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シモーヌ・シニョレ 〜恋する女の美しさ〜

2017.02.04
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 シモーヌ・シニョレはフランス映画界の第一線で活躍した名女優である。演じた役柄には一定の傾向があり、若い頃は娼婦や不倫の人妻の役が多く、中年になってからは貫禄のあるおばさん役で存在感を発揮した。40歳を過ぎても顔の皺を隠すことなく変に若作りしなかったことや、政治に関する発言を積極的にしていたことから、同性のファンも多かったようである。

 初の大役は『宝石館』(1946年)で演じた情婦ジゼル。相手役は、後年の『悪魔のような女』(1955年)と同じポール・ムーリッスだ(主演はフランソワーズ・ロゼー)。情婦ジゼルは、軽さとしたたかさを備えたキャラクターだが、そこに当時のシニョレのひんやりとした知的な雰囲気が加わり、新しいタイプの女性像を生み出すことに成功している。これでシュザンヌ・ビアンケッティ賞を受賞したシニョレは、順調にキャリアを積み、表現力に深みをつけていった。

 先に娼婦、情婦、不倫の人妻と書いたように、1950年代までの代表作でシニョレが演じた役は、すべてそのカテゴリーに当てはまる。最初の夫イヴ・アレグレ監督の『デデという娼婦』(1948年)では不幸になることを宿命づけられながらも生命力を感じさせる娼婦、『乗馬練習場』(1950年)では乗馬練習場の経営者(ベルナール・ブリエ)と結婚して遊蕩にふける悪妻、ジャック・ベッケル監督の『肉体の冠』(1952年)では大工(セルジュ・レジアニ)と運命的な恋に落ちる娼婦、マルセル・カルネ監督の『嘆きのテレーズ』(1953年)では病弱なマザコン夫相手に満たされず逞しいトラック運転手(ラフ・ヴァローネ)との不倫に溺れる人妻を熱演。これらで評価を固めた後、毛色の異なるサスペンス作品で話題をさらう。それがアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の『悪魔のような女』だが、ここでの役も愛人だった。そして、ジャック・クレイトン監督の『年上の女』(1958年)の哀しい人妻役で米英のアカデミー賞とカンヌ国際映画賞を受賞することになる。

 彼女の色っぽさは、男を圧倒するようなものではなく、母性の要素を含んでいる。肉感的になりすぎず、下品な感じがしない。なおかつ、その辺の飲み屋にでもいそうな実在感というかリアリティがあるので、観る側としては映画の世界に入り込みやすい。ほとんど本能で演じ分けているのではないかと思えるほど、嫌いな男といる時と好きな男といる時の目つき、顔つきが違っているところも良い。こんな映画を観たら男は結婚恐怖症になる、と言えそうなほど残酷な悪妻ぶりを見せる『乗馬練習場』でも、甲斐性なしの愛人の前では愛らしく、美しいのである。

 シニョレの四大傑作と評すべき『デデという娼婦』『肉体の冠』『嘆きのテレーズ』『年上の女』の役は、結末はどうあれ、本物の恋なんか到底得難い閉塞した状況から、それを掴み、好きな男と幸せに浸るまでの行動を起こす点で共通している(『悪魔のような女』のニコルも、深層では同じ系統に属する)。そのような役を演じるにあたり、シニョレは日常生活の底でくすぶっている女のパトスを、抑制をきかせて巧く表現する。例えば、『年上の女』で、素人劇団の女優をやっているアリスが、ベッドシーンを演じる相手(ローレンス・ハーヴェイ)に、「本気で抱きしめて。壊れやしないわ」と言い、「努力する」と言われた後、「そんなに大変なこと?」と返すときの表情は、あまりにも多くのことを男に問いかけている。

 その人気は1960年代以降も続いたが、『愚か者の船』(1965年)でオスカー・ウェルナー相手に船上ではかない恋愛を繰り広げたあたりから、徐々にロマンティックな役が減り、外見を取り繕わない中年女性の役が増えていく。この時期の作品で存在感が際立っているのは、『悪魔のような女』をなぞるような展開で怪演をみせつけた『悪魔のくちづけ』(1967年)、レジスタンスの聡明な闘士でありながら皮肉な成り行きで仲間に処刑される『影の軍隊』(1969年)、殺人の疑いをかけられた息子をかばうために判事の前に立ちはだかる母親を貫禄たっぷりに演じた『燃えつきた納屋』(1973年)である。中でも『燃えつきた納屋』は、分裂寸前の家族を守り、田舎の家と土地を守るために毅然とした態度を貫くシニョレの演技が圧巻で、判事役のアラン・ドロンが霞んで見える。

