映画 MOVIE

病める薔薇 〜ジーン・ティアニーについて〜

2011.02.13
Gene Tierney
 映画史上、星の数ほどいる〈薄幸の美人〉の中でも、とびきりの美女であり、また数奇な運命をたどった女優、ジーン・ティアニー。彼女は 1940年代のハリウッドを象徴する名花である。アメリカ人なのに、どことなくヨーロピアンな気品ただよう美貌と物腰に、当時はみんな夢中になった。その美しさは、いま観てもハッとするほどだ。
 もっとも、必ずしも役に恵まれていたとはいいがたい。ティアニーが演じたヒロインは、いずれもプライドが高くて頑固だったり、自己顕示欲が強かったり、強欲だったり、という具合にクセがあって、観ている方も容易に感情移入できない。にもかかわらず、彼女はその天性の演技力で役に深みを与え、説得力のあるものに仕立てることができた。要するに、添えもの的な美人では終わらない本物のアクトレスだったのだ。代表作でもある『ローラ殺人事件』『哀愁の湖』『剃刀の刃』『幽霊と未亡人』がそのいい例である。『天国は待ってくれる』や『幽霊と未亡人』では老け役もこなした。

 人気女優となっても気取ることなく、人一倍努力家で、知性とやさしさにあふれていたティアニー。しかし、そんな彼女の人生はつねに不幸の影におびやかされていた。障害児の出産、新進デザイナーのオレグ・カッシーニとの離婚、やや病的に見えるほど派手な男性遍歴(ハワード・ヒューズ、ジョン・F・ケネディ、カーク・ダグラス、スペンサー・トレイシー、アリ・カーンなどなど)、家族の面倒事など、さまざまなことが重なって30代前半で精神を崩壊させ、それからは施設への入退院の繰り返し。次第に満足な演技も出来なくなり、出演本数が激減、40代前半で静かに映画界を去った。
 自伝が出ているので、興味のある方は読まれるといい(邦訳は出ていない)。その人生は内面的にも外面的にも浮き沈みが激しく、試練に満ちたものだった。ただ、石油王ハワード・リーと再婚して経済的には裕福であったことが、ファンにはせめてもの救いだろう。
[ジーン・ティアニー略歴]
1920年11月19日、ブルックリン生まれ。裕福な家庭に育つ。2年間スイスに留学し、1938年帰国。アナトール・リトヴァク監督のすすめで映画界入り。1940年『地獄への逆襲』でデビュー。1941年デザイナーのオレグ・カッシーニと結婚(1952年離婚)。1946年、カッシーニと別居中にJ.F.ケネディと交際していたが、ケネディ家の反対に遭い別れる。1960年、テキサスの石油王ハワード・リーと結婚。1991年11月6日に70歳で死去。