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ジュリー・クリスティ 〜エモーショナルな雰囲気と繊細な心理表現〜

2014.08.14
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 ジュリー・クリスティはジョン・シュレシンジャー監督の『Billy Liar』(1963年)で注目された後、同監督の『ダーリング』(1965年)でオスカーを獲得し、デヴィッド・リーン監督の大作『ドクトル・ジバゴ』(1965年)のラーラ役で大きな成功を収めた。キャリアの初期がここまで華やかなものになると、あとは徐々にパッとしなくなるのが通例だが、彼女の場合、そうはならなかった。どんなに演技がうまくても、容姿が美しくても、順調にキャリアを築くことは難しい。そんな世界にいながら、彼女が第一級の女優として歳を重ねているのは、さまざまな難役をこなせる演技の勘のよさ、周囲から信頼を寄せられる真摯さ、そして作品を選ぶ確かな目があったからだと思われる。

 ジュリー・クリスティは知性も実力も兼ね備えた美人だが、自分のことを綺麗に見せようなどとは考えてもいない。お人形さんのような女優とはタイプが違う。喜怒哀楽の感情表現が豊かで、表情の変化の幅も実に広い。時に、ほとんど捨て身といえるほど大胆になり、『ダーリング』のダイアナ役のように決して満たされることのない奔放な女性の哀しさ、愚かさを全身で表現する(クリスティ自身は、この役について「とてもイヤな女」と語っている)。自分を少しでも良く見せよう、観客に共感してもらおうと計算する美人スターには出来ない芸当である。ただし、熱演で押し切るだけではなく、己を正確に統御し、目や口のちょっとした動きだけで内なる心理を伝えることも出来る。決して押しつけがましい演技はしない。畢竟彼女の特性は、女性的でエモーショナルな雰囲気と極めて繊細な心理表現のコントラストにあるといえる。

 『ドクトル・ジバゴ』でも美人女優が我勝ちにとでしゃばっている感じはない。それでも最後に印象に残るのは、強い芯を持つ白い花のようなクリスティである。元々は製作者カルロ・ポンティの妻ソフィア・ローレンがラーラ役を演じる予定だったらしいが、そうならなくて幸いだったと思う。
 私が好きなのは、野戦病院を去る中盤のシーンで、ジバゴ(オマー・シャリフ)に見せるラーラの表情である。2人は想いを寄せ合いながら、互いに家族を持つ身として、綺麗な関係のまま別れようとするのだが、あと一歩で気持ちが崩れそうになる、その危うさと自制心がここに全て表現されている。別れた直後、ジバゴのことを皮肉る兵隊に向けるきつい眼差しも美しい。あんな目で見られたら、どんな男でも黙り込んでしまうだろう。美しいといえば、赤いドレスを着たラーラが、コマロフスキー(ロッド・スタイガー)に指で唇を撫でられる前半のシーンも刺激的だ。子供の頃にこれを観た時は、ロッド・スタイガーに嫉妬したものである。ちなみに、クリスティは赤いドレスが嫌いだったらしく、撮影前は落ち込んで控え室にこもっていたそうだ。

 『ドクトル・ジバゴ』以降、クリスティは傑作や話題作にマイペースで出演する。読書が禁じられた未来の世界を舞台に、性格の異なる2役を演じ分けた『華氏451』(1966年)、独立心に富みながらも、男に頼りたい欲求に心揺れる農場主を演じた『遥か群衆を離れて』(1967年)、逞しい小作人(アラン・ベイツ)と秘密の逢瀬を楽しみ、自分に憧れている子供を使い走りにする令嬢を演じた『恋』(1970年)、娘を失い精神不安定になった人妻を演じ、過激なベッドシーンでも話題になった『赤い影』(1973年)、一時期恋人だったウォーレン・ベイティとの共演作で、ベイティ扮するプレイボーイの美容師に髪を触られるシーンが印象的な『シャンプー』(1975年)、そのウォーレン・ベイティによる監督作で、前半のマシンガントークとその後のロマンティック・ヒロインらしい雰囲気の対比が鮮やかな『天国から来たチャンピオン』(1978年)という具合である。
 カンヌ国際映画祭グランプリを受賞したジョセフ・ロージー監督の『恋』には、ジュリー・クリスティの物憂い美しさがあふれている。ロージーはクリスティの演技や表情の癖を見抜き、彼女の演技が突発的に激しくなり、怒りの表情があらわになるところでは、さりげなくロングショットに切り替えている。老いた後のシーンでも、彼女の顔ははっきりと映されない。子供が呪術に使う毒草ベラドンナ(イタリア語で美女)が象徴しているように、美しさの裏側には猛毒がある、という真理を視覚化するため、ロージーは表面的な部分から過剰なもの、醜く見えるものを一切排除しているのである。

