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フリッツ・ラング 〜ドクトル・マブゼの遺志を継ぐ者〜

2011.07.15
 『ドクトル・マブゼ』で華々しい成功を収めた後、フリッツ・ラングはテア・フォン・ハルボウと結婚した。しかし漁色家のラングは多くの女性と関係を持ち、夫婦仲が冷却化。1930年代に入ると別居し、今度はハルボウがインド人青年と恋愛関係を結ぶ。『ドクトル・マブゼ』の続編は、そんな状況の中で製作された。

 『怪人マブゼ博士(マブゼ博士の遺言)』が完成したのは1933年頭。この続編は、『ドクトル・マブゼ』に比べると真面目に言及される機会がほとんどないが、それはラングの意に沿わない短縮版(アメリカ版)が流布していたせいだろう。オリジナル版を虚心坦懐に観れば、そこに『ドクトル・マブゼ』以上の恐怖が潜んでいることに気付かされるはずだ。

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 前作から10年、精神を病んだマブゼは病院に収容されている。かつて精悍だった頃の面影はもはやそこにはない。が、その影響力は不気味な形で社会に影を落としている。ベッドの上にいるマブゼが書いた犯罪計画メモの通りに犯罪が行われてゆくのである。宝石強盗、鉄道、ガスタンク、化学工場の襲撃、銀行と金融の撹乱......悪の組織を動かしているのは精神科医のバウム教授。マブゼの主治医である。

 映画の中盤、薄暗い書斎でバウム教授がマブゼのメッセージを語る。かつてマブゼの目的だった「人と人の運命を弄ぶこと」が、ここでは「犯罪の支配」へと変貌を遂げていることが分かる。
「人の心をその内奥から揺さぶり、理解不能な犯罪で恐怖に陥れなければならない。誰にも益せず、恐怖と衝撃を広げる犯罪を起こすのだ。なぜなら犯罪の究極の意味とは、限りなき犯罪の支配を打ち立て、不安と無政府状態を生むことだからだ。その基盤となっているのは、破滅を運命づけられたこの世界の壊れた理想である。犯罪のテロルによって、人類が恐怖と驚嘆で正気を失う時、カオスは至高の法となり、犯罪の支配の時が訪れる」
 バウム教授の前には、顔が変形して怪物のようになったマブゼの幻が座っている。非常に不気味なシーンである。マブゼは発狂状態にありながらもバウム教授を自分の影響下に置いてしまったのか。それとも、もともと発狂していなかったのだろうか......。

 ナチスが上映禁止にしたこともあり(ドイツでの初公開は1951年)、マブゼの思想とナチスの思想の関連性を指摘する声は後を絶たない。しかし両者は根本的に異なる。ナチスは利益を求めたが、マブゼもバウムも利益を一切求めない。目的はあくまでも「犯罪の蔓延」そのものにあり、私的な利益や怨恨は考慮に入れていない。この映画が描いているのはナチスではなく、もっと匿名性の高い恐怖なのだ。短縮されたアメリカ版では台詞がすり替えられ、完全に「反ナチ映画」と化しているが、これはもはやラングの作品とは言えない。

 結局、政治的意味合いを考えずに観るのが一番である。これは犯罪の伝染を描いたサスペンス映画であり、鮮やかなカメラワークと照明技術を堪能出来る卓抜した映像作品でもあり、活劇としても楽しめるし、前科者更正の物語としても楽しめる。様々なジャンルの要素を渋滞感なく配置し、テンポよくまとめたラングの手腕には感服せざるを得ない。

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 1960年、フリッツ・ラングは3作目の〈マブゼもの〉を撮る。邦題はなぜか前作と同じく『怪人マブゼ博士』(原題『マブゼ博士の千の眼』)。これがラングの遺作となった。ここに出てくるヨルダン(マブゼ)が狙うのは原子爆弾である。ただ、その犯罪計画は高い知能を駆使したものとは思えない。洗練されたカメラワーク、ホテルに設置された監視モニターなど見所がないわけではないが、前2作に漂っていた不気味さはなく、スケール感も狭まり、小じんまりとしている。物語もドーン・アダムスとペーター・フォン・アイクのロマンスに偏りすぎているし、ラストも雑である。普通のフィルム・ノワールで終わってしまった、という印象は否めない。

 『マブゼ博士の千の眼』の後、いわゆる〈マブゼ・シリーズ〉が次々と製作された。監督はラングではなく、ハラルト・ラインル、ヴェルナー・クリングラー、パウル・マイ等。これらは60年代のドイツの〈犯罪映画ブーム〉に乗って多くの観客を呼んだ。賑やかな音楽が象徴しているように、どれも大衆的な娯楽映画にすぎず、普遍的な狂気や恐怖を描いた作品とは言えないが、こうして亜流が生まれたのは、やはりマブゼという存在に人心をざわつかせる何かがあるからだろう。

 参考までに書いておくと、このシリーズは『ドクトル・マブゼ』や『怪人マブゼ博士(マブゼ博士の遺言)』のシーンを随所で再現するという、なかなか味な真似をしている。こういうオマージュはラング・ファンが観ても悪い気はしないはずだ。また、ヒロインも見所の一つで、カリン・ドール、センタ・バーガー、リカ・ディアリーナ、と魅力的な女優を揃えている。とりわけ『怪人マブゼ博士/姿なき挑戦』(1962年)のカリン・ドールの言語を絶した美女ぶりには、透明人間の出現以上に度肝を抜かれるに違いない。ヒッチコックの『トパーズ』での彼女も魅力的だが、その遥か上をゆく美しさだ。監督はハラルト・ラインル。46歳の時に16歳のカリンと結婚し、一人前の女優に育てた彼の特別な愛情がカメラに注がれていたのだろう。
続く
(阿部十三)


【関連サイト】
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フリッツ・ラング 〜ドクトル・マブゼと『決壊』〜
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