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ジェームズ・メイスン 〜英国の魅惑〜

2015.05.09
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 1940年代のイギリス映画界で、ジェームズ・メイスンは絶対的なカリスマであった。屈折した性格の役が似合い、陰のある悪役を演じても、エキセントリックな変質者を演じても、正義の看板を背負った登場人物たちより魅力を発散して、観る者に肩入れさせる。なめらかで艶のある声、ニヒルな笑み、ノーブルな物腰を武器に、主導権をとってしまうのだ。危険と言えば危険な魅力である。

 ケンブリッジ大学で建築学を修めた後、舞台俳優に転じ、『Late Extra』(1935年)で初めて主役を演じたのは26歳の時。ここでは行動的な記者を演じている。しかし彼がスターになるのは1940年代に入ってから。ゲインズボロー・ピクチャーズの『灰色の男』(1943年)で悪魔的性格の貴族を演じ、人気を獲得した。以降、コンプトン・ベネット監督作『第七のヴェール』(1945年)の強権的な後見人ニコラス、キャロル・リード監督作『邪魔者は殺せ』(1947年)の重傷を負った活動家ジョニー、アルバート・ルーウィン監督作『パンドラ』(1951年)のさまよえるオランダ人、ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督作『五本の指』(1952年)の野心的でプライドの高いスパイ、マンキーウィッツ監督作『ジュリアス・シーザー』(1953年)のブルータス、リード監督作『二つの世界の男』(1953年)の「人さらい」になり果てた元弁護士イーヴォなど、陰翳や毒性を帯びた癖のある役で精彩を放った。

 50歳になってからも、その圧倒的な個性がほかの俳優に取って代わられることはなく、アルフレッド・ヒッチコック監督作『北北西に進路を取れ』(1959年)の犯罪組織を仕切るヴァンダム、そして『評決』(1982年)の老獪な弁護士コンキャノンといった曲者を鮮やかに演じている。スタンリー・キューブリック監督作『ロリータ』(1962年)の中年男ハンバート・ハンバートを演じたのもメイスンだ。ローレンス・オリヴィエ(候補に挙げられていた)よりも明らかに適役である。

 曲者だけを演じていたわけではなく、誠実なキャラクターを演じることもある。例えば『砂漠の鬼将軍』(1951年)。ナチスの命令を無視し、しまいにはヒトラー暗殺未遂の嫌疑をかけられ、ナチスによって自殺を強要される英雄、ロンメル将軍を好演した代表作だ。これは当たり役と評された。しかし、映画に描かれた人生の最後の方はほぼ逆境で、苦悩やもどかしさがフィーチャーされ、暗雲に覆われている。映画に関する限り、陰翳のあるキャラクターと言っても過言ではない。単に誠実な人物を演じたものとしては『魅せられて』(1949年)の医者役がある。これは少し物足りない。はっきり言えば普通の二枚目である。性格に難のある億万長者(ロバート・ライアンが演じた)の方をメイスンが演じていれば間違いなく嵌ったはずだ。

 翳りのある二枚目と言えばモンゴメリー・クリフト、悪のカリスマと言えばリチャード・ウィドマークを思い浮かべる人は多いと思うが、彼らの前に、英国生まれのジェームズ・メイスンがいることを見落としてはならない。メイスンはどんなハンデを持つ役であろうと、己の存在を肯定させる。当時、『灰色の男』を観た人に、彼以外の誰が、心やさしくロマンティックな二枚目よりも、頭のおかしな冷血漢のことを魅力的と思わせることができただろうか。

 ジェームズ・メイスンが醸し出す翳りや毒性は押しつけがましいものではない。「俺は翳りがあってセクシーだろ」という感じではなく、あくまでも品のあるオブラートを通して伝わってくる。だからこそ惹かれるのである。カリカチュアのような『灰色の男』のローン役にしても、形相は物凄いが話し方はエレガントだ。独特のシニカルさと品格を含ませたなめらかなヴェルヴェット・ヴォイスである。これを観た当初、高校生だった私は、マーガレット・ロックウッド扮する悪女ヘスターの経歴詐称を暴く前にローンが言う、「Shall I refresh your memory?」のエロキューションを身の程もわきまえず何度も真似ようとしたものだ。