 クリスティは50歳を過ぎてからも作品に恵まれ、ケネス・ブラナー監督の『ハムレット』(1996年)では魅力的なガートルード役を演じ、『トロイ』(2004年)ではアキレス(ブラッド・ピット)の母テティス役、『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』(2004年)ではマダム・ロスメルタ役を演じている。なお、実現はしなかったが、スタンリー・キューブリックの遺作『アイズ ワイド シャット』(1999年)ではアリス役の有力候補者とされていた。

 老年に達したクリスティの魅力、演技力を味わいたい人は、アルツハイマーを患う老妻役を演じた『アウェイ・フロム・ハー 君を想う』(2007年)を観るべきだ。その繊細な演技は、彼女を襲った障害が本物なのか、浮気し続けた夫を罰するための芝居なのか、境界線を曖昧にさせる。そして終盤、あることを夫に質問された彼女が「思い出せないわ」と答えるシーンのなんともいえない微妙な表情に、私たちは呆然とさせられる。

 私の場合、母親がジュリー・クリスティのファンであることがきっかけで、子供の頃から『ドクトル・ジバゴ』『遥か群衆を離れて』を何度か観ていたのだが、この女優への共感は『アウェイ・フロム・ハー 君を想う』により一気に増した。はっきりいえば、クリスティは『ダーリング』からすでに名女優だった。いかにも「私、魅力的でしょう」といわんばかりの煩わしいアピールもくどさも感じさせない自由で自然な挙措、そのくせ観る者を確実に映画の世界に巻き込んでゆく磁力に、私は惹かれていた。『アウェイ・フロム・ハー 君を想う』では、そんな美質が、若い頃よりも洗練された演技力を地盤にして示されている。

 ここで、『華氏451』でジュリー・クリスティと仕事をしたフランソワ・トリュフォーの言葉を一部紹介しておきたい。クリスティに関する記述として貴重なものだからである。トリュフォーの撮影日記(1966年3月1日)には、次のように書かれている。

「『ダーリング』で注目され、ついで大作『ドクトル・ジバゴ』のヒロイン役に抜擢されて以来、大騒ぎされるようになった女優だが、それにはそれだけの理由があるのであり、これからもどんどん力をつけていって長つづきのする真の女優であることは疑う余地がない。
 ジュリー・クリスティは現実の彼女よりもスクリーンに現れるときのほうが女らしさや謎めいた魅力を持っている女優だ。フィルムに感光された彼女の女っぽさと実生活の彼女の、なんともあっけらかんとした、いわば男の子のなりそこないのような、さっぱりした感じとは、まるでちがう。女神あつかいされたハリウッドのスター女優の時代が終わったいま、彼女はいわば〈仲間(コパン)〉の世代の女優なのだ。この世代の強さも、もろさも、裏表のない明るさも、彼女にはある」
(フランソワ・トリュフォー/山田宏一訳『ある映画の物語』)

 トリュフォーの確信は、そのまま現実のものとなった。ジュリー・クリスティは現代最高の女優の一人であり、彼女の世代を象徴する存在であり続けている。
(阿部十三)


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[ジュリー・クリスティ略歴]
1941年4月14日、インドのアッサム州で生まれる。父親は紅茶のプランテーションの経営者。ロンドンで演技を学び、1961年に映画デビュー。1963年にジョン・シュレシンジャー監督の『Billy Liar』で脚光を浴びた後、『ダーリング』『ドクトル・ジバゴ』に主演。『ダーリング』でオスカーを受賞。シリアス物もコメディもこなせる名女優として重宝され、『華氏451』『恋』『シャンプー』など、その時代を象徴する傑作・話題作に出演。2007年の『アウェイ・フロム・ハー 君を想う』ではオスカーにノミネートされた。反核主義の立場で政治活動も行っている。私生活では「結婚しない女」だったが、2007年にジャーナリストのダンカン・キャンベルと結婚した。