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アイダ・ルピノ 〜悪意のないファム・ファタール〜

2016.07.02
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 アイダ・ルピノはハリウッドきっての才女で、演技の勘も表現力も抜群、映画監督としての腕前も確かだった。容姿でも演技でも歌でも演出でも人を惹きつけたその魅力と才能は、「ルピノ・ファミリー」として知られたイタリア系の宮廷芸人の血筋によるものかもしれない。

 イギリスでデビューしたのは13歳の頃。16歳でハリウッドへ進出し、『PETER IBBETSON』(1935年)や『画家とモデル』(1937年)などで達者な演技を見せていた。前者はゲイリー・クーパーと絡む脇役、後者は令嬢になりすますヒロインの役である。令嬢ぶってすかした雰囲気をふりまきながらも、プールに落ちてずぶ濡れになった後、急に生身の色気のようなものが出てくるギャップにドキドキさせられたファンは多かったのではないか。ベイジル・ラスボーン版の『シャーロック・ホームズの冒険』(1939年)も若き日の代表作。衣装もメイクも完璧決まっているお嬢様の役で、悲しみと恐怖におののく大きな瞳が印象的だ。一方、『The Light That Failed』(1939年)ではロナルド・コールマンとウォルター・ヒューストンを相手に感情の起伏の激しい女を好演、当時20歳そこそこであったことを考えると、この堂々たる演技は驚異である。

 こういった秀作で魅力を発散し続けた後、ラオール・ウォルシュ監督の『They Drive by Night』(1940年)を経て、同監督の『ハイ・シェラ』(1940年)に出演する。相手役は『They Drive by Night』と同じハンフリー・ボガート。『マルタの鷹』(1941年)や『カサブランカ』(1942年)が公開される前なので、当時のクレジット順はルピノの方が上である。『ハイ・シェラ』での役どころは、過去を持つ女、強気な女、だけど情の深い女、そして男の運命を変える女。「ファム・ファタール」というと怖い女みたいだけど、彼女の場合はどこか親しみやすい愛嬌がある、悪意のないファム・ファタール。『ハイ・シェラ』以降、彼女はこの手の役を多く演じることになる。親しみやすいからといって、ファム・ファタールであることには変わりないので、男は何かしらの形で運命を狂わされ、火傷を負い、運が悪ければ死ぬ羽目になる。

 この後、『海の狼』(1941年)と『生きてる死骸』(1941年)で癖の強い難役をこなしたルピノは、さらに役の幅を広げるべく、さまざまなタイプの作品に挑む。『夜霧の港』(1942年)ではジャン・ギャバン相手にロマンスを繰り広げるメルヘンじみた『第七天国』的なヒロイン、『まごころ』(1946年)では愛する者に理解されないエミリー・ブロンテ、『深夜の歌声』(1948年)では2人の男に愛されるクラブの歌手、『秘境』(1949年)では金目当てで不倫したのに真剣な恋に落ちて惨めな運命をたどる人妻、『ジェニファー』(1953年)では失踪した前任者ジェニファーの代わりに屋敷の管理を任された神経質な女、『悪徳』(1955年)では極悪映画製作者との奴隷契約に縛られている夫に見切りをつけようとしながらも放っておけない妻......一例を挙げるだけでもこんな具合である。作品自体の出来については、『夜霧の港』も『秘境』も『ジェニファー』も完璧からは程遠いが、ルピノの演技に限って言えばどれも良い。

 役の幅が広かったのは事実だが、得意としていたのは「笑わない女」である。このヒロインは大体笑顔を見せずに登場する。愛も笑顔も過去に捨ててきました、と言わんばかりの風情だ。それが時間の経過と共に変化し、好きな男と出会うことで雰囲気が和らぎ、エモーショナルになり、熱いラブシーンへと進む。彼女が演技だけでなく歌でも魅せた代表作『深夜の歌声』もこのパターンから外れていない。

 ジーン・ネグレスコが監督した『深夜の歌声』は、ルピノの演技に限らず、作品としても傑作である。さすが『ジョニー・ベリンダ』と『タイタニックの最期』を撮った人だ。ルピノが演じたのは、シカゴからやって来た無愛想で気怠さ全開のヒロイン、リリー。彼女はニコリともせずにスコッチをストレートで飲み、吸いさしの煙草をピアノにのせ、しゃがれた声で歌い出す。その味わい深い歌声といったら! 「シカゴのため息」と呼びたいくらいである。ちなみに、ライオネル・ニューマン作曲の名曲「アゲイン」を歌ったのは、この映画でのルピノが最初らしい(劇中では2度歌われる)。リリーに執着するクラブのオーナー、ジェフティ役は「ハイエナ」時代のリチャード・ウィドマーク、リリーと恋に落ちるピート役はマッチョなコーネル・ワイルド、ジェフティの冷血ぶりを咎めるスージー役はセレステ・ホルム。絶妙な配役だ。そして、リリーとピートがキスを交わす場面で流れる音楽は『ローエングリン』。良い趣味である。もうひとつ、ルピノがショートパンツを履いたりビキニ姿になったりして脚線美を披露するサービスカットも見逃せない。

 監督作品は十指に余るほどあるが、有名なのは『ヒッチ・ハイカー』(1953年)。実話に基づくスリラーで、屈強そうな2人の大人の男性が、狭い車中で残忍なヒッチハイカーに主導権を握られ、逃げられなくなる、という恐怖心理を巧みに描いている。音楽がやや過剰に流れているのが気になるし、演出の抑揚のつけ方もアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督のようにはいかないし、後年の『ヒッチャー』(1986年)ほどイカれてもいないが、随所に静寂をはさみ、クラクションや犬の鳴き声や足音で緊張感を高めるところはうまい。『二重結婚者』(1953年)は自ら出演もした社会派の恋愛ドラマ。子供のできない夫婦、愛人との間にできた子供、という普遍的なテーマを扱い、悪人とは言い切れない中年男の苦悩と葛藤を追っている。2作とも主役はエドモンド・オブライエン、プロデューサーは元夫のコリアー・ヤングである。
(阿部十三)


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Ida Lupino
[アイダ・ルピノ略歴]
1918年2月4日、ロンドン生まれ。王立演劇学校で学び、13歳でデビュー。「英国のジーン・ハーロウ」と美貌を謳われたが、演技力の方も評価され、1930年代後半には人気女優に。1949年から監督業にも携わり、手堅い作風で成功を収める。当時のハリウッドでは珍しい女性監督だった。1960年代は映画出演から遠ざかっていたが、『ジュニア・ボナー/華麗なる挑戦』(1972年)で復帰。結婚・離婚は3回、相手はルイス・ヘイワード、コリアー・ヤング、ハワード・ダフ。1995年8月3日死去。