 64歳で亡くなるまで第一線にいたシモーヌ・シニョレの経歴には変わったところがある。生まれたのはドイツのヴィースバーデン。パリで教育を受け、大学入学資格と英語教師の免状を取得したシニョレは、戦時中、悪名高い対独協力者ジャン・リュシェールの事務所で秘書をしていた。『格子なき牢獄』のヒロイン、コリンヌ・リュシェールの父親である。リュシェールは、シニョレがユダヤ系であることを承知の上で雇っていたらしい。給料も良かった。しかし、彼女はファシストの事務所に勤めていることを仲間に非難されて辞めた。女優になるのは、その後の話である。

 左翼の立場をとったシニョレだが、彼女の中には絶対的な公平さがあり、その精神は人物批評にも表れている。シニョレは右翼のジャン・リュシェールを「気が弱く、買収されていて、卑劣であった」と厳しく評しつつも、一方でドイツ軍に苦しめられているフランス人のために尽力していたことを伝えている。
「私はどれくらいの人がこの事務所を訪れたか、この目で見ている。彼らは、リュシェールが死刑を宣告された時ーーその刑は当然のものだったかもしれないけれどーー彼に何かしてあげただろうか」
 コラボラトゥールへの憎悪が根強いフランスでは、あえて書かなくてもいいことだが、彼女は書かずにいられなかったのだ。また、ソ連がハンガリーに侵攻したときは、公然と批判した。夢を見させる女優ではなく、大衆と共にある女優の立場で、「私が第一に関心をもっているのは、肉の値上がりです」と言ったこともある。アンガージュマンの映画人として尊敬を集め、本職の演技の評価も文句なしに高い彼女は、いつしか「フランス映画の良心」と呼ばれるようになった。

 シニョレの人生最大の恋愛の相手はイヴ・モンタンである。彼と再婚し、ともに政治的活動を行なっていたことはよく知られている。そんな彼女を苦しめたのがモンタンの浮気であり、『恋をしましょう』で共演したマリリン・モンローと噂されてからは、アルコールが手放せなくなったという。1960年代に入って急速に老けはじめたのは、それが原因ではないかと思われる。ただし、モンタンとはその後も離婚せず、1985年に亡くなるまで夫婦であり続けた。

 お人形のような美人女優とは異なるが、恋する女の美しさを表現する才能にシモーヌ・シニョレほど恵まれた人もいない。私は『肉体の冠』と『年上の女』を何度も観て、毎回彼女の素晴らしさに参っている。昔の人が「世界一の美しい唇」と評した唇にも、特徴的な目元にも、たしかに男を誘う色気がある。しかし、それは露骨な媚びではなく、相手を選び、好きな男の前でだけ本性をあらわす色気である。『肉体の冠』でその気分が最高潮に達するのは、娼婦マリーが川辺で昼寝中の恋人の顔を野草でくすぐるシーンだろう。奇妙なことに、幸せだった瞬間の彼女の恋する表情は、その後の結末がバッドエンドであればあるほど、忘れられないものになるのだ。
(阿部十三)


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[シモーヌ・シニョレ略歴]
1921年3月25日、ドイツのヴィースバーデン生まれ。パリで教育を受け、大学入学資格と英語教師の免状を取得。さまざまな職につくが、やがて女優の道を志し、1942年から映画にエキストラとして参加する傍ら、俳優養成所に通う。出世作は『宝石館』(1946年)で、その後順調にキャリアを積み、『デデという娼婦』(1948年)、『肉体の冠』(1952年)、『嘆きのテレーズ』(1953年)、『悪魔のような女』(1955年)などの傑作に出演。『年上の女』(1959年)では米英のアカデミー賞、カンヌ国際映画祭の女優賞を制覇した。1960年代からは中年女性の役を堂々と演じ、一貫して高い評価を受け続けた。1944年にイヴ・アレグレ監督と結婚、一女カトリーヌをもうけるが、1949年離婚。1952年にイヴ・モンタンと結婚。1985年9月30日死去。娘のカトリーヌ・アレグレとは『燃えつきた納屋』などで共演している。