 『灰色の男』の路線を受け継いだ『激情』(1944年)のマンダーストーク役になると、憎まれ者ぶりが倍増している。彼にはローンのような複雑な魅力はなく、もはやただの悪のデパート状態だ。哀れなヒロイン、ファニー(フィリス・カルヴァート)を愛するハリー(スチュワート・グレンジャー)の言葉を借りれば、「evil influence」の象徴と化している。メイスンはそれでも生き生きと演じているが、この方向性に傾いていたらキワモノの悪役専門で終わっていたかもしれない。そんなイメージを巧みに覆し、性格俳優としての実力を示したのが心理学をとりいれた『第七のヴェール』と言える。『第七のヴェール』のニコラス役は、メイスンが演じていなければただの危険人物にすぎないが、彼が演じることで肯定的なオーラがにじみ出す。そして観る者は、精神を病んだピアニストのフランチェスカ(アン・トッド)が最後に立ち直り、愛する相手にニコラスを選ぶことを願わずにいられなくなる。

 彼は脚本家としての顔も持っており、最初の夫人パメラと『I Met a Murderer』(1939年)や『Charade』(1953年)を共同執筆し、共演している。両作品とも監督はパメラの元夫ロイ・ケリノ。まるで『ドクトル・マブゼ』のフリッツ・ラングとフォン・ハルボウとクライン=ロッゲみたいである。『Charade』は3つの物語で構成された一種のオムニバスで、メイスン夫妻の会話の応酬が見ものだが、殺人者を描いた第一話のみで引っ張れば良かったのにと思う。ここでのメイスンはいかにも人殺しといった役作りや演技はせず、物語の最後の最後で狂気を出している。

 メイスンの芝居はセンチメンタリズムとは一線を画している。観る者の人情に分かりやすく訴えて感動させてやると言わんばかりの大袈裟な芝居はほとんどしない。共感を求めすぎず共感を呼ぶ演技とでも言うべきか。『第七のヴェール』でフランチェスカに渡す花束を手に取る時の演技、『二つの世界の男』で自分の過去を語る時の演技などはその好例である。臭い芝居をしない方がかえって伝わるものなのだ。

 『北北西に進路を取れ』の終盤、ヴァンダムと恋人のケンドール(エヴァ・マリー・セイント)が飛行機でアメリカを発つ前に、側近レナード(マーティン・ランドー)と2人きりで話す場面も忘れがたい。恋人がソーンヒル(ケイリー・グラント)を撃ったのは小芝居で、実は空砲だったと知らされたヴァンダムは、たまらずレナードを殴る。その瞳がたたえる哀しみと屈辱の深さは、無声慟哭の域に達している。しかし恋人が空砲の音に驚いてやって来ると、感情をすぐに切り替えて平静を装ってみせ、レナードには落ち着いた口調で「(恋人を)海の上の高い所で処理する」と言う。この演技の流れの持って行き方が素晴らしい。考えてみれば、特に確証のないレナードの言葉をあっさり鵜呑みにしてしまうのは不自然だが、それだけレナードに精神的に依存している、という関係性も感じ取れる。『北北西に進路を取れ』にはもっとほかに見所があると言われそうだが、ジェームズ・メイスンのファンである私にとっては、最も印象的なシーンである。
(阿部十三)


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[ジェームズ・メイスン略歴]
1909年5月15日、イギリスのウエストヨークシャー生まれ。ケンブリッジ大学で建築学を修めるが、俳優志望に転じ、1931年に初舞台を踏む。オールド・ヴィク座に加わって演技力を磨き、1933年に脇役で映画デビュー。本格的なデビュー作は1935年の『Late Extra』で、早くも主役を務める。1943年、『灰色の男』でマーガレット・ロックウッド、フィリス・カルヴァート、スチュワート・グレンジャーと共演して注目を浴び、ゲインズボロー・ピクチャーズの花形に。以後、「最もポピュラーなイギリスの男優」に選ばれるほどの人気を獲得し、ハリウッドにも進出。主役でも脇役でも存在感を示したが、賞レースとは無縁だった。1984年7月27日、スイスのローザンヌで心臓発作により死去。私生活では2度結婚。最初の夫人パメラとは共同名義で『The Cats In Our Lives』という本を出している。2人の間に生まれたモーガン・メイスンは『セックスと嘘とビデオテープ』のエグゼクティヴ・プロデューサーで、ベリンダ・カーライルと結婚。その息子ジェームズ・デューク・メイスンは若手の政治活動家である。