映画 MOVIE

ジョーン・ベネット 〜比類なきファム・ファタール〜

2022.04.12
男は破滅へ一直線

joan bennett a2
 ジョーン・ベネットといえば男の人生を狂わせる運命の女、ファム・ファタールである。その大きな瞳は清純で優しそうだが、どこか頼りなげだ。それを見た男は、女のために何かしてあげたいと思うだろう。すると、たちまち彼女の眼差しは妖艶さを帯びて男の心を掴み、手玉に取ってしまう。そうなったら男は破滅へ一直線だ。

 危険なファム・ファタールが登場するのは、『飾窓の女』、『緋色の街/スカーレット・ストリート』、『浜辺の女』。監督はヨーロッパで名声を確立した大物中の大物、フリッツ・ラングとジャン・ルノワールである。映画の天才たちがジョーン・ベネットを見込んで、本場のファム・ファタールを移植したのだ。

ラングとルノワールの作品

 『飾窓の女』(1944年)はフリッツ・ラングがハリウッドで撮ったフィルム・ノワール。犯罪心理学の准教授ウォンリー(エドワード・G・ロビンソン)は、老いを感じつつも心のどこかで冒険を望んでいる。ある日、彼は画廊のウィンドウに飾られている絵のモデル、アリス(ジョーン・ベネット)と出会い、彼女に誘われて部屋まで行く。そこへアリスを囲っているパトロンのマザードが帰ってきて乱闘になり、ウォンリーはマザードを殺してしまう......。アリスは邪気のない女だが、その色気で結果的に男の人生を狂わせる。ベネット以外のキャスティングが考えられないほどのハマり役だ。呼吸の仕方で動揺を表現する演技が印象に残る。

 同じ監督、出演者で撮られた『緋色の街/スカーレット・ストリート』(1945年)は、ジャン・ルノワール監督のフランス映画『牝犬』(1931年)のリメイクである。絵を描くことが趣味の真面目男クリス(エドワード・G・ロビンソン)は、自称女優のキティ(ジョーン・ベネット)と出会い、貢ぎ出す。キティは情人ジョニー(ダン・デュリエ)の悪だくみに加担し、クリスから絞れるだけ絞り取る。一見、キティがジョニーに利用されているように見えるが、クリスに対する彼女の言動は自発的な悪意に満ちている。お人好しの中年男がひたすら惨めだ。ベネットはいかにも「フランス産」らしい情け容赦のないファム・ファタールを演じ切っている。

 『浜辺の女』(1946年)はジャン・ルノワール監督作。戦争で心を病んだ沿岸警備隊のスコット(ロバート・ライアン)は、婚約者がいるにもかかわらず、ミステリアスな女ペギー(ジョーン・ベネット)に惹かれる。彼女は視力を失った元画家トッド・バトラーの妻。ペギーに誘惑されたスコットは、彼女を夫から自由にしてやろうと考えるが......。トッドが妻に向かって、「外見は美しく、中身は腐ってる(so beautiful outside, so rotten inside.)」と言う台詞があるが、ペギーは完全な悪女ではない。愛憎や善悪の微妙な揺れがある複雑な役だ。聖女の顔にも、娼婦の顔にもなる。ベネットは目の細かい動きによってその不安定な性格を表現している。

煙草とファム・ファタール

 もう一作、マックス・オフュルス監督の『無謀な瞬間』(1949年)も付け加えたい。ここで演じたのは、罪深い母親の役。夫不在の家庭を守るルシア(ジョーン・ベネット)は、娘が正当防衛で死なせた不良中年の死体を沼地へ運び、警察の目をごまかそうとする。事情を知るやくざ者ドネリー(ジェームズ・メイスン)は彼女を強請るが、情に絆されて......。ルシアはいわば良妻賢母のファム・ファタール。強請る相手がルシアでなければ、哀れなドネリーも悪に徹することができただろう。これはただの美人女優には務まらない難役である。この作品でルシアが抱えるストレスは煙草の量で示され、ドネリーに「吸いすぎは体に毒だ」と注意されている。

 ファム・ファタールはよく煙草を吸う。それは唇と指先を魅力的に見せる大人のアクセサリーであるだけではなく、男の人生を(そして自らの人生も)灰にするメタファーであり、満たされない願望や欲求不満の現れでもある。アリスも、キティも、ペギーも、ルシアも、誰一人として満たされていない。満たされたファム・ファタールはどこか醜い。私の好みとしては、彼女たちにはぜひ煙草を吸っていてほしい。これ以降、映画界ではファム・ファタールの低年齢化が進むわけだが、煙草を吸う仕草がサマになるベネットくらいの年齢(30代)の女優が演じた方がリアリティがある。

キャリアとスキャンダル

 ベネットが演じた役は、ファム・ファタールだけではない。ジョン・バリモアと共演した『海の巨人』(1930年)では一途な女性、キャサリン・ヘプバーンと共演した『若草物語』(1933年)ではエイミー役、ヒトラー暗殺未遂疑惑の余波を描いた『マン・ハント』(1940年)では健気な女性を好演している。『花嫁の父』(1950年)では18歳のエリザベス・テイラーの良き母親役を理想的に演じ、高く評価された。1910年に生粋の俳優一家に生まれ、サイレント期からキャリアを積んでいただけに、演技の幅は広かった。

 ちなみに姉コンスタンスも有名な女優で、1930年代に活躍していた。ジョーンもその後を追っていたが、決定的な転機となったのは『貿易風』(1938年)でブロンドだった髪色を恒久的にブルネットに変えてからである。その際、彼女を説得したのは後に夫となる名プロデューサー、ウォルター・ウェンジャーだという。28歳で髪色を変えてイメージ・チェンジに成功した女優は珍しい。

 しかし、1951年に彼女の女優生命は危機に瀕する。当時の夫ウォルター・ウェンジャーが、ベネットのエージェントであるジェニングス・ラング(後の『エアポート』シリーズや『大地震』の製作者)を銃で撃ったのだ。ベネットとの関係を疑った末の発砲だった。このスキャンダルによってダメージを受け、映画への出演は激減した。彼女のイメージからすると意外性のない事件だが、世間からの反発は大きかったようだ。1951年以降の目立つ役は、『俺達は天使じゃない』(1955年)のアメリー役、『There's Always Tomorrow』(1956年)のマリオン役くらいで、どちらもファム・ファタールとは真逆の役柄である。

 その後はテレビで主に活躍していたが、1970年代に意外な作品で存在感を示すことになる。ダリオ・アルジェント監督の『サスペリア』(1977年)だ。バレエ学校の校長役として登場したベネットは、得も言われぬ気品と貫禄に溢れていて、その知名度にもかかわらず、怒りにふれた人間を完全に破滅させる本物の悪魔の使徒にしか見えなかった。これが遺作となったのも彼女らしいと言えるかもしれない。
(阿部十三)


【関連サイト】
[ジョーン・ベネット略歴]
1910年2月27日、アメリカのニュージャージー州生まれ。俳優一家に生まれ、1916年にデビュー。トーキー初期に人気女優となり、1938年に髪色を変えてイメージ・チェンジを図って成功。1940年代にはフリッツ・ラングをはじめとするヨーロッパの巨匠が手掛けたフィルム・ノワールに出演し、「ファム・ファタール」の象徴的存在となった。1951年、当時の夫ウォルター・ウェンジャーが起こした銃撃事件によりキャリアを危うくするが、テレビ界で活躍を続けた。結婚は4回。ウェンジャーは3人目の夫にあたる。1990年12月7日、死去。