせるという具合に、影響源も分かりやすい。

 しかし、思えばモッズやグラムロックやポストパンクといった英国発の過去の音楽を再評価するというのがまさにこの時期のバンドの関心事であり、1990年代半ばの空気に包まれた本作は、「ブリットポップってこんな感じ」というイメージを見事に音で封じ込めている(スチュアートは「僕らの音楽はブリットポップじゃなくてインターナショナル・ユーロポップ」だと主張していたが......)。そして彼らは間違いなく、耳に残るメロディを綴りキャッチーなポップソングを仕上げるセンスを携え、「Little Miss Pinpoint Eye」や「Daydreamer」が好例で、大仰でシアトリカルであるほどにシンガーとしてのジョニーの個性は際立ち、フロントパーソンとして充分に存在感があった。特にその「Daydreamer」と「I'll Manage Somehow」は、他のブリットポップ・アンセムと呼ばれる曲群にもヒケを取らないし、個人的には、ストリングスで彩ったスケール感のあるバラード「Being Brave」が彼らのベストソングではないかと思っている。実際この曲は1996年3月にメンズウェアにとって最初で最後のトップ10シングルにもなった。もう少し音楽作りにも時間をかけて、影響源をもっと咀嚼して血肉にし、ライヴを重ねてバンド・ケミストリーを練ればいいバンドに成長した思うのだが、いかんせん95年と言えば、同時期に登場したパルプの『Different Class』とオアシスの『(What's The Story)Morning Glory?』、エラスティカやスーパーグラスやジーンのファーストといった話題作のリリースが続いた年。その合間に本作は埋もれてしまい、予想されたほどのヒットにはならず、グループ内の不和やら薬物やらお決まりのトラブルがくすぶり、そんな中で作ったセカンド『¡Hay Tiempo!』はお蔵入りとなった(日本でのみ発売されている)。まあ、キーボード奏者が加わったせいか、いきなりサイケデリックな西海岸サウンドに方向転換したのだから、レーベルの腰が引けたのも無理はないか?

 結局、1998年頃にバンドは消滅。ジョニーが別のラインナップで試みた再結成もうまく行かず、5年前にボックスセット発売を機に『ザ・ガーディアン』紙に掲載されたインタビューによると、クリスとサイモンはマネージメント業で音楽界に留まっているそうだが、ミュージシャン業を続けているメンバーはおらず、一番出世したのは『ニューサンス』発表後に半ば追い出されるようにして脱退したマットだ。これまた日本で人気があったザ・モントローズ・アベニューに加わり、解散後はジャーナリストに転向してBBCラジオで活躍している彼は、メンズウェア時代の自分をしばしば自虐ギャグのネタにしている。確かに今ではそういう存在なのかもしれない。でも、アンディ・ウォーホルが「誰でも15分間世界的な有名人になれる」と言ったように、1995年当時の5人はキラキラしていた。我々も彼らを面白がった。大なり小なり、ポップ・ミュージックの歴史はたくさんのこんなストーリーによって形作られてきたわけで、今後もそれは変わらないと思う。
(新谷洋子)


【関連サイト】
『ニューサンス』収録曲
1. 125 West 3rd Street/2. I'll Manage Somehow/3. Sleeping In/4. Little Miss Pinpoint Eyes/5. Daydreamer/6. Hollywood Girl/7. Being Brave/8. Around You Again/9. The One/10. Stardust/11. Piece of Me/12. Stardust (reprise)